2017年12月18日月曜日

第75話 国歌の話

国家(state)は国歌(national anthem)と国旗(national flag)を持っている。
日本では、「君が代」が国歌であり、「日の丸」が国旗である。
一般原則では、各国は独自の国歌・国旗を持って居るが、必ずしもそうではない国も存在する。

1.国歌を歌えない国

世界は広いもので、国歌を歌えない国が幾つか存在する。

①スペイン
②アラブ首長国連邦
③カタール

これらの国は、曲はあるが 歌詞が作られていないので、歌えない。

2.メロディーを共用する国

また、歌詞は違うが メロディーだけを共用している国もある。

①イギリス・リヒテンシュタイン
②フィンランド・エストニア

3.国歌を共用する国

国歌(歌詞・曲)を共用する国

①ギリシャ・キプロス
②トルコ・(北キプロス・トルコ共和国)

4.世界最古の国歌

オランダ国歌「ウイルヘルム」が、最古の国歌で1568~1572年に作られた。

スペイン国歌「Marcha Real :国王行進曲」も古く、最初の記録は1761年である。
1770年に、国王が公式行事の際常に演奏するように命じ、国王行進曲と呼ばれ国歌となった。

5.君が代

「君が代」の歌詞が、歴史上最初に登場したのは、古今和歌集(西暦912年)である。
世界最古の「国歌の歌詞」』である。

賀歌 題しらず、詠人しらず

我が君は 千代にませませ さざれ石の
      いわおとなりて こけむすまでに

私にとっては、日本国歌の歌詞が『詠人しらず』というのが、涙が出るほど嬉しいのである。

鎌倉時代以降(1200年頃)では、和漢朗詠集の写本等で、現在の「君が代」となっている。

  君が代は 千代に八千代に さざれ石の
        いわおとなりて 苔のむすまで

鎌倉幕府から江戸幕府まで、征夷大将軍の治世下の時代では、、「君が代」は一般的な
長寿を願いことほぐ賀歌」とされていた。
そのため 鎌倉・室町時代では、宴会等の際に『最後のお開きの時に謳う和歌』の定番になっていた。

しかし時代が下がるにつれ、「君が代」の解釈を「天皇の治世」と解釈する傾向が強くなっていった。

しかし幕藩体制の江戸時代の前期(17世紀中頃)に、「君が代は天皇の治世の意である」と解釈する国学者が出てきたのである。
明治以降は、何はばかる事もなく「天皇の治世」と決めてしまった

音曲の方は、林廣守(1831―1896年)が作曲し、ドイツ人エッケルトが和声を付けた。
これを明治26年(1893年)8月12日「祝日大祭日歌詞並楽譜」を官報に告示した。
これ以降「君が代」は、事実上国歌となった。
さらに平成11年(1999年)8月13日公布・施行された「国旗及び国に関する法律」により、日の丸を国旗とし 君が代を国歌とする事を法律で定めた。

日本で最初の吹奏楽団が結成されたのは、1869年である。薩摩藩が藩士数十名を選抜し、薩摩バンドを結成した。指揮者は、イギリス人 ジョン・ウイリアム・フェントン である。
薩摩バンドの合宿所を,妙香寺(横浜市中区妙香寺台8)に定めた。最初は楽器もないので、調練・譜面の読み方・等の訓練をしていた様である。
注文していた輸入の楽器類が、明治3年(1870年)7月に妙香寺に届き、本格的な吹奏楽の練習が出来るようになった
フェントンも「君が代」の作曲を試みたが、不評で不採用となった。

妙香寺に、「国歌 君ヶ代 発祥之地」の石碑がある。これを正確に説明すると、不採用となった「フェントン」の「君ヶ代 発祥之地」」である。

ここで、妙香の名誉のために申し添えておきたい。
日本最初の吹奏楽団薩摩バンド」がここで結成され、その合宿所がここだったのは 紛れの無い事実である。
以上