2010年2月19日金曜日

調査捕鯨



2010/2/12 のAFP NEWS で、シー・セパードが捕鯨母船 日進丸に酢酸瓶を発射し、3人の軽症被害を報じていた。これは誠に遺憾な行為であり残念に思う。しかしながら、鯨如きにこれ程の情熱を傾けられるシー・セパードにも、聊かの敬意は表しておく。


私は、心底から鯨が好きである。あの巨大な英姿を映像で観るのも、鯨肉を食べるのも好きなのである。ザトウクジラが尾っぽを高々と揚げて飛び跳ねる姿よりも、長須鯨等がゆったりと泳ぎ進む姿の方が遥かに美しいと思う。                       |(財)日本鯨類研究所 提供写真 |

また、鯨肉は焼肉等よりも晒しクジラ(オバイケ)の酢味噌や鯨ベーコンの方が遥かに大好きである。        



                                         |晒しクジラ(オバイケ)|
IWC (International Whaling Commission : 国際捕鯨委員会)は、捕鯨派と反捕鯨派が極端に対立し、殆ど収拾が付かない有様になっている。捕鯨国はノルウェー・日本・アイスランド位である。ただし日本を中心とした捕鯨国の多数派工作が功を奏し、捕鯨容認派も結構増えてきた。このため、3/4以上の賛成を要する重要議決は殆ど全て不可能になってしまった。この多数派工作の大成功は、日本国外務省の輝かしい成果である。問題の多いODA(Official Development Assistance :政府開発援助)を極めて巧みに利用した。
昔は長崎空港で晒しクジラや鯨ベーコンを売っていた。今日では、WEBで調べれば、ミンク鯨のベーコン・オバイケ等を送付販売してくれる店は結構ある。調査捕鯨 様々、万々歳である。
調査捕鯨を実施しているのは「(財)日本鯨類研究所」である。経常収益90億円程度(大部分は鯨肉販売である)。「事実上の商業捕鯨」と息巻く向きもあるが、経常費用も同程度以上掛り、赤字気味である。また研究発表もしっかりやっており「研究所」の看板に偽りは無かろう。
鯨類研究所は、「共同船舶(株)」から捕鯨船団と乗組員をチャーターして、調査捕鯨を実施する。「共同船舶(株)」は、鯨類研究所から「調査捕鯨」を受託するだけの目的で設立された独占事業の正真正銘の民間会社である。
日本は四界を海に取囲まれた、資源の乏しい海洋国である。海洋での既得権益を最大限に守ってゆくのが、日本国の最大の国益に通ずる。何としても、調査捕鯨は続行すべきである。
枝野幸男行政刷新担当大臣は、4月から本格的な事業仕分けに着手すると明言している。この調査捕鯨に関しては、海洋国日本の国益に基づく大切な事業の一つとして、目先の損出に捉われず、だいじに育て上げて欲しい。

19世紀以降の捕鯨の歴史を見ると、乱獲から「自然保護・環境保護」に急旋回してゆく時代の潮流を見事に浮上らせてくれる。
19世紀の欧米の近代捕鯨は、鯨油採取を目的に地球規模の活躍を行い、北極海やベーリング海の鯨資源を荒廃させた。更に西太平洋の捕鯨を目論み、ペルリの浦賀来航となった。
明治以降の日本では、欧米列強に追着き・追越せと、多数の捕鯨会社を設立し、近海捕鯨で頑張った。しかし乱獲が祟って、捕鯨会社の整理統合が進み、大型遠洋捕鯨が主流になって行った。
太平洋戦争敗戦後、食糧難で連合軍から日本の南氷洋捕鯨が許可された。戦勝国の捕鯨目的は採油であったが、日本は油も肉も持ち帰った。当時「鯨肉の生姜焼き」はご馳走であった。
この当時の南氷洋捕鯨は、オリンピック方式であった。毎年 指定日時に参加各国が一斉に捕鯨を開始する。各国の捕獲頭数は毎日集計され、全体の捕獲頭数が所定頭数を超えたとき、オリンピック競技の終了となる。この当時の捕鯨に関しては、戦勝国のダブル・スタンダードは全く無く、フェヤーな素晴らしい方式であった。
国敗れても、我等が日本である。南氷洋の荒波で激しく上下する捕鯨船に乗り、捕鯨砲を構える砲手の技は超人的であった。更に大馬力の捕鯨船を建造して追跡速度を増し、平頭銛(銛の先端を平らにし、水面での跳ね上がりを無くした)を発明して捕鯨砲の命中率を高め、日本の南氷洋捕鯨船団は無敵となってしまった。当然の結果として、1959年日本は南氷洋捕鯨オリンピックで「金メダル」を獲得した。しかしこの途端に世界の潮流は一変してしまった。「公平」さは微塵に砕け、各国の身勝手な言い分だけが際立ってきた。
1960年以降オリンピック方式は廃止され、捕獲量・国別割当制を経て、IWC は捕鯨禁止に大きく傾斜して行く。1982年第34回IWC(国際捕鯨委員会)において商業捕鯨が全面的に禁止されてしまった。要するに石油の採掘量が急増し、各国は鯨油不要で、捕鯨は不採算事業になったのである。但し発言権はしっかり確保しておいたのである。そこで使用できる理屈が「自然保護・環境保護」だったのである。日本は鯨油・鯨肉共に利用しており、捕鯨の採算性は残っていた。従って日本が鯨資源の利用を主張するのは当然であり、また正当な権利でもある。これに反し「自然保護・環境保護」論は論拠が整然とせず、ヒステリックな主張に陥りやすい。要するに、ある程度同情できそうな言い分ではあるが整然とした論拠が見当たらない場合が多い。論拠不明確が当人にも分かっているから、敢えてヒステリックに振舞うのかもしれない。
有史以前から、人類は自然を資源として活用し、果てしなく環境破壊を続けながら、繁栄を続けてきた。「自然との調和」・「環境保護」を唱えてみるのは、環境破壊を続ける我々人類の「言い訳」や「自虐の方便」なのである。本当の人類の知恵とは、「資源利用」と「環境保護」を沈着冷静に上手に調和させて行く事である。
捕鯨論の本質を考えると、「今後の海洋資源の利用の仕組み」に行き着く。「誰が、どの様な権利と義務を持つ仕組みを作るか」または「何の仕組みも作らない事にするか」の国際戦略を巡って、各国の思惑が入り乱れているのである。
我が日本国は、四面楚歌に追い込まれ、捕鯨国として残ったのはノルウェー・日本・アイスランドだけである。ここで日本国は敢然と調査捕鯨に打って出てきている。農水省の権益増大にも繋がるが、ここは国益優先を貫きたい。
鯨類研究所に希望を述べれば、下記について一つづつでも着実に取り組んで、研究を進展させて頂きたい。
1.商業捕鯨が可能な地域・種別捕獲頭数の推定。
2.資源の持続可能な地域・種別捕獲頭数の推定。
3.上記推定のためのシュミレーション用データの研究・調査
以上