2012年8月26日日曜日

日韓講和条約と竹島問題

日本国政府は、竹島問題を棚上げしたまま「日韓講和条約」を締結した。領土問題の紛争を抱えている事についての当事者間の認識は一致しているため、『竹島問題』を紛争事項として取り敢えず「ペンディング」にしたまま、条約交渉を成立させた。日本国政府は佐藤栄作内閣、韓国は第3代大統領朴正煕(パク・チョンヒ)である。
両首脳は賢明であった。日本国外務大臣椎名悦三郎と高杉晋一、韓国側は大韓民国外務部長官李東元・特命全権大使金東祚が1965年6月22日署名。批准による効力発生は1965年12月18日である。

条約の正式名称は『日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約「韓国との基本関係条約」』である。

内容の概略は、下記である。


第一条 外交・領事関係開設。
第二条 1910/8/22以前に大日本帝国と大韓帝国で締結された全ての条約・協定はもはや
    無効であると確認される。(日韓併合条約とそれ以前の条約)
第三条 大韓民国政府は、国連総会議決第195号(Ⅲ)により、朝鮮にある唯一の合法的
    な政府であると確認。
第四条 (a)日・韓は、相互関係で国連憲章の原則を指針とする。
    (b)日・韓は、相互福祉・共通利益の増進で、国連憲章の原則で協力する。
第五条 日・韓は、通商関係の協定締結のため交渉を開始する。
第六条 日・韓は、民間航空関係の協定締結のため交渉を開始する。
第七条 この条約は、批准書の交換の日に効力を生じる。
以上

関連条約として「財産・請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」がある。ここでは『財産・請求権・経済協力協定』と略称する。

1965年のこの協定で、韓国に対し日本国政府は、無償3億ドル・有償2億ドルの政府経済援助と民間融資3億ドルの支援を行った。当時の日本の外貨準備は高々18億ドル程度であり、相当以上に思い切った韓国援助を行ったものだと感心する。ちなみに当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度である。
当初日本政府は「韓国人への個人補償は日本政府が行う」と提案していたが、韓国側が拒否した。本協定では韓国政府が一括して経済協力金を受け取り、韓国政府の責任で韓国人の個人補償を行う事で合意している。

2010年韓国政府は突如として、『慰安婦・樺太残留韓国人・原爆被害韓国人』は別だとして、日本政府に誠意ある措置を要求してきた。日本政府も困惑したと思うが、『別だとする論拠』が私にはよく分からない。

さて本論の重要な課題である『竹島問題』である。

右図は外務省の資料からの引用である。

日韓講和条約では、『竹島:独島(トクト)』問題は、紛争問題であると共通認識し、意図的に棚上げされてしまった。

竹島問題』の事の発端は、1950年の「朝鮮動乱」である。
1950年6月25日、朝鮮半島の北緯38度線で殷々と砲声が轟渡り、「朝鮮民主主義人民共和国」軍が、大挙して「大韓民国」に雪崩込んできた。
朝鮮動乱』である。開戦当初は北朝鮮軍が圧倒的に優勢であり、韓国軍側は敗退に次ぐ敗退を続けた。1950年9月には韓国領土の大部分を席巻され、釜山周辺をやっと維持する状態にまで圧迫されていた。

国連安保理は、朝鮮動乱直後1950年6月27日「北朝鮮弾劾決議」を全会一致で議決した。7月にはアメリカ軍25万を中心に『多国籍軍』が編成され、「国連旗」の使用も認められ、反撃の準備が進められていった。
1950年9月15日米海兵隊を主力とする約7万人の「仁川上陸作戦」が敢行され、朝鮮半島の戦局は急変した。仁川(インチョン)は、韓国の首都ソウルの近郊の港である。北朝鮮側は、伸びきった戦線に対する補給網が追いつかず、問題であった。そこに「仁川上陸作戦」による補給路遮断が行われたので、北朝鮮側の総崩れとなった。
韓国南端まで伸びきっていた「北朝鮮のアコーデオン」は、瞬く間に縮んでゆき、北端の鴨緑江(朝鮮名アムノク:中国名ヤールー)付近まで圧縮されていった。

『北朝鮮壊滅』が目前に迫ったとき、「中華人民共和国」は国境線の鴨緑江(ヤールー)を越えて、北朝鮮に援軍を送り続けた。
多国籍軍』の繰り返しの攻撃にひたすら耐えながら、果てしなく陸続と続く援軍の列に世界中が驚嘆し、「中華人民共和国」の『人海戦術』と呼称し、いたく称賛した。

この『人海戦術』の大援軍により、中・朝国境付近まで圧縮され壊滅寸前の「北朝鮮のアコーデオン」は、北緯38度線付近の正常位置まで引き戻されてしまった。38度線付近の最前線の位置で睨み合いが続き、『多国籍軍』と北朝鮮軍との休戦協定ができあがった。1953年7月27日である。朝鮮動乱は1950/6/25から始まり、1953/7/27に終焉した。

朝鮮動乱の最中、韓国初代大統領「李承晩:イ・スンマン」が「李承晩ライン」を設定し「海洋主権宣言」を一方的に行った。
1952年1月18日、日本海および東シナ海に韓国政府が一方的に軍事境界線を設定した。韓国では『平和線:ピンファソン』と呼称する。国際慣行を全く無視した、非合法な宣言であった。
平和とは全く裏腹の、武力による韓国漁業の専管水域の設置宣言である。「平和線」を越えた日本漁船は片っ端から拿捕され、日本漁民の抑留者は4千人近くに達してしまった。
この一方的で違法な李承晩の『平和線を越えたところに、我が日本領土の竹島が存在していたのである。当然日本国外務省は、韓国政府に強硬に抗議した。アメリカ合衆国も「国際法上の慣例無視」と強く抗議した。在日米軍は、竹島付近を爆撃訓練区域にしていたのである。

しかるに、韓国政府は話し合いに応ずる気配を全く見せず、馬耳東風を続けながら、警備員の上陸と不法占拠等を重ね、既成事実の積み上げを目論んでいった。誠に遺憾千万である。

尖閣諸島や竹島や国後・択捉の領土問題は、とにかく国民感情をあおり易い。民族の闘争本能を大きく揺さぶるのである。
政治家が領土問題で騒ぐとき、沈着冷静な国民は、その政治家の隠された真意を見抜く目を持たなければならない。落ち目の政治家ほど「領土問題の国民感情」を利用したがるものである。

竹島問題』では、2013年2月任期満了の第10代大統領李明博:イ・ミョンバク』氏が、このほど「竹島上陸」を行った。内政干渉するつもりは全くないが、大韓民国・国民の冷静な判断を期待したい。

『尖閣問題』では、東京都知事『石原慎太郎』氏が東京都として「尖閣諸島」購入の意思表示をしている。知事の任期は2015年4月でだいぶ先であるが、子息の衆議院議員『石原伸晃』氏の改選時期は間近である。
東京都が何故「尖閣諸島」の土地を購入する必要があるのか理解に苦しむ。その土地がどうしても欲しいなら「石原慎太郎」個人で購入すればよい。
東京都民のみなさん、皆さんが「尖閣諸島の土地の名義」を必要としているのでしょうか。

「尖閣諸島」は、日本国が現に実効支配しており、中華人民共和国・台湾が後から嘴を入れてきた話である。日・中・台の国民感情を、いたずらに刺激し先鋭化させることは愚の骨頂である。先鋭化を極力回避し、そっと静かにしているのが一番賢明な最善策と思う。
石原知事殿、お静かにお願いしたい。ひたすらお静かにお願い致したい。
以上

2012年8月11日土曜日

プロメテウスの火

旧約聖書では、人類最初の女性は「イヴ」である。アダムとイブは「知識の木」の『禁断の果実』を食べたために、「エホバ神」により「エデンの園」から追放された。

日本神話では、天上の高天原(たかまがはら)から伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)が、くらげなす漂へるところに、天沼矛(あまのぬぼこ)を入れてかき回し、引き上げて、『豊葦原千五百(とよあしはら・ちいほ)秋の瑞穂の国』即ち日本列島を作られた。
その後、高天原から高千穂の峰を通って瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本国に天下り、統治した。以来『天下り』の伝統は日本の官僚機構に温存され、独立行政法人等への『天下り』が、古式床しく今も行われている。
しかし残念ながら、日本列島の最初の女性が、誰であったのかは定かでない。

ギリシャ神話では、人類最初の女性は「パンドラ」である。神々によって『人類の災い』として地上に送り込まれた様である。このため我々は、『人類の災い』と懇ろ(ねんごろ)に仲睦まじく暮らしてゆく術をしだいに会得してゆき、ついに今日の人類の繁栄を見るに至った。慶賀至極である。

神々は「パンドラ」に箱を与え、「決して開けてはならぬ」と申し渡した。しかし「パンドラ」は、その後に好奇心に駆られて、ついに『パンドラの箱』を開けてしまった。箱からは様々の災難が飛び出してきて、あわてて箱を閉めてしまった。箱の中には『希望』だけが唯一つ取り残されてしまった様である。
「パンドラ」の夫は「エピメテウス」である。「エピメテウス」の兄が、有名な「プロメテウス」である。人類最初の女性「パンドラ」は、「プロメテウス」の義理の妹であった。

「プロメテウス」は人類に火を与えたので、「ゼウス」の怒りに触れ、カウカソスの山頂に生きながら張り付けにされた。私は『パンドラの箱』の中にあった様々の災難の一つが「プロメテウスの火」ではなかったかと思っている。

プロメテウスの火』という本がある。ノーベル賞受賞者・朝永振一郎博士の著書である。人類が原子力の『パンドラの箱』を開けた事に対する、核物理学者の苦悩が書かれていると聞く。

どなたが原子力を『第二のプロメテウスの火』と呼んだのか、私はよく知らない。『第二のプロメテウスの火』は、広島と長崎で合計約30万人の無辜の市民を虐殺する、凄まじい威力を持っていた。「ゼウス」は何故これを怒らないのだろうか。マッキンリー(北米大陸の最高峰)の山頂に、誰を張り付けにすればいいのだろうか。怒れ「ゼウス」よ。

プロメテウスの火は、人類に文明の灯を燈した。しかし文明の灯はやがて火薬を産み、銃砲弾となって人類を殺戮した
「イヴ」か「パンドラ」の末裔たちは、血塗られた歴史を繰り返している。初めは、刀剣や槍が武器であったが、吹矢や弓の飛び道具が発明され、火薬が発明されてからは、銃砲が武器の主役になってしまった。

日本人が最初に火薬に遭遇したのは鎌倉時代である。蒙古・高麗(コウライ)連合軍が元寇として、対馬・壱岐・九州に襲来した(文永の役:1274年)。この時蒙古・高麗軍が「てつほう:鉄炮」を使用した。直径20センチ程度の球状の陶器で、内部に鉄片や青銅片を火薬・硫黄と共に詰めたものである。逃げる時に炸裂させたものと推定される。長崎県松浦市鷹島の海底遺跡から、元寇の「てつほう」が引き上げられている。

蒙古・高麗軍4万人は、千艘の船団で対馬・壱岐を席巻した。対馬守護代・宗資国(そうすけくに)は、80余騎で応戦し戦死。壱岐守護代・平景隆は100余騎で応戦、翌日自城にこもって自害。蒙古・高麗軍4万人は、対馬・壱岐を征圧した後、数日を経てから博多湾に上陸した。
日本軍は、総大将少弐景資や大友氏・菊池氏その他の御家人たちが大宰府に結集し、蒙古・高麗軍の撃退を図った。日本軍は頑強に抵抗し善戦したようである。蒙古・高麗軍は敗北し、船団は博多湾から退去した。

火薬の話から筆が走って、文永の役の概説まで書いてしまった。6年後再び元寇があった。弘安の役(1281年)である。この時は暴風雨のため元寇の船団は壊滅的な打撃を受け退去し、弘安の役も日本軍の大勝利に終わった。

日本人が「てつほう」に遭遇してから270年ほど後に、種子島の鉄砲伝来(1543年9月/23日)があった。種子島に漂着した中国船にポルトガル人が乗船しており、鉄砲の試射実演をして見せた。島主・種子島恵時は2挺を購入し国産化の研究を命じた。
国産化技術は、堺の商人と根来の僧により本土に持ち込まれ、大量生産が始まった。

長篠の合戦が行われたのは、鉄砲伝来からわずか30年年余り後である。天正3年(1575年)7月9日織田・徳川連合軍は、愛知県新庄市設楽が原(しだらがはら)の決戦場で、3,000挺の鉄砲で武田勝頼軍を猛射し、大打撃を与えて敗走させた。
『プロメテウスの火』は、日本においても恐ろしい勢いで燃え広がっていったのである。

現代における『プロメテウスの火』は、石油・石炭・天然ガス(LNG)等の燃料に受け継がれ、今日の文明を支える基盤となっている。
その一方で、爆薬ともなっていて、銃砲弾・爆弾・ミサイル等として巨大な量が製造・貯蔵されている。大戦争ともなれば、何百万人もの犠牲者が出るだろう。
20世紀は、将に殺戮の世紀であった。20世紀において、全世界で1億人近くが戦争で死亡している。

『プロメテウスの火』のもっとも平和で華麗な転身は、花火であろう。夏の夜空に、巨大で華麗で彩豊富な花を咲かせて見せてくれる。誠に絢爛豪華で、瞬く間に消えてゆく可憐なプロメテウスの火である。

プロメテウスの火は、人類の豊かで幸福な生活や様々の災難を綯交ぜ(ないまぜ)にした、文明そのものである。災害の被害を減らし生活を豊かにするために、「イヴ」や「パンドラ」や「瓊瓊杵尊」の末裔たちは、知恵を絞り努力を重ねて今日の文明を築き上げてきた。

災害の被害を減らし豊かな暮らしを求めて、人間たちは果てしなく知恵と努力の積み重ねを続けている。これは、エデンの園で「知恵の木」の「禁断の果実」を味わった、人類の原罪である。人間である以上この努力を止めるわけにはいかない。

1867年11月7日、マリア・サロメ・スクロドフスカがポーランドで誕生した。彼女こそが『第2のパンドラの箱』を探し出した女性である。ここではその箱を、『マリアの箱』と呼ぶことにする。その女性は、ノーベル賞を2度受賞した、「マダム・キューリー」その人である。

マリアの箱』には、様々な災難として放射能放射性元素が沢山入っていた。「パンドラ」と同じように、「マダム・キューリー」は『マリアの箱』を自分で開けてしまった。彼女は、『放射能・放射性元素の概念』を明確にし、ウラン・トリウム・ラジウム・ポロニウム等が放射性元素であることを発表した。ただしトリウムについては、ドイツの「ゲアハルト・シュミット」が、トリウムの放射線を全く独立に発見し、2か月前に発表していた。

マリアの箱』には、『第2のプロメテウスの火』が詰められていたのである。「マダム・キューリー」は、『マリアの箱』を開けたまま、1934年に他界した。開けられた時、放射能や放射性元素の様々な災難が飛び出してきたが、未だ箱は閉じられてはいない。したがって、「パンドラの箱」に残ったままであった『希望』も、『マリアの箱』の底の方からこの世に出てきたに違いないと、私は信じている。
これからは、人類の知恵と努力で、『第2のプロメテウスの火』をうまく取り扱える技術や機構を、全世界で作り上げなければならないと思う。ヒステリックに悲鳴を上げるだけでは事は収まらない。人間の原罪と心得て、希望を持って努力を重ねるべきである。
以上

2012年8月2日木曜日

日本の総人口の推移予想

● 『死亡率

総人口の推移予想で極めて重要な統計資料は、「死亡率」と「出生率」である。「死亡率」とは年齢毎の1年間の「死亡者数/(死亡者+数生存者数)」の比率である。通常「10万人中1年間で死亡する人数」で表す。

右の図は、2010年の「死亡率」である。厚生労働省大臣官房統計情報部動態・保健統計課のデータから作成した。縦軸が死亡率、横軸が年齢である。70歳位から、加速度的に急上昇する。
40歳までの「死亡率」を、次の図に示す。男女とも8~9歳「死亡率」最低で、10万人中9人程度の「死亡率」である。

8~9歳を過ぎると「死亡率」に『顕著な男女差』が出てくる。男性は女性の倍近い「死亡率」になってしまう。


● 『平均余命』

死亡率に関連するもう一つの統計項目として、『平均余命』がある。
日本人の当人の年齢から、あと何年生きられるだろうかを知る目安となる。日本人の『平均寿命』は、日本人の「0歳児」の平均余命である。

平均余命も平均寿命も『現在の生存者の半数が死亡するまでの期間』である。単純に言えば、生存者の半減期である。
ともがらの半数が他界するのだから、老人にとっては辛い言葉であろう。

右の図は、厚生労働省の平成21年「簡易生命表」から作成した『日本人の平均余命グラフ』である。平成21年(2009年)のデータである。

縦軸が『平均余命』、横軸が『年齢』である。20歳の男性の「平均余命」は60年であるから、60年後(80歳になるまでに)半分の人が他界する。70歳の女性の「平均余命」は20年であるから、20年後(90歳になるまでに)半数の人が他界する。



● 『出生率』

「出生率」についても、年齢別に『一人当たり1年間に、平均何人の子供を産むか』の統計がある。

右の図は、2009年のデータにより作成した。
またこれらのデータにより、『合計特殊出生率』が算出される。

● 『合計特殊出生率

これは『一人の女性が、一生涯に産む子供の数の平均値』である。『合計特殊出生率』が2.08を下回ると、その国の人口は次第に減少してゆく。

各国の『合計特殊出生率』を以下に記載する。
2011年頃のデータである。
    1. 韓国        1.24
    2. 日本        1.39
    3. イタリア      1.41
    4. アメリカ      1.93
    5. スウェーデン    1.94
    6. イギリス       1.96
    7. フランス       2.00
日本の『合計特殊出生率』は、1975年頃から2.0以下となり漸減を続け、2005年最低値1.26となった。その後若干上昇に転じ2011年ほぼ平らで1.39となっている。

現在の大和撫子達は、晩婚傾向が進み、一生涯に平均1.39人の子供しか作らない。従って当面は、日本の人口減少が進むことになる。

● 『日本の人口推移

総務省統計局は、2010年以降の日本の総人口の推移を推定計算している。そのデータをもとに、グラフにしたものが右図である。

2010年の人口が1億2,800万人。今世紀末の2100年の人口は、4,800万人程度である。現在の38%程度の人口になると予想している。

私は、これで良いのだと信じている。

①  国内総生産
真面目で勤勉で利口な日本国民は、人口減少の割合に比べて、国内総生産の落ち込
みは相当以上に緩やかな減少に食い止めると思う。

② 食料自給率
農水省は、「カロリーベース総合食料自給率」と「生産額ベース総合食料自給率」の2種類の統計項目を作っている。
     ● カロリーベース総合食料自給率    39%  2010年
     ● 生産額ベース総合食料自給率     69%  2010年
農水省は、「カロリーベース」を50%以上にするのが悲願の様である。私は貿易立国日本の立場から「生産額ベース」69%の現状で既に十分である』と信じている。

今後人口減少が続けば、例え農水省が無為無策でいても、「カロリーベース」50%以上は、いずれ達成されるであろう。

 ③ 遺産相続
先人たちが残した様々の膨大な遺産は、数少ない子孫たちが受け継ぐ。一人あたりの遺産額は相当大きなものになって行く。裕福な子孫たちよ。

④ エネルギー資源
自然エネルギー利用が進み、人口減少に伴って、国内の原子力発電は不用になる。
自然エネルギー利用の進展と人口減少、メタンハイドレート採掘利用等で、燃料輸入量が大幅に減少する。国内CO2発生量は低下してゆく。

⑤ 待機児童の減少
当面は、保育所不足が問題の様であるが、いずれ間違いなく解消されてゆく。

物事には全て、「良い面」と「克服すべき問題点」がある。
「非難」や「反対」は楽である。「克服すべき問題点」だけを声高に主張すればよい。
しかし物事を推し進めるためには、、「良い面」と「克服すべき問題点」の両方に良い解答を出さなければならない

人口減少の大きな問題点は下記である。

 ① 赤字国債の処理
現在の赤字国債の累積額は1,000兆円を超えている。しかも毎年の赤字国債の発行高は50兆円程度である。2075年には日本の人口は7,000万人以下になる。
この時の国債累積残高は4,000兆円程度になってしまう。国民一人当たり6,000万円程度の政府の借金を背負うことになる。
現在でも国債残高は、GDPの2年分程度であり、「国債残高」/「国内総生産」の比率は、先進国ではワースト1である。
破滅の道を抜け出るためには、『税制の抜本改革』か『インフレ』以外に打つ手は無さそうである。

② 小さな政府・小さな議会の実現
これから人口は顕著に減少してゆくのだから、人口減に見合う議員数・官僚人数の削減が必須・喫緊の課題である。しかし一度膨らんだものを小さくする事には、強力で根強い反発があり大変な労力を払わなければ成就できない。

③大学の整理統合
人口減少により、受験生の数は年毎に減少し、優秀な学生を集めるのが困難になる。
大学の統合整理と、海外留学生の受け入れ拡大が将来の課題となるだろう。
以上