2011年2月8日火曜日

旧友の論説

大学同期の新年会は誠に楽しいものであった。同郷の旧友が痛快な論説を展開してくれたので、ぜひ紹介しておきたい。読者に自信を持って日本の将来を考えてほしいし、彼の沸々とした愛国心を感じてほしい。
私の「異論な話」は「another theory」位に考えていたが、旧友の論説は「an unique opinion」であると彼が主張しているので、その「ユニーク・オピニオン」を出来るだけ忠実に下記に記載する。

              記

今、日本人に一番必要なのは「元気を出すこと・将来に対する希望を持つ事」であるにも拘わらず、政府、新聞・テレビは「中国・韓国は凄い、日本は駄目」の大合唱である。Web等の知識で反対の理由を捏ねてみる。

彼らの言う日本が駄目な理由と、拙論

①円高
 「日本は輸出立国、円高は致命的」は
円高と共に日本は発展してきた。円高は産業・技術の高度化を促し日本を救う。日本の輸出の割合はGDP(国内総生産)の僅か15%であり、内需の方が大切。「日本製品は高級品」のイメージで行くべきだ。
中国・韓国と張り合うことによる技術力の低下、国内産業の空洞化の方が問題である。

(雲行注記:中国・韓国と価格で張り合う事はない。人件費単価の低減や政府補助金の援助でしのぐ考えは愚の骨頂。技術力の格差で競うべし。円高は技術力競争で勝利し獲得した金メダルである。)

②財政赤字
 「日本の借金は、国民総生産の2倍を超している。大変だ。」も
正しくは日本政府の借金である。日本政府は外国に借金している訳ではない。日本は、年間の貿易黒字(10兆円余り)より海外投資の利子収入(15兆円前後)の方が多い程、外国に金を貸している。

(雲行注記:我々国民の預貯金・投資信託が、銀行や信託会社等を通じて日本政府の債務を支え、更に貿易収支の1.5倍の金利収入を海外から得ている。日本国民が、いかに巨額な資産を保有しているかの証である。)

③少子化
 「若者の社会負担増大」が強調されている。遺産の貰い分も増えるのではないか。
日本の適正人口はせいぜい5千万人程度。長い目で見れば少子化大いに結構。

(雲行注記:日本の人口予測シミュレーション計算を行ってみた。予測計算では、2010年~2100年までの間に、年間百万人づつの略直線的人口減が続く。現状の「女性の年齢別出産率」では、日本の総人口が五千万人程度になるのは2090年頃である。



少子化問題での重要課題は、直線的な人口減少に見合った小さな政府・小さな議会に改変してゆく事である。
人口五千万人なら、農水省が何をしなくとも食料自給率の目標50%は自然にクリアーされる。)

④失われた20年
 「バブル以降20年日本だけ進歩なく取り残されている。日本は駄目だ」。
バブル以降20年間「寝ていても」世界第2位の座を維持したことになる。駄目どころかむしろ立派だ。

(雲行注記:「寝ていても」は、マスコミの自虐嗜好に対する皮肉。エコロジー・アニメ・IT・等々頑張った。その他の分野も頑張った。自動車、製鉄、鉄道技術、工作機械や原子力は優等生だ。)

⑤デフレ
 「日本だけがデフレ、大変だ」。
今後世界は持続可能な地球のため、高能率・低消費社会に向かわざるを得ない。日本は高能率低消費社会化の先頭を走っている事は間違いない。その結果のデフレだ。
日本だけがデフレだ。素晴らしい。」と相成る。

(雲行注記:年金暮らしの我ら末期高齢者{公式呼称:高貴?後期?高齢者}にはデフレは誠に有難い。)

日本の行く末を懸念して屁理屈を捏ねてきたが、屁理屈が正当な理屈に思えてきた。今まで世界は「大量生産・大量消費国」を先進国と見てきたが、今後は「高能率・低消費」が先進国の指標とならねばならない(足るを知る人は富む)。日本は、駄目とは程遠い先進国だ。自信を持って今までの道を進めば良い。

(雲行注記:吾唯足知・吾未不冨・可々快笑)

数日前、理工系学生の参加した日本先進技術紹介番組で、素晴らしい日本の技術紹介をした後、結論的に、「世界各国は急速に進歩し先進国化している。日本は反対に先進衰退国だ。」と恐ろしい事を言っていた。学生の夢を壊すなと言いたい。
君たちの先輩は立派な成果を上げてきた。諸君も先輩に習って、慌てず地道に努力すれば、世界のトップ維持は間違いなし。健闘を祈る。」位の事は言ってほしかった。

(雲行注記:その番組で、日本が「先進衰退国」だと言うのであれば、番組担当者に「日本の技術が峠を越えた」とする根拠を聞きたいものだ。)

また先週、駐日ドイツ大使が2時間ぐらいのTV番組で、日本の「失われた20年」について聞かれて、「日本のTV等がそういっているのでそうなんでしょう(皮肉?)。ただ20年ぶりに日本に帰ってきた私の目には日本は確実に豊かに成っています。」と答えていた。

日本での所謂「失われた20年」を肯定的に見る人が居ることは、拙論に自信を与えてくれる。

                               以上。