2009年10月13日火曜日

日本国の最高裁判所は「憲法を守る意思」がない。

 日本国憲法の基本理念は、下記の4項目である。
  1. 主権在民
  2. 人権平等
  3. 三権分立
  4. 戦争放棄

 司法における「主権在民」の根本は最高裁判事の国民投票であり、また「人権平等」の根本は1票の格差を2.0以下にすることである。ところが極めて劣悪な制度設計のため、国民投票の「主権在民」の基本理念が完全に圧殺されてしまっている。そしてまた一票の格差が2.0以上の場合でも、最高裁判所は必ずしも違憲とは認めてはいない。

 今回は論点を絞って、国民投票の問題点を明かにする。

 2009/8/30 第21回目の国民投票が行われた。ところが結果的には『統計大実験』を行ったに過ぎないものになってしまった。6,700万人が投票し、× 印の総数が約4,000万個有った。即ち1票当たりの× 印数は「0.6個/票」である。単純に言えば『過半数の人が、一般的な統計現象に従って× 印を付けてみた。』と言うことである。ここでいう「一般的な統計現象」とは、「なんらの予見もなく、任意気儘に× を付けると、番号の若いほど×が多い」という現象である。 

 投票結果によれば、最も損をしたのは、①番の桜井龍子氏(罷免要求率6.96%)であり、最も得をしたのは⑨番の宮川光治氏(罷免要求率6.00%)である。大雑把な傾向では、番号が進む毎に0.11%づつ罷免要求率が低下して行く。

 ところが、この傾向に頑強に逆らって、特異な罷免要求率を見せたのが③番涌井紀夫氏(7.73%)⑥番那須弘平氏(7.45%)である。この原因は、大略70万人程度が両氏に意図的に×印を付けたからである。これには相応の理由がある。

 一票の格差をなくす運動の「一人一票実現国民会議」http://www.ippyo.org/ があり、ここが投票日前に新聞各紙に「両裁判官に×印を」と新聞1頁の「意見広告」を出していたのである。要するに両裁判官は一票の格差が大きくても「違憲」とは認めなかった裁判官なのである。「彼らに×をつける事が、憲法で謳う主権在民が司法の場で実現される」との主張である。これに賛同し堅固な意思を持って実行した人たちが70万人程度いたのである。

 議員選挙は信任者を選ぶ方式である。候補者名簿から「信任者」を選び、信任者名を用紙に記載させる。『無記載票は、「無効」(棄権)票』としている。ところがもう一方の国民審査では、「不信任者」を選び出して用紙に記載させることはせず、全く不可解千万な処置であるが、、『無記載の裁判官は信任された』と勝手読みさせている空恐ろしい劣悪な制度である。

 このままでは無意味な統計大実験を繰り返すだけで、司法の「主権在民」は金輪際できない。今回の「統計大実験」で、我が日本国の最高裁判事9名が信任されたことになった。

 憲法で謳う「主権在民」・「人権平等」を実現するためには、下記のような投票形式が必要である。

  1. 議員選挙に準じ、信任投票の形式にする。
  2. 信任者には「○」印・不信任者には「×」印を付す。
  3. 無印の人は、投票者が判断放棄(棄権)したものとみなす。
  4. 「×」の方が多かったものは、選挙の結果『不信任』されたものとする。
  5. 選挙公報には、一人A4 1枚程度で、主権在民・人権平等・三権分立・戦争放棄についての考え方と、今までにどんな判断を示してきたかを各自に書かせる。 

  この様な投票形式に改正するのは、法律または告示の改訂で済む話であり、大きな問題はない。本当は毎回、最高裁判事の全員を選挙対象にするのが本筋と思うが、そのためには憲法改訂となるので、不本意ながら選挙対象者については当面の問題には成り難い。

 「訴えのないところに、判断なし」が裁判所の定石の様であるが、憲法の番人を自任する最高裁の意見を伺ってみたいものである。