2013年6月26日水曜日

中国の原子力発電所

1.概要

中国の核施設は、ほとんど中国核工業集団公司とその子会社の所有である。
ウラン濃縮工場は、略中国の中央部である甘粛省蘭州と陜西省漢中の2か所にある。両方合計で1,000トン/年の低濃縮ウランを製造できる。
蘭州には燃料再処理工場も建設中である。

原子力発電所は、海沿いの13か所に設置し稼働中又は建設中である。計画も含めれば、合計47基であり、日本の建設済み54基に比べれば見劣りする。

中国のウラン生産量は、世界第10位で(2008年)770トン/年程度である。現在稼働中の原子炉は、13基程度なので、原子力発電用燃料に限定すれば、産出・濃縮ともに設備余力がある。将来的には、ウランの輸入が必要であろうと思われる。

中国の原子力発電の特徴は、100万kw級の原子力発電所を、設計・建設していることである。さらに、ウラン濃縮から燃料再処理までの一貫設備の準備を進めており、これは日本と同等である。

中国のほとんど全ての原子力発電所は、加圧水型原子炉(PWR)である。日本で炉心溶融事故を起こした、福島第一原子力発電所のような沸騰水型原子炉(BWR)は、1基もない。
ただし韓国と同様、特殊な原子炉を2基だけ設置している。カナダから輸入したCANDU炉で、重水減速の天然ウラン燃料の原子炉である。

下に、原子力発電所の位置を記した中国の地図を示す。


* 印が原子力発電所の位置である。全て海岸部である。
現在の中国の簡略漢字を、日本用漢字に書き換えるのに苦労しました。

2.日本・韓国・中国の比較

          日本            韓国            中国
①人口     1.28億人         0.50億人          13.54億人
②基数     54             32(計画中を含む)    47(計画中を含む)
③基数/人   42.2基/億人       64.0基/億人        3.5基/億人
④原子炉   加圧水型・沸騰水型  加圧水型          加圧水型
⑤所有者   電力9社他        電力公社の子会社    核工業集団公司
                       (水力原子力発電会社)
⑥濃縮工場  1か所           なし             2か所
⑦再処理    1か所           なし             1か所
⑧方向性   廃止を含め検討中   強力推進          強力推進

3.遼寧省の原子力発電所

大連の近くに紅沿河原子力発電所4基を建設中である。2007年から毎年着工し2013年or 2014年運開目標。

4.山東省の原子力発電所

山東半島の青島の近くに海陽原子力発電所3基を建設中である。2009年から毎年着工、2014年から順次運開予定。

5.江蘇省の原子力発電所

田湾原子力発電所2基が稼働中である。運転開始は2006年と2007年である。

6.浙江省の原子力発電所

上海近くの泰山原子力発電所は、1~5号機は稼働中である。2-1,2-2号機はカナダから輸入したCANDU-6である。これも稼働中である。この炉は重水減速の天然ウラン燃料の原子炉である。
三門原子力発電所2基は、2009年着工で2013年10月と2014年6月運開予定。

7.福建省の原子力発電所

北側の福清原子力発電所4基は2008年から毎年着工され、2013年10月から毎年運開予定である。
寧徳原子力発電所4基は2008年と2010年着工し、2014年or 2015年と2016年or 2017年運開予定である。

8.広東省の原子力発電所

大亜湾原子力発電所2基と嶺澳原子力発電所4基は稼働中である。
台山原子力発電所2基は2009年と2010年着工した。フランスの技術を導入した欧州型PWR(加圧水型炉)である。
陽江原子力発電所1~4号機は、2008年から毎年着工された。2013年から毎年運開予定である。5・6号機は計画中である。

9.海南省の原子力発電所

海南島の海南昌江原子力発電所1・2号機は2010年着工で運開は2014年を予定している。3・4号機は計画中である。
以上

2013年6月19日水曜日

見果てぬ夢

先日、昔の職場仲間だった畑中實君が他界した。享年70歳、私より8歳年下である。最後の2年間は、食道がんとの壮絶な苦闘であったと聞く。ただただ涙ながらに、彼のご冥福をお祈りする。
彼は私達と同様の「見果てぬ夢」を追い求めて働き続け生涯を終えた、かけがえのない古くからの仕事仲間であった。

高速増殖炉という、極めて特殊な原子炉がある。「常陽:茨城県」と「もんじゅ:福井県」が、この特殊な原子炉である。
原子炉内にブランケットと云う装置を設けて、天然ウランを置いておくと、原子炉の運転に従って、天然ウランから少しずつプルトニウムが生成されてゆく。
この原子炉の燃料は、プルトニウムを使用する。プルトニウムの核分裂により、原子炉で熱を発生させるが、燃料で消費するプルトニウムよりもブランケットで生成されるプルトニウムの方が多いのである。運転すればするほど燃料が増産されると云う、打ち出の小槌のような「夢の原子炉」である。これは一般の人にとっては「眉唾の話」のように聞こえるかもしれないが、原子力関係者にとっては当然の「常識の話」である。

「夢の原子炉」を「悪夢」と考える人も居るかも知れない。人だけの話ではなく、高速増殖炉を嫌悪する国もある。国連安保理常任理事国(米・英・仏・露・中)等が該当する。これらの国は核兵器を独占しており、常任理事国以外の国が濃縮ウランやプルトニウムを増産する事に対しては、極めて抑圧的に反応する。
常任理事国以外の国で、高速増殖炉を建設しているのは、日本だけである。また世界中で高速増殖炉に興味を持っているのは日本以外ではインドだけであると思う。

高速増殖実験炉「常陽」の設計開始は、1960年頃であった。私も国家プロジェクトの1員として設計・建設に加わった。原子炉容器上部の「回転プラグ」や「原子炉2次冷却系」が、前記畑中(仮名)君を含め我々仕事仲間の担当する部分であった。

高速増殖炉は、原子炉の冷却に液体金属ナトリウムを使用する。金属ナトリウムは常温では固体であり、水とは激しく反応する。水素を発生し苛性ソーダになる。空気中では燃焼し、酸化ナトリウムになる。金属ナトリウムの融点は97.7℃である。
高速増殖炉では、600℃程度の液体ナトリウムを原子炉に循環させて、原子炉から熱を取り出す。原子炉容器や配管は600℃に維持され、真っ赤な灼熱状態であるが、保温材に覆われていて肉眼で見ることはできない。

常陽は、実験炉であるから発電はしない。熱は大気中に捨てているだけである。
2007年燃料交換機構と実験試料計測線の干渉事故があり、現在運転停止中である。この事故でステンレス製のピン数本が原子炉容器内に脱落したようであるが、ピンの回収は困難と思われる。2016年度の運転再開を目指して、復旧作業が行われている。

高速増殖原型炉「もんじゅ」は、1968年頃から国家プロジェクトとして概念設計が開始され、私達もこれに参加した。
1980年安全審査開始・1985年着工・1994年初臨界・1995年発電開始と、プロジェクトは順調に進展していった。しかし同年末に至り、残念ながら1次系ナトリウムの漏洩事故が発生してしまった。温度検出器を装着するウエルの欠損事故である。
右の写真は、自著「原子力発電」から引用した「高速増殖原型炉もんじゅ」の外観写真である。

2010年5月、長期間を要した事故対策も終わり、運転を再開した。しかし「もんじゅ」は、どんな不幸な星の下で生まれたのか、何故かトラブルが多い。同年8月、原子炉容器上部に装着された「燃料の炉内中継装置」が、原子炉容器内に落下し当面吊り上げ回収は困難と判断された。このため、またまた不幸にも長期運転停止となってしまった。

2012年6月14日、原子力規制委員会が「もんじゅ」の初めての立入検査を実施した。機器の点検漏れが1万ヶ所程度あったと公表されている。
現在は誠に残念ではあるが、「もんじゅ」は規制委員会から「無期限の運転停止」を命じられている。


私が液体金属で冷却する原子炉の存在を知ったのは、大学院1回生の時(1958年)である。当時の京大の機械工学科の『蒸気研究室』に、よくもこのような文献があったものである。こんな蒸気機関が地球上に存在するとは、当時の私にとっては晴天の霹靂(ヘキレキ)であった。
それは、米国の原子力潜水艦シーウルフ(USS Seawolf SSN-575)に関する文献だった。

後世の別途の資料から、シーウルフの概要を次に示す。

  1. 起工 1953年9月(ジェネラル・ダイナミックス)
  2. 就役 1957年3月
  3. 除籍 1987年7月
  4. 改装 1958~1960年(液体金属冷却原子炉⇒加圧水型原子炉:PWR)
この青天の霹靂が、私の人生を大きく支配し、人類の未来のエネルギー源・高速増殖炉開発の「見果てぬ夢」を追い続ける仕儀と相成ったのである。
私が三菱原子力に入社後、研究所で「ナトリウム技術開発」の担当を命じられた時(1968年頃)から、私のもっとも幸せな人生が始まったと思う。「見果てぬ夢」が一つ一つ実現してゆく、恐ろしいほどの躍動感が実感できた時代であった。

人生万事「塞翁が馬」である。好事魔多しとも言う。1973年社命で原子力発電所の設計部門に転勤を命じられたのである。加圧水型原子力発電所の設計である。国内の原子力発電所が次々と建設され始めた時代で、会社は人手不足であった。「見果てぬ夢」への未練で、2か月ほどは社命に頑強に抵抗を試みたが、万策尽きて諦める他なかった。
やむを得ない話であると自分自身を納得させ、半ば諦めの心境で転勤した。高速増殖炉は又も「見果てぬ夢」となり、うつつは加圧水型原子力発電所の設計で俸給を戴く生活となってしまった。

定年直前、研究所に戻され副所長を拝命したが、高速増殖炉開発は「見果てぬ夢」で終わってしまった。「見果てぬ夢」は、生易しいものではなかったようである。

高速増殖実験炉常陽は、2016年度の運転再開を目標に復旧作業中。
高速増殖原型炉もんじゅは、無期限の運転停止
我々の時代は終わった。強弩の余勢も終焉を迎えている。

ただひたすらに長嘆息を繰り返すだけである。「見果てぬ夢」は、私の人生だけでは短すぎた。何世代かに渡るバトンリレーが必要だったのである。

張九齢

宿昔青雲の志  蹉跎(サタ)たり白髪の年
誰か知らん明鏡の裏(ウチ) 形影自ら相い憐れむを


人の世に 見果てぬ夢を 残しけり

                   雲行
以上