2010年12月3日金曜日

解決しない普天間問題

1995年沖縄駐留米兵による少女暴行事件を契機として、大規模な普天間基地返還要求運動が巻き起こった。これに即応し、当時の橋本龍太郎首相と駐日米大使との間で下記の様な「普天間基地返還」の合意ができた。
  • 5~7 年後までの全面返還を目指す。
  • 基地移転を実現するため、十分な代替施設を準備する。

これが今日まで全く実現していないのは、日本国政府が机上の検討に終始して15年間を空費してしまった結果に他ならない。

2004年8月沖縄国際大学構内に、米軍ヘリコプターが墜落する事件が起こり、地元の「普天間基地返還」要求は更なる高まりを見た。

2009年自民党政権に終止符が打たれ、民主党鳩山由紀夫内閣が誕生した。発足当初「普天間問題」は、「目標は国外、最低でも県外」移転を高らかに謳ったが、菅直人内閣に替わる直前に、「辺野古」移転案を決めてしまった。全く開いた口が塞がらない、恐れ入った政策の180度急転回であった。鳩山内閣で副首相・経済財政担当であった菅直人氏が、鳩山内閣の後を引き継いだのであるから、「辺野古」移転案はそのまま存続し続けることになる。

鳩山内閣発足当初は、宣言を実現すべく動いたように見受けられた。平野官房長官は、米海兵隊の訓練だけを「徳之島」でと、実現の希薄な話を持掛けたりしていた。米軍は海兵隊の主力をグァム島に引き上げる計画であり、主力の国外移転は労せずして実現しそうであった。しかし最大の問題は普天間に残す800名程度の残留海兵隊である。この勢力だけは、金輪際沖縄から移転するはずがない。その論拠は「異論な話」の2010・5月「抑止力」において詳細に説明している。公約が実現不能になった結果、苦し紛れに800名の海兵隊を「抑止力」と言わざるを得なくなったのであろう。

「辺野古」への基地建設は、地元の同意なしには実現不能である。現状では、地元の同意が得られる目途は全く立たないようで、「普天間問題」は未解決のまま残される。従って、情けない話であるが日本国政府の無為無策により、米海兵隊は今後も普天間に残留し続け、心置きなく猛訓練を続ける事ができる。このため基地周辺の住民は、危険と同居し轟音に耳を塞ぐ生活を強いられ続ける事になる。

以上

2010年7月27日火曜日

底抜けの氷床

 最後の氷河期であるヴュルム氷河期には、様々な地方が氷床・氷河で覆われていた。我が国では仙丈岳大カール(南アルプス)や宝剣岳の千畳敷大カール(中央アルプス)は、ヴュルム氷河期の痕跡として有名である。ヨーロッパアルプスは大氷床に覆われ、スカンジナビア半島・デンマーク半島も大氷床の下だった。
 ところがミランコビッチの氷河期サイクル(前編参照)により、地球温暖化が始まった。当時(数万年前)の人類は極めて謙虚な生活を行っており、温暖化防止・環境保護を唱えるNGO・NPOは全く存在せず、何のキャンペーンも行はれなかった筈である。従って驚くべき速さで温暖化が進展してしまった。約2万年前に、スカンジナビア半島・デンマーク半島・ヨーロッパアルプスから氷床が消失した。一面の白銀の大自然が、草木に覆われた緑の大地と化したのである。これを「無残な自然破壊」と嘆く人々は無論皆無であったろうと推察する。ノルウェー・スウェーデン・デンマーク・フィンランド・バルト3国・等々の人達は、温暖化に足を向けて寝られない筈である。
 しかし近頃の人類ともなれば、「過れば民の嘆きなり、八大竜王 温暖化止めさせ賜え」と鶴岡八幡宮に嘆願しかねない情勢である。

 「閑話休題」。『ダンスガード・オシュガー イベント』(前編参照)は、「現在~25万年前の気温記録」であるが、「25万年以前の記録が残っていないのは何故か」が問題なのである。
 グリーンランドは、「25万年以前は氷床が無く、名前の通りグリーンランドであった。」と考えるのは、全くの早計である。



 グリーンランドの氷床は、厚さ3~4Kmである。氷の温度伝導度は金属の1桁下、大理石・花崗岩と同等である。従って氷床は分厚い布団と考えたほうが良い。表面温度は-30℃でも、底のほうは地熱で暖められて水となっている。(常温の地表を3~4Kmも掘れば、底は地熱で相当に熱く、温泉が噴出する場合もある。)


 要するに、氷床表面に雪が積もり、現在のO18/O16比のデータ記録が残されるが、その積もった分だけ氷床底部では、地熱による氷の融解で折角の古い記録が泡沫(うたかた)として消されてゆく。グリーンランドでの気温データの保管期限は25万年と決められていたのである。


 私の計算では、もしも氷床厚さが1Km以下であれば気温変動データが永久保管された筈である。しかるに誠に残念ではあるが、新しい気温データが次々に雪と共に降り積もって分厚い氷床(布団)となり、底が融け始めて、保管期限が自動的に定められるようになってしまった。



 「閑話複題ヴュルム氷河期の終焉に戻る。ミランコビッチ氷河期サイクルの「スカンジナビア・グリーン計画」は、太陽熱利用のトップダウン方式で強力に推進され、ほんの2万年程度の期間で実現された様である。


 地熱利用のボトムアップ方式に比べ、太陽熱利用のトップダウン方式の融解作業は2桁ほどエネルギーが大きく、厚さ数キロの氷床を2万年程度で雲消霧散させてしまった。



 右側の写真は、中央アルプス宝剣岳の千畳敷大カールである。 ヴュルム氷河期の氷河の痕跡と言われている。

2010年6月27日日曜日

地球温暖化

 地球温暖化を論ずる場合、最初に自分の立場を説明するのが良策と思う。

 現在の平均気温ベクトル(趨勢)が温暖化か寒冷化かの議論には関心が無い。また地球平均気温の「計算シミュレーション」にも、数百年未満の短期モデルにも全く興味が無い。加速度的増大を続ける人類による野放図なCO2発生は、今後抑制に向かわねばならない。エコ技術・自然エネルギー利用・原子力発電の推進等で、抑制は可能である。
 しかしながら、「大気中のCO2濃度の制御で、地球の気候を安定に固定できる」とする様な主張をされると、聴くに耐えない思いがする。自然を恐れぬ「傲慢不遜な考え方」だと思う。

 この様な立場で、地球温暖化を科学的に検討してみたい。


 世界最大の島グリーンランドは、デンマーク領である。実態は南部の沿岸を除けば、殆どは厚さ3~4千メートルの氷床に覆われている。この氷床を上から底までボーリングし、得られた氷柱を分析すれば、過去の地球の気温変動を知ることが出来る。このため、コペンハーゲン大学・日本・ヨーロッパ各国の共同で、氷床掘削プロジェクト(NGRIP)を結成し、島中央部で氷柱を採取し、詳細な分析がなされた。

ウィリー・ダンスガード博士(コペンハーゲン大学)やハンス・オシュガー博士(ベルン大学)等より「25万年前~現在の気温変動の推定」が発表され、「ダンスガード・オシュガー イベント」として有名である。





 横軸が時間。1目盛2万年、左から右に時間が経過し、右端が現在である。縦軸が気温変動。1目盛10℃、現在の気温を基準温度としている。

 これは氷中に含まれる微細気泡中の空気のO16とO18の同位体重量比の変動から導き出したものである(温度が高いほどO18が多い)。

これをみて私は驚愕した。

  1. 激烈な気温変動が極めて頻繁に起こっている。
  2. 5~8℃の気温急変は、過去に掃いて捨てる程沢山散在している。
  3. ここ1万年位は、極めて温暖で変動が少ない。過去に例がない。
  4. -1300年~ -1000年の間の気温上昇は特別激烈で、3℃/1000年 程度である。

 これらは謎であり、説明が付かない。しかし人類によるCO2発生に無関係な事だけは確かである。

 細かい変動は無視して、ゆったりした視点で眺めると、3~4万年周期(氷河期サイクル)の変動が読み取れて、若干安心した。

 地球上では氷河期と間氷期を繰り返す氷河期サイクルがある。どなたがどの様なモデルで温暖化の「計算シミュレーション」をするにせよ、過去の氷河期サイクルを計算で再現できなければ、計算モデルの正当性が疑われる。

 ここで温暖化議論の主役となるCO2の挙動を説明しておく。大気中のCO2と海水中のCO2は化学平衡関係にあり、大気中のCO2量の約2桁ほど大きい量のCO2が海水中に溶け込んでいる。海水中のCO2の1部は、海水中のCa,Mgイオンと結合し炭酸塩となって海底に沈殿除去される。Ca,Mgイオンは、岩石の風化作用により河川水に溶け込み、海水中に供給され続けている。この分だけCO2は確実に除去されているのだが、人類による大気中へのCO2放出量が多すぎて、大気中CO2濃度は漸増を続けている。産業革命以前で280ppm(容積率)程度、「石炭・石油の燃焼・森林伐採」等で20世紀末で360ppmである。80ppmの上昇である。地球の平均気温の上昇により、海水中から大気中にCO2が放出され大気中のCO2濃度が若干上昇するが、大略10ppm/℃程度の効果と見込まれる。産業革命以降平均気温が若干上昇しているとしても、80ppm増は全て人類の責任である。

 CO2は温室効果ガスである。ここで温暖化スパイラルの論理を組み立ててみる。

  1. 大気中のCO2濃度の漸増等で地球の平均気温が上昇する。
  2. 地表積雪面積(期間)が減少し、太陽輻射の吸収量が増大する。
  3. 太陽熱吸収量が増大するので、平均気温は更に上昇する。

 この様にして、温暖化シンドロームに突入する。

 寒冷化スパイラル論理は、下記である。

  1. 地球平均気温が下降し始めたとする。
  2. 地表積雪面積(期間)が拡大し、太陽輻射の吸収量が減少する。
  3. 太陽熱吸収量が減少するので、平均気温は更に下降する。

 これも簡単に、寒冷化シンドロームに突入する。

 問題は、シンドローム回避のために我々は”反転イベント”を創作する必要がある事だ。

 CO2論議だけでは問題解決の糸口は見つからない。金星の大気はCO2であるが、吾等の地球は「水の惑星」である。CO2濃度に比べ大気中の水蒸気濃度は桁違いに大きい。雲や霧が地表を覆い太陽光を反射し、熱吸収を減らすが、出現の時間・場所の変動が大きく全容把握が大変である。さらに水蒸気は、CO2以上に高性能な温室効果ガスである。従って温室効果の主役は水蒸気であり、それにCO2温室効果が若干加算されると考えるのが妥当である。

 これで主役・脇役が出揃った様である。ところがシナリオライターは、主役・脇役抜きで1920~1930年頃に”反転イベント”のシナリオを書上げていた。セルビアの地球学者ミルテン・ミランコビッチ(Milutin Milankovitch)である。地球公転軌道・自転軸傾きの振動・自転軸歳差運動 等から日照量の周期変化を求め、約2万・4万・10万年の3つの周期(ミランコビッチ・サイクル)があることを示していた。

 「ミランコビッチ」シナリオでは、主役・脇役は全く登場していない。しかし現在では脇役CO2の人気が非常に高いようである。「ミランコビッチ」シナリオに主役・脇役を登場させ、いかに上手く温室効果の役どころを演じさせるか、名演出家の出現を期待したい。

 今後の「氷河期サイクル」の科学的な公演を、寿命のある間に観てみたいと期待している。

以上

2010年5月21日金曜日

抑止力

普天間飛行場の返還を巡って、800名程度の米海兵隊が日本侵略に対する抑止力であるかのような議論が行われている。この様な議論を行う場合、米軍基地が何故沖縄にあるのか。米海兵隊はどんな任務を持った兵力であるかを、正しく理解しておく必要がある。

米軍が日本国に軍事基地を持つのは、「日米安全保障条約」第6条による。また別途の地位協定により、基地内は一種の治外法権が認められている。第5条では日本領土内での、日・米何れかへの武力攻撃に対し各自国の憲法上の規定・手続に従って、「共通の危険」に対処する事になっている。この条約こそが、日本侵略に対する抑止力の根源になっている。

驚くべきは、この抑止力の巨大さである。米第7艦隊(U.S.Seventh Fleet)は、太平洋艦隊の指揮下で、西太平洋・インド洋を担当海域とする世界最強の艦隊である。
旗艦は揚陸指揮艦ブルーリッジ(Blue Ridge)で,横須賀を母港としている。主力艦は、原子力空母ジョージ・ワシントン(George Washington)である。300機以上の航空機勢力を有している。更にミサイル巡洋艦2隻、ミサイル駆逐艦7隻および潜水艦隊が横須賀を母港にしている。

第7艦隊遠征打撃組(Expeditionary Strike Group)は、強襲揚陸艦エッセクス(Essex)に司令部を置き、揚陸艦デンバー(Denver)、トーチュガ(Tortuga)、ハーパーズ・フェリー(Harpers Ferry)と掃海艇2隻が長崎県佐世保を母港としている。沖縄県のホワイト・ビーチは第7艦隊の兵站支援港で、同艦隊第76機動部隊の第1水陸両用部隊の母港でもある。
第7艦隊の軍事基地は、この他韓国-釜山,浦項,鎮海にあり、シンガポールにも、兵站補給基地を持っている。

米第7艦隊は艦隊の戦略目的達成のために、極東地域に強力な多数の軍事基地を必用としている。それ故、第7艦隊には日米安保条約が不可欠であり、この条約の締結によって、日本国領内に第7艦隊の多数の強力な軍事基地群を獲得出来た

沖縄にある米軍基地は、第7艦隊の基地だけではない。
  1. ホワイト・ビーチ   第7艦隊:兵站支援港
  2. 普天間飛行場    海兵隊:ヘリ約70機
  3. 北部訓練場 海兵隊管理下:砲撃訓練
  4. 嘉手納飛行場   空軍:約100機常駐
普天間飛行場は、第3海兵遠征軍36海兵航空軍が使用している。海兵隊は艦隊とは別の指揮系統で、太平洋海兵隊に所属する。北部演習場は、海兵隊の砲撃訓練に使用している。嘉手納飛行場は、第5空軍第18航空団管理の極東最大の空軍基地である。

普天間基地移転問題で、巷は随分騒がしい。普天間基地は、海兵800名(支援要員を含め千数百人)が常駐する軍事基地である。海兵隊の戦略目標は、有事の際直ちに「外国の戦略目標拠点」を占拠確保することである。60日以内に戦略目的が達成できれば、米議会の議決・承認は必要としない。このため海兵隊は、駐屯地の基地で常時訓練を実施しており、有事の際は直ちに行動を開始する。米軍が普天間の代わりに辺野古のキャンプシュワブに代替え飛行場を要求するのは当然である。

「訓練だけを鹿児島県徳之島で」という日本の役人の小賢しい話は、米軍は聞く耳を持たないのである。徳之島を持出すなら、徳之島を海兵隊の駐屯地にするしかない。専用飛行場・兵站補給港・射撃訓練場を保障し、基地移転費用一切を負担する覚悟が必要である。

民主党のマニフェストで、普天間基地の移転は「国外・最低でも県外」と言った。社民党福島党首も同様の主張を繰り返している。この主張が実現できそうな案は2つ位しかない。
  1. 米海兵隊駐屯地を徳之島にする。
  2. 米海兵隊駐屯地を長崎県大村市の海上自衛隊基地にする。自衛隊基地をキャンプシュワブに移設する。
普天間の海兵隊は、長崎県佐世保を母港とする第7艦隊の遠征打撃組(Expeditionary Strike Group)との共同作戦が最大戦略目標である。有事の際「佐世保-沖縄」のラインで即応する必用があり、強襲揚陸艦群と海兵隊ヘリコプター群が「戦略目標地」に殺到する。勿論第7艦隊の戦闘機群が目標地の制空権を掌握するであろう。要するに南洋群島の基地からでは、緊急時の初動作戦に間に合わぬのである。此処で言う目標地は当然日本領土ではない。海兵隊は、「防衛」ではなく、拠点の「先制攻撃」を目的とした部隊である。



普天間の第3海兵遠征軍は、有事の際、第7艦隊遠征打撃組との共同作戦で、外国の目標地を一時的に制圧・占拠し、米国人を安全に避難させる目的の部隊である。この部隊の国外移転を日本側が要求しても、米軍は鼻先でせせら笑うだけである。


平野官房長官は、「訓練を徳之島で」と言っている。これでは米軍は納得しない。「徳之島に基地移転」でなければ米軍の納得は得られない。一方住民側の猛反発は当然の成り行きとなる。後は地道な誠意で、住民の納得を得る努力が必要で、平野官房長官の力量が問われる。



海上自衛隊大村基地と沖縄米海兵隊キャンプシュワブ基地の交換は、収まりの良さそうな案である。大村基地は、大村第22航空群司令部が置かれ艦載ヘリコプターを中核とするヘリ基地である。海上にある長崎空港の対岸で、長崎空港連絡橋箕島橋の入り口付近から、北方に向かって滑走路がある。長崎空港A滑走路と呼称され、長崎空港の一部として国土交通省の管轄下である。航空管制も国土交通省が行っている。

海上自衛隊と米海兵隊との基地交換を成立させるには、軍民共用の長崎空港の航空管制権の再吟味や、大村市の騒音問題の再検討などの問題解決が残される。これは以外に難航する課題かもしれない。

纏めて言えば、日本領土侵略に対する抑止力の根源は、「日米安保条約」である。この条約により、米国は日本領土内に多数の軍事基地を獲得し、沖縄普天間に第3海兵遠征軍約800名の海兵隊を駐屯させた。

米海兵隊の戦略目的は、有事の時に佐世保の強襲揚陸艦群と呼応して、外国の目標地点に殺到し、目標地を一時的に占拠することである。目標地経由で米国人の避難・脱出が完了すれば、目的達成であり、米軍も撤収する。行動開始から60日以内に事が完了すれば、米軍の行動は米国議会の議決に拘束されない。

普天間駐屯の第3海兵遠征軍下の海兵隊は、「遠征」が目的であり「防衛」ではない。普天間の海兵隊は、およそ抑止力などと呼ばれる筋合いの代物ではないだろう。

以上

2010年4月29日木曜日

文殊の知恵

 「三人寄れば文殊の知恵」と言われる。どんな三人組でどんな知恵になるのか、考えてみるのも楽しい。ここで言う文殊とは、知恵の仏・文殊菩薩のことである。釈迦如来と両脇に立つ普賢菩薩・文殊菩薩を合わせ、釈迦三尊と言われる。




 「ふげん・もんじゅ」とひらがなで書けば、原子力発電所の名前である。右の写真は福井県敦賀市にある「高速増殖原型炉もんじゅ」の写真である。(独立行政法人日本原子力研究開発機構:Japan Atomic Energy Agency から引用)

 「ふげん」も敦賀市に建設されており、2003/3/29 運転終了し、廃炉の手続・作業が行われている。

 新聞によれば、2010/4/26 西川一誠福井県知事が川端達夫文科相・直嶋正行経産相と「もんじゅ運転再開」について協議した。三人掛りの文殊の知恵で「エネルギー研究開発拠点化計画支援」・「交付金の拡充」・「北陸新幹線福井延伸」などの県知事要望と引換えに、もんじゅ運転再開について「遅滞無く前向きに判断したい」と知事の意向表明がなされた。もんじゅが人質にされていた感も有るが、これでやっと「もんじゅの知恵」が働き始める事になった。

 もんじゅの正式名称にある「高速増殖原型炉」は、専門用語で解説が必要である。この炉の核燃料はプルトニウムである。高速中性子による核反応で、原子炉内に置かれている核分裂しない「ウラン238」を核分裂し易いプルトニウムに変換させる目的の原子炉なのである。しかも驚くことに、運転で消費する燃料プルトニウム量以上のプルトニウムを「ウラン238」から作ることが出来る。運転すればする程燃料保有量が増加する「打出の小槌」なのである。俗称「夢の原子炉」と言われる。しかしこれは「両刃の剣」である。プルトニウムがあれば、原子爆弾は簡単に作れる。
 高速中性子の核反応で、プルトニウムの増殖を行う原子炉を「高速増殖炉」と呼称する。また実用試験の目的で建設する原子炉を「原型炉」と呼称する。もんじゅは発電しながらプルトニウム増殖を行うことを実証する目的で建設された。

 もんじゅの通常運転までの道程は長く、遅々として進まなかった。1968/9 予備設計開始以来、2010/5 の運転再開予定までに実に42年を費やした。「夢の原子炉」実用化までに今後どれだけの長い年月を必要とするのか、老いた私にはもどかしい限りである。

 「夢の原子炉」の夢は「技術者の」夢であって、必ずしも日本国の夢とは限らない。悪夢と思い込む人も居るかも知れない。エネルギー資源を輸入に頼る日本国にとって、「夢の原子炉」の実現は国益上の最重要課題の一つである。ところが一方、国連安保理・常任理事国(米・英・仏・露・中)が、これを歓迎してくれるとは、到底考えることが出来ない。この5ヶ国は核拡散防止に躍起になっており、国連の敵国条項適用国である日・独の核開発には、極めて敏感に抑圧的に反応する。

 5ヶ国以外の核兵器保有を禁止するために、NPT条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty:核兵器不拡散条約)を定め、各国の核技術開発はIAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)の監視下においている。
 NPT条約は常任理事国が強制した不平等条約であるが、常任理事国側に核兵器削減の努力義務を課している。

 もんじゅの知恵の行き着く先は、「夢の原子炉」の夢を実現することである。オバマ大統領は「2020年頃には火星に人を送る」と言っている。そんなことはどうでもいい。日本国の首相は国家百年の大計のため、腹を据えて「夢の原子炉」の夢実現を推し進めて欲しい。枝野行政改革担当大臣・蓮舫議員は、罷り間違ってももんじゅを業務仕分の対象にしてもらっては困る。
 もんじゅの知恵が進み、日本のプルトニウム保有量が増大すると、常任理事国の日本に対する風当たりが強くなり、彼等の嫌悪感は極限近くに迫るだろう。しかしこの事を日本国が恐れて、萎縮してはいけない。この事こそが、日本国の強力な外交カードであり、NPT条約に基づいて常任理事国側に「核兵器削減」を迫る、最大の切り札になり得るからである。

 「もんじゅの知恵」は、勇気と根気が備わってこそ実現できる。鳩山首相・川端文科相・直嶋経産相、腹を据えて「もんじゅの知恵」を生かして欲しい。


以上

 












2010年3月3日水曜日

一票の価値

2009/8/30に行われた衆議院議員・小選挙区(大阪大9区)選挙の「選挙無効請求事件」に関する「大阪高裁の判決文(平成21年12月28日)」を読んでみた。
被告は「大阪府選挙管理委員会」である。判決の要約は下記である。

  1. 原告請求の棄却。(選挙は無効とはしない。)
  2. ただし、選挙は違法である。
  3. 訴訟費用は、被告の負担とする。争点は、「一票の価値」である。議員一人当たりの有権者数の

地域格差が問題点である。高知第3区を 1 とした場合、大阪第9区は 2.063 倍、千葉第4区は 2.203 倍である。憲法では人権の平等を謳っており、「主権者たる国民全員が国政に対し、同じ影響力を持つことこそが憲法の定める国民主権の内容(判決文の引用)」である。

私は理系出身であり、法文解釈の論理説明等は全く肌に合わないと思い込んでいる。しかし今回の裁判の判決については、私は極めて奇異な感じを抱いている。

① 被告が「選挙管理委員会」である

被告は、正しく選挙を実施し大阪府第9区の当選者を決定した。選挙の実施について違法性は無い。憲法は、両議院の「選挙制度の仕組み」を国会の裁量に委ねており、被告には「選挙制度の仕組み」についての裁量権は全く存在しない。被告は「裁量権の無い被告に対する請求事案は、相当ではない」と強く主張すべきであった。

② 何故大阪府第9区だけが違憲であるのか。

この裁判は大阪府第9区に関するものである。千葉第4区も勿論違憲だろう。高知第3区も違憲ではないのか。ただし、訴えの無い所に判断なしである。

③ 2009/8/30 の小選挙区選挙全体が、違憲である。

各選挙区個々に観れば、おのおの正しい選挙がなされ正しく議員が選出された。個々の選挙区に限定すれば、違憲の判断の生じる余地は全く存在しない。違憲の判断の因って来る原因は、選挙全体を見渡した場合に限って、他との比較の上で「一票の価値」に大きな地域格差が生じているのである。したがって、「小選挙区選挙全体」とらえて違憲と言うほかないはずである。何故「大阪府選挙委員会」がこの責任を負って、原告の訴訟費用を負担しなければならないのか。

④ 違憲の当事者は誰か。

第一の当事者は、国会である。「選挙制度の仕組み」を決めるのは国会の裁量による。裁量の権利・義務は国会が負わなくてはならない。

第二の当事者は、内閣である。違憲にならない「選挙制度の仕組み」を提案しなかった。更に麻生内閣は、違憲状態のまま衆議院を解散して問題の選挙を行った。

⑤ 国会を相手に提訴できるか。

「選挙制度の仕組み」は国会の裁量権として、国会を相手に「選挙無効請求事件」の提訴が出来るか。出来るわけがない。! では如何しよう。???

これができれば、誰でも何処に住んでいても、提訴できるのですがね。

⑥ またもや、「事情判決」である。

「違憲であっても、選挙無効とはしない」との「事情判決」は、過去にも行われている。

判決文の「当裁判所の判断」は6頁~28頁に渡って詳細に記載されている。ところが「事情判決」の論拠は、最後のページに気休め程度に極めてあっさりと記載されている。「本件選挙は違法であるが、これを無効とした場合、公の利益に著しい障害が生じることは明らかであり、原告の受ける損害等を考慮してもなお、公共の福祉に適合しないと認められる」とバッサリと切り捨てているだけである。

言語道断である。裁判所判断の半分は(10頁程度か)、「事情判決」を行う論拠について詳細に説明してもらいたい。1. どの様な公の利益に、2. どの様な著しい障害が生じるか説明し、3. 「事情判決」による原告の損害(国民全員の損害)をどの様に認識しているかを、詳しく説明してほしい。

⑦ 法体系の矛盾

「事情判決」は、既成事実の遣り得を認める判決である。

ある意味では、裁判官が自ら法の尊厳を踏みにじる行為を行うことに相当する。相応の尤もらしい論拠が幾つか存在しなければ、決して行うべきでは有るまい。法の尊厳を守るためには、諸葛亮の如く、泣いて馬謖を切らなくてはなるまい。

しかし選挙の無効を宣言し、再選挙をやらせても、違法が解消されるはずが無い。これは絶対的な矛盾である。

⑧ 矛盾の解法

大阪高裁は、被告(大阪府選挙管理委員会)に対し「大阪府第9区における選挙は違法である。」といささか見当違いの判断を示した。

さすれば原告の主張「選挙無効請求」を認め、「大阪府第9区の当選」を無効とすべきであった。これで首尾は一貫する。議員が一人足りなくても、日本国に大した問題が出る訳でもあるまい。

「大阪府第9区」は議員を出さないと、一票の価値が となり憲法違反になる。よって被告は再選挙を始める。再選挙を行えば又々憲法違反になるので、原告は「選挙差し止め請求」を行えばよろしい。裁判の堂々巡りになるが、訴訟費用は多分ほとんど被告負担になるであろう。

とにかく巷を大いに騒がせ、大衆の耳目を集めなくてはならない。政治問題化すれば、政治的に決着せざるを得なくなるであろう。法務大臣、見識を持って頑張って下さい。

以上

2010年2月19日金曜日

調査捕鯨



2010/2/12 のAFP NEWS で、シー・セパードが捕鯨母船 日進丸に酢酸瓶を発射し、3人の軽症被害を報じていた。これは誠に遺憾な行為であり残念に思う。しかしながら、鯨如きにこれ程の情熱を傾けられるシー・セパードにも、聊かの敬意は表しておく。


私は、心底から鯨が好きである。あの巨大な英姿を映像で観るのも、鯨肉を食べるのも好きなのである。ザトウクジラが尾っぽを高々と揚げて飛び跳ねる姿よりも、長須鯨等がゆったりと泳ぎ進む姿の方が遥かに美しいと思う。                       |(財)日本鯨類研究所 提供写真 |

また、鯨肉は焼肉等よりも晒しクジラ(オバイケ)の酢味噌や鯨ベーコンの方が遥かに大好きである。        



                                         |晒しクジラ(オバイケ)|
IWC (International Whaling Commission : 国際捕鯨委員会)は、捕鯨派と反捕鯨派が極端に対立し、殆ど収拾が付かない有様になっている。捕鯨国はノルウェー・日本・アイスランド位である。ただし日本を中心とした捕鯨国の多数派工作が功を奏し、捕鯨容認派も結構増えてきた。このため、3/4以上の賛成を要する重要議決は殆ど全て不可能になってしまった。この多数派工作の大成功は、日本国外務省の輝かしい成果である。問題の多いODA(Official Development Assistance :政府開発援助)を極めて巧みに利用した。
昔は長崎空港で晒しクジラや鯨ベーコンを売っていた。今日では、WEBで調べれば、ミンク鯨のベーコン・オバイケ等を送付販売してくれる店は結構ある。調査捕鯨 様々、万々歳である。
調査捕鯨を実施しているのは「(財)日本鯨類研究所」である。経常収益90億円程度(大部分は鯨肉販売である)。「事実上の商業捕鯨」と息巻く向きもあるが、経常費用も同程度以上掛り、赤字気味である。また研究発表もしっかりやっており「研究所」の看板に偽りは無かろう。
鯨類研究所は、「共同船舶(株)」から捕鯨船団と乗組員をチャーターして、調査捕鯨を実施する。「共同船舶(株)」は、鯨類研究所から「調査捕鯨」を受託するだけの目的で設立された独占事業の正真正銘の民間会社である。
日本は四界を海に取囲まれた、資源の乏しい海洋国である。海洋での既得権益を最大限に守ってゆくのが、日本国の最大の国益に通ずる。何としても、調査捕鯨は続行すべきである。
枝野幸男行政刷新担当大臣は、4月から本格的な事業仕分けに着手すると明言している。この調査捕鯨に関しては、海洋国日本の国益に基づく大切な事業の一つとして、目先の損出に捉われず、だいじに育て上げて欲しい。

19世紀以降の捕鯨の歴史を見ると、乱獲から「自然保護・環境保護」に急旋回してゆく時代の潮流を見事に浮上らせてくれる。
19世紀の欧米の近代捕鯨は、鯨油採取を目的に地球規模の活躍を行い、北極海やベーリング海の鯨資源を荒廃させた。更に西太平洋の捕鯨を目論み、ペルリの浦賀来航となった。
明治以降の日本では、欧米列強に追着き・追越せと、多数の捕鯨会社を設立し、近海捕鯨で頑張った。しかし乱獲が祟って、捕鯨会社の整理統合が進み、大型遠洋捕鯨が主流になって行った。
太平洋戦争敗戦後、食糧難で連合軍から日本の南氷洋捕鯨が許可された。戦勝国の捕鯨目的は採油であったが、日本は油も肉も持ち帰った。当時「鯨肉の生姜焼き」はご馳走であった。
この当時の南氷洋捕鯨は、オリンピック方式であった。毎年 指定日時に参加各国が一斉に捕鯨を開始する。各国の捕獲頭数は毎日集計され、全体の捕獲頭数が所定頭数を超えたとき、オリンピック競技の終了となる。この当時の捕鯨に関しては、戦勝国のダブル・スタンダードは全く無く、フェヤーな素晴らしい方式であった。
国敗れても、我等が日本である。南氷洋の荒波で激しく上下する捕鯨船に乗り、捕鯨砲を構える砲手の技は超人的であった。更に大馬力の捕鯨船を建造して追跡速度を増し、平頭銛(銛の先端を平らにし、水面での跳ね上がりを無くした)を発明して捕鯨砲の命中率を高め、日本の南氷洋捕鯨船団は無敵となってしまった。当然の結果として、1959年日本は南氷洋捕鯨オリンピックで「金メダル」を獲得した。しかしこの途端に世界の潮流は一変してしまった。「公平」さは微塵に砕け、各国の身勝手な言い分だけが際立ってきた。
1960年以降オリンピック方式は廃止され、捕獲量・国別割当制を経て、IWC は捕鯨禁止に大きく傾斜して行く。1982年第34回IWC(国際捕鯨委員会)において商業捕鯨が全面的に禁止されてしまった。要するに石油の採掘量が急増し、各国は鯨油不要で、捕鯨は不採算事業になったのである。但し発言権はしっかり確保しておいたのである。そこで使用できる理屈が「自然保護・環境保護」だったのである。日本は鯨油・鯨肉共に利用しており、捕鯨の採算性は残っていた。従って日本が鯨資源の利用を主張するのは当然であり、また正当な権利でもある。これに反し「自然保護・環境保護」論は論拠が整然とせず、ヒステリックな主張に陥りやすい。要するに、ある程度同情できそうな言い分ではあるが整然とした論拠が見当たらない場合が多い。論拠不明確が当人にも分かっているから、敢えてヒステリックに振舞うのかもしれない。
有史以前から、人類は自然を資源として活用し、果てしなく環境破壊を続けながら、繁栄を続けてきた。「自然との調和」・「環境保護」を唱えてみるのは、環境破壊を続ける我々人類の「言い訳」や「自虐の方便」なのである。本当の人類の知恵とは、「資源利用」と「環境保護」を沈着冷静に上手に調和させて行く事である。
捕鯨論の本質を考えると、「今後の海洋資源の利用の仕組み」に行き着く。「誰が、どの様な権利と義務を持つ仕組みを作るか」または「何の仕組みも作らない事にするか」の国際戦略を巡って、各国の思惑が入り乱れているのである。
我が日本国は、四面楚歌に追い込まれ、捕鯨国として残ったのはノルウェー・日本・アイスランドだけである。ここで日本国は敢然と調査捕鯨に打って出てきている。農水省の権益増大にも繋がるが、ここは国益優先を貫きたい。
鯨類研究所に希望を述べれば、下記について一つづつでも着実に取り組んで、研究を進展させて頂きたい。
1.商業捕鯨が可能な地域・種別捕獲頭数の推定。
2.資源の持続可能な地域・種別捕獲頭数の推定。
3.上記推定のためのシュミレーション用データの研究・調査
以上

2010年1月20日水曜日

イランの核開発

 イランは、NPT発足当初からNPTに加盟している。従って定期的にIAEAの査察を受けながら、着実に核開発を進めてきている。
 1980年頃(イラン-イラク戦争勃発)から、イランはウラン濃縮実験を開始した。

 2006年4月イランの最高指導者アフマディー・ネジャード師は「核燃料サイクルに適合するウランの精製に成功した」と発表した。NPTは核技術の平和利用を禁止していないが、国連安保理は異常な過剰反応を起こし、2006年7月「イランの核開発中止を求める決議案」を採択した。勿論イランは馬耳東風で、2006年11月アフマディー・ネジャード師は「イランは完全な核燃料サイクル技術を獲得した。」と発表した。

 2008年9月「遠心分離機3800基を設置し、低濃縮ウラン480Kgを製造済み。」とIAEA報告。2009年3月「核爆弾1ヶ分の製造原料となる程度の低濃縮ウラン1 ton以上を確保した。」とIAEA報告。
 2009年9月イランは、新たに2ヶ所のウラン濃縮施設を建設中であるとIAEAに連絡した。これには米国オバマ大統領が鋭く反応し、「あらゆる選択肢を排除しない。」と軍事的手段の可能性を示唆する脅しを懸けてきた。
 イランの馬耳東風はさらに続き、2009年11月イランは10ヶ所の濃縮設備の新設を発表した。アメリカに敢えて「NO」と言い続けるイランの面目は、躍如たるものがある。

 順調に進むイランの低濃縮ウランの生産に不安を感じたIAEAは、イランで生産した低濃縮ウラン約1.2 ton をロシアで追加濃縮し、フランスで原子炉燃料に加工してイランに返還する計画を提案した。計画が実施されれば、イランの核兵器開発の懸念は当面回避することが出来る。2009/12/26の毎日新聞によれば、安保理常任理事国(米・英・仏・露・中)+独とイランの間でIAEA提案が協議されたが決裂した様である。

 イランの原子力発電所は、首都 Tehran の南方 1200 Km のBushehr にある。2009/02/25 模擬燃料による試運転を開始した。
 この原子炉はロシア政府の支援で、ロシア国営原子力企業ロスアトムにより建設された。ウラン燃料を装荷した本格運転は、2009年中に開始予定と報道されていたが、2010/01/20現在「本格運転開始」のニュースは未だ聞いていない。
 何れにせよ、ブシェール原発用の燃料製作のため、当分の間はイラン手持ちの濃縮ウラン全てが使用されるので、ここ暫くイランの核兵器保有の懸念は無いと思う。

 「産油大国イランに原子炉は不要である」と考えるのは「他国の論理」である。「電力は原子力で、石油は輸出用」と割り切るのがイランの論理である。産油国も地球温暖化防止のため原子力発電をやるべきだろう。

 しかし、残念ながらイランはいずれ核兵器を持つだろうと私は予想する。勿論アメリカもそのように予想するから、オバマ大統領がイランに脅しを懸けるわけである。
 
 イランの東隣国パキスタンインドと共に核兵器を保有している。イランの西隣国イラクは、国連査察団の詳細な査察で「大量破壊兵器を保持していない。」確認を得て、米国は安心してイラクに侵攻した。これ以降イラクは悲惨な泥沼の戦乱に引き摺り込まれ、未だ平和は訪れていない。
 このような厳然たる事実を前にして、イランが核兵器を持たないまま居続けるとは考えがたい。

 イランが核武装した場合に、最も脅威を感じるのはイスラエルであると思う。イスラエルの核保有が殆ど無意味に近くなるからである。
 1981/06/07イスラエルは、イラクの原子力センターを爆撃した。イラクの核兵器保有を懸念したからであろう。
 イランが核武装し、スカッドミサイルに搭載してイスラエルに打ち込めば、小さなイスラエルは壊滅してしまう。逆にイスラエルが数発の原爆をイランに撃ち込んでも、大きいイランは壊滅しない。 

2010年1月16日土曜日

アメリカとイランの確執

  アメリカの正式名称はアメリカ合衆国 United States of America である。
 イランの正式名称はイラン・イスラム共和国 Islamic Ripublic of Iran である。

 イランは石油輸出国機構 Organization of the Petoroleum Exporting Countries (OPEC) では第2位の産油国であり、天然ガスも極めて豊富でエネルギー資源には全く事欠かない豊かな国である。

 1970年頃のイランはパフラヴィー王朝の時で、「アングロ・イラニアン石油会社」が権益を持ち、米・英 国に牛耳られていた。したがって大きな確執はなかった様
である。ところが1979年のイスラム革命で折角の権益が雲消霧散し、米・英 国は
国外に叩出され、ホメイニ師によるイスラム共和国が誕生した。これにより米国とイランの間に長年にわたる抜差しならぬ確執の図式が始まった。
 翌年1980年9月、米国は強力に武器援助を行っていた西隣国のイラクのサダム・フセインを扇動しイラン-イラク戦争を勃発させた。ところが米国やサダム・フセインの思惑に反し、イランは予想外に強かった。世界中を敵に回して、最後まで戦い抜いたのである。
 この頃のイランは国際的には全く孤立無援であった。欧米諸国は勿論イラク支持であるが、イスラム諸国もイスラム革命の波及を恐れてこぞってイラク支持に回った。ソ連も連邦内のイスラム諸国への波及を恐れイラク支持の一方で、ドサクサに紛れて領土拡大の好機と見て、アフガニスタン侵攻を開始した。孤立無援のイランではあったが、戦死者の山を築きながらもイラクの侵略に耐えに耐え、国境線前後まで押し戻し1982年には膠着状態にまで持込んでいった。
 イラクの侵略に対し、国連はほとんど何もしなかったようである。国連が実際に動いたのは、7年後の1987年である。1987年7月国連安保理は即時停戦の勧告を決議した。両国がこれを受諾し、停戦が行われたのは1988年8月である。
 これで中東に平和が訪れると思いきや、何を血迷ったかサダム・フセインは1990年クウェートに侵攻し、米国の逆鱗に触れて湾岸戦争が勃発した。この時の国連の対応は素早かった。これ以来イラクは泥沼の戦乱に落ち込み、平和憲法の日本までイラク派兵させられたのであるから、気の毒でもあり迷惑でもあった。
 一方平和を勝ち取ったイランは、これ以来敢えて「NO」と言う反米路線を堅持しながら、富国強兵に努めている。1960年頃3,600万人程度であった人口も、2010年には7,000万人程度と見込まれ半世紀で倍増している。ただし今後の人口増加率は小さいと見込まれる。
 近年のアメリカとイランの確執は、イランの核開発である。イランの濃縮ウラン製造は順調に進んでいる様である。







2010年1月13日水曜日

核問題における NPT と IAEA

 核の問題を議論する場合、核拡散防止条約 Nuclear Non-Proliferation Treaty (NPT) と国際原子力機関 International Atomic Energy Agency (IAEA) を正しく理解して置く必要がある。

 NPT は、米・露・英・仏・中(国連安保理 常任理事国)を核兵器国、それ以外の国を非核兵器国としている。そして、非核兵器国は未来永劫非核兵器国であり続ける義務を負う不平等条約である。要するに 日・独 等高度の核技術力の国々が新規に核兵器国になるのを阻止する目的の条約である。
 この条約で、非核兵器国は核兵器の製造・取得を禁止され、IAEA による査察・保障措置が義務付けられている。
 核兵器国は「核軍縮交渉を行う義務」を負っており、交渉は確かに行われた。しかし核兵器配備数は幾許か減少したかも知れないが、保有数は減っていない。
 NPT は、1970年3月に発効し2008年12月での締結国は190ヶ国である。核兵器を保有しているインド・パキスタンは未加盟であり、保有を推定されるイスラエルも未加盟である。
 北朝鮮IAEAの査察を拒否し、1993年3月NPTからの脱退を宣言した。

 IAEA は、各国の原子力施設の査察を目的とした国際機関である。NPT加盟の非核兵器国は、IAEAの査察を受ける。
 2007年現在で加盟国は144ヶ国である。日本IAEA創立当初から指定理事国(13ヶ国)になっている。2009年12月モハメド・エルバラダイ事務局長の退任により、天野之弥氏が事務局長に選任された。