2013年11月24日日曜日

国家リスク

日本は、平和国家である。治安が良く、内乱・騒乱などはまず起こらないと考えて暮らせる、大変有難い国である。
国家破綻確率の低い国ランキングでは、日本は常時10位ぐらいのところにいる。ちなみに最近(2012年)のトップ10を以下に示す。

①ノルウェー
②米国
③スイス
④スウェーデン
⑤英国
⑥オーストラリア
⑦香港
⑧フィンランド
⑨日本
⑩ニュージーランド

日本の内閣には「内閣危機管理監」と呼称する役人のポストがある。このポストは、警察ばたのトップである「警視総監」からの天下り先の一つになっている。この人たちの経験と努力により、常時世界のトップ10入りを果たし、日本国内では枕を高くして就寝することができるのである。
従って、「我々日本人は彼ら警察官僚に対して大いに感謝すべきであろう」と、私は考えている。
ただし温和な日本人の一人として、欲張った話をさせてもらうと、将来的にはランキング⑤⑥位には食い込めるはずだと信じたい。

ただし日本国の危機管理は、もちろんこれだけの話では終わらない。この他にも日本国政府が、どの様なリスク管理をどの程度行い、今日の「平和国家日本」を維持できているのか、あらためて再吟味してみたい。

「国家リスク」管理の最重要項目として下記の5項目を挙げる事ができる。

国際平和の維持
防衛力の維持強化
国内農業の保護育成
資源の備蓄
補給路の確保

国際紛争の回避については、最大限の努力を払うべきである。
独立行政法人・国際協力機構(JICA)が行っている政府開発援助(ODA)は、大変金は掛かるが、発展途上国を日本の味方にできる大切な仕事の1つであると考えられる。

防衛力の維持強化も、最重要項目の1つである。自衛隊は、核兵器は持たないが、世界でも屈指の軍事力を持つところまで強化されてきた。「日米安保条約」とも相まって、日本と本気で戦争をしようと考える国は、まず無い筈である。
日米安保条約」は、日・米いずれかへの攻撃に対し、「各自国の憲法上の規定に従って対処する」事になっている。
戦争を放棄している日本国憲法においては、万一の『有事』の際は、下記のように対処するであろう。

①自衛隊は、日本国民・日本国土の安全のために対処する。
②米軍は、米国民・米軍基地の安全のために対処する。

食料の自給体制は、国家リスク上の最重要項目の一つである。食料自給率には2種類の統計手法がある。

①生産額ベース    69%(2010年)
②カロリーベース    36%(2010年)

私は貿易立国日本が、「生産額ベース」で自給率70%近くとなり、りっぱなものだと思います。農水省は「カロリーベース」で、自給率40%足らずで問題だと考えているようです。
都市近郊で「生鮮野菜」を生産している農家は、「カロリーベース」ではほとんど貢献していませんが、「生産額ベース」では正当に評価されます。

日本は鉱物資源には恵まれていませんが、森林資源に恵まれ、水も豊富です。本気になれば食料自給も可能です。日本の人口は漸減を続け今世紀末には5千万人程度になります。
農水省の基本方針は、「現状維持」のように見受けられます。日本の将来を見据えて、この際農水省は本気になって、農業政策の大転換を検討して戴きたい。

①補助金の出し方
  減反奨励金のような、農産物を作らないことへの税金投入をやめる。
  休耕田・荒地・ゴルフ場の耕地化に補助金を出す。
  大規模農業・機械化奨励金をだす。
  裏作奨励金(農地の有効利用)

 
 
②既得権益の再吟味
  全ての農業規制を廃止し、農業の自由化を進める。農業会社の自由化。
  農業委員会・農協の必要性と役割を再吟味する。

日本は鉱物資源が乏しく、資源の備蓄と補給路の確保はそれぞれ「国家リスク」対応の最重要項目の1つとなっている。
備蓄は、下記に大別できる。

①燃料備蓄
②金属資源備蓄

燃料備蓄は、天然ガス・石油・石炭が大切である。
天然ガスは超低温で液化してLNG輸送船で輸入し、国内のLNG(液化天然ガス)貯蔵基地で貯蔵されている。2~3週間分の貯蔵量である。万一補給路の確保ができなければ、最新鋭の「天然ガス火力発電所」は2~3週間で停止せざるを得なくなる。
石油備蓄は国策として重点的に管理されており、約半年分の備蓄がある。
石炭は、世界各国に幅広く産地が分布しており、「どこからでも簡単に安く輸入できる」として、意図的な備蓄は行っていない。

金属資源備蓄は、独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」で行っている。

対象鉱種

①ニッケル
②クロム
③タングステン
④コバルト
⑤モリブデン
⑥マンガン
⑦バナジウム

半年分の備蓄を目標にしているようである。マンガン・バナジウムは達成率100%であるが、その他は54~78%で目標に達していない。

補給路の確保は、米国第7艦隊に負うところ大であり、我々は第7艦隊に大いに感謝しなければならない。第7艦隊は、横須賀を母港とする揚陸指揮艦「ブルーリッジ」を旗艦とする、世界最強の艦隊である。主力艦は原子力空母「ジョージ・ワシントン」である。
東経160度以西を担当海域としている。具体的にはハワイ諸島の西端から始まる西太平洋とインド洋である。

天然ガスの主要輸入先は下記である。

①ペルシャ湾岸諸国他  41.7%
②オーストラリア      18.2%
③マレーシア        16.8%
④ロシア            9.5%
⑤インドネシア         7.1%
⑥ブルネイ            6.7%

約半分を極東とオーストラリアから輸入し、残り半分をペルシャ湾岸諸国に依存していると考えてよい。いずれの補給路についても第7艦隊の存在を前提にした「シーレーン」の維持が大切である。

石油の輸入先は、サウジアラビアを含むペルシャ湾岸諸国からの輸入が82%程度で、その他は18%程度しかない。
石油の場合は、天然ガス以上にペルシャ湾から日本に至る「シーレーン」の維持が極めて重要である。
これこそが、日本の命綱である。

以上


2013年10月9日水曜日

黒田官兵衛孝高

2013/8/28の「異論な話」で、行雲流水の表題で戦国の名将黒田官兵衛の事を書いた。次の表題を何にするか考慮中であったが、NHKがタイムリーなヒットを打ってくれて歓喜雀躍した。NHKの報道では、2014年の大河ドラマを『黒田官兵衛』にする由である。私としては大喝采・万々歳である。とにかく立派にやってくれよと、期待に胸を大きく膨らませている。

黒田官兵衛孝高は、播磨の国に生まれた。姫路城主小寺家の家老の家柄であり、姫路城代を務めている。
官兵衛30歳(満)に満たない若さながら、織田信長の天才的才能を見抜き、主君小寺政職に織田家への臣従を進言していた。織田信長が、長篠の合戦(1575年)で3千挺の鉄砲を使用して、武田勝頼を完敗させた頃である。

信長から摂津の国を任されていた荒木村重が、信長に謀反し有岡城(兵庫県伊丹市)に籠城した。官兵衛の主君小寺政職も謀反に呼応しようとしたので、主家の存亡の危機を感じて単身有岡城にのりこみ、荒木村重の説得を試みた。黒田官兵衛32歳の時である。もちろんこの時、官兵衛の長子(後の黒田長政)を信長の人質に差し出した上でのことである。
凡人であれば、無難に主家小寺政職の説得だけで済ますところであるが、天下の形勢に明るい官兵衛にとっては、信長への謀反の無謀さに驚いたことであろう。
天下の形勢を話せば、荒木村重にも判ってもらえると信じたに違いない。官兵衛は信義の人であった。


荒木村重は、黒田官兵衛の説得に全く耳を貸さず、官兵衛を城内の岩牢に幽閉してしまった。立つこともできない岩牢であった様である。
帰ってこない官兵衛に対し、短気の信長はしびれを切らし、人質の官兵衛の子の斬首を命じた。
1年後有岡城が落城し、官兵衛は救出された。

幽閉でひざ関節を痛めてしまった官兵衛は、戸板に乗せられて信長の前に運ばれ平伏していた。信長は声も出なかったと思う。自分の短気を深く後悔するとともに、忠臣黒田官兵衛孝高の悲惨な姿に息をのんだに違いない。

有岡城から救出されたのが官兵衛33歳の時である。以後ひざ関節を痛めたため、若干びっこを引いていたとの説もあるが定かではない。
信長から斬首を命じられていた人質の官兵衛の息子は、かねてから官兵衛の人柄を見抜いていた知将竹中半兵衛に秘かにかくまわれていて、無事であった。「天才は天才を知る」の好例である。

黒田官兵衛は百戦連勝の不敗の知将であった。この智謀の軍師は、誠心誠意の正義の将でもあり、決して人を欺かなかった。戦国時代における、屈指の信義の名将と言っていい。
近年において、本能寺の変(1582年6月21日)は黒田官兵衛の策謀であったという人もいるが、この様な人は官兵衛の智謀だけを評価し、官兵衛の人柄に感銘を持たない人物だと思う。
信義の名将が、本能寺の変を画策するはずがない。

最大の受益者を犯人と思わせながら、真犯人を別に用意するのがミステリー作家の常套手段である。「本能jの変」について、今日では様々なミステリーが作られているようである。歴史は、あたかもミステリー作家の様であった。

確かに本能寺の変で最大の利益を得たのは羽柴秀吉であり、秀吉の参謀が黒田官兵衛であった事は事実である。
本能寺の変の時、羽柴秀吉は備中高松城(岡山県岡山市北区高山)の水攻めを行っていた。本能寺の変を知らせる明智光秀方の密偵を捕え、毛利方宛ての光秀密書を読んだ官兵衛は、「主君羽柴秀吉が天下統一の好機を掴んだ」と確信したに違いない。
毛利と急遽和議を結び、「中国大返し」を行い、逆賊明智光秀を天王山の決戦で打ち破った。この時期頃から羽柴秀吉の天下統一まで、黒田官兵衛孝高の智謀は更に冴えわたるのである。

羽柴秀吉の天下統一後は、さすがの黒田官兵衛も、晩年の秀吉の征服欲を抑えきれなかったらしい。
秀吉は、朝鮮・高山国(台湾)・呂宋(ルソン:フィリピン)に使者をだし、朝貢を促している。高山国や呂宋には倭寇や明海賊の基地があるものの、朝貢ができるような統一勢力は存在せず、使者は空しく帰国したようである。一方朝鮮とは話がこじれて、1592年・1598年の2度にわたって朝鮮出兵が行われた。

歴史上では、日本からの最初の朝鮮派兵は倭国の時代である。391年に倭国が百済・新羅を破り従属させている。562年まで朝鮮半島南部を任那日本府が統治していた。
663年白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐・新羅と倭国・百済の軍が激闘し、倭国・百済が敗退した。以降朝鮮半島から日本は撤退している。

逆に朝鮮半島から攻め込まれたのは、1274年・1281年の2度にわたる元寇である。北九州に上陸されたが、いずれも撃退した。
この他に1419年、李氏朝鮮が単独で対馬に侵攻してきた。

閑話休題、本題に戻る。
秀吉の朝鮮出兵では、総大将宇喜多秀家 付の軍監として黒田官兵衛は朝鮮に渡ったが、極めて不本意であった様である。出兵そのものに反対であったに違いない。出兵の手配一切は石田三成に任せ、口出ししなかったようである。朝鮮では碁ばかり打っていて、何もしていなかった。

日本軍・朝鮮軍ともに十数万人を動員した戦争であり、当時としては「世界最大の国際戦争」であった。
1592年4月13日(文禄の役)、日本軍は釜山(プサン)に上陸し、小西行長軍・加藤清正軍・黒田長政(官兵衛の嫡男)軍の3軍に分かれて侵攻した。小西・加藤両軍は早くも5月3日に首都漢城(ハンソン:現在の京城|ソウル)に入場している。
火縄銃ではあるが、日本の銃は極めて優秀で、銃の多用は絶大な威力を発揮したようである。
また7月24日には、小西軍・黒田軍が平壌(ピョンヤン)入場を果たしている。
加藤清正軍は、釜山から東海岸に沿って北進し、7月23日会寧(フェリョン:北朝鮮咸鏡北道)に至り李氏の王子二人を捕縛した。

7月16日 明の援軍が朝鮮半島に到着したが、平壌攻防戦で明軍は早くも敗れ去った。日本軍は明の参戦を見るに及んで進軍は平壌までとし、防御を固める方針を採った。明・朝鮮連合軍も平壌戦敗退に懲りて、講和を申し出てきた。
この時出来上がった講和の話は、だれが画策したのか定かでないが、虚偽欺瞞に満ち満ちた、世界に例を見ない嘘偽りの講和であった。
明朝に対しては、日本側が降伏したと報告され、日本側に対しては朝鮮側が降伏したと報告されているのである。

もちろんこんな嘘偽りの講和が実際に成立するはずがない。講和交渉は決裂し、1597年(慶長の役)日本軍の再度の侵攻作戦が敢行された。戦闘開始日を調べてみたが素人の私にはよく分からない。
釜山には簡単に上陸を果たし、日本軍は釜山周辺に布陣した。出撃を渋っていた朝鮮水軍が7月に釜山攻撃を試みたが失敗し、近くの巨済島(コジェド:きょさいとう)沖に停泊しているのを日本軍が知り、水陸両面攻撃により撃滅した。この海戦で、朝鮮水軍は事実上壊滅した。
9月には日本軍は、全羅道(ぜんらどう:チョルラド|現在の行政区分では北道・南道に分かれている)・忠清道(ちゅうせいどう:チュンチョンド|現在の行政区分では北道・南道に分かれている)・京畿道(けいきどう:キョンギド|現在の行政区分で言えばソウル特別市・仁川広域市や北朝鮮の一部を含む韓国北東部一帯の地域である)まで侵攻した。

日本軍はこれ以上の進軍を取りやめ、各所に新城を作って恒久的な占領を目指した。簡単に言えば、当時の日本軍は現在の韓国領全体の領土化を目論んだのである。
その後紆余曲折はあったが、1598年9月18日豊臣秀吉が死去し、朝鮮の日本軍撤退が行われた。

ここで再度黒田官兵衛の話に戻る。
文禄の役では、総大将宇喜多秀家の軍監として黒田官兵衛は朝鮮に渡ったが、総大将の貫録不足で睨みがきかず、勇み立った小西行長らの暴走があり、十分な采配が取れなかった。止むを得ず官兵衛は、病気を理由にして帰国した。
偽りの講和話が持ち上がった際再渡航したが、石田三成とそりが合わず確執を持ったまま帰国した。同じ知将でも、官兵衛の方がはるかに格上である。もっと大きな度量で石田三成を扱えなかったものかと、私はこの時の官兵衛を大変残念に思っている。

再度の帰国で秀吉の怒りを買い、官兵衛は「如水」と号して出家した。しかし出家後も秀吉には重用された。
1597年の慶長の役では、総大将小早川秀秋の軍監として釜山に滞在している。

黒田官兵衛孝高は、1585年キリスト教の洗礼を受けている。(霊名:ドン・シメオン)。
1587年7月秀吉が「伴天連(ばてれん)追放令」をだしキリスト教弾圧を始めると、信義の仁 官兵衛にとっては、信仰は方便に過ぎず、主君秀吉の命に背かぬことが第一義であった様である。

秀吉の死後からが、黒田官兵衛の真骨頂が発揮される。
即ち織田信長・豊臣秀吉・明智光秀・徳川家康らと並び、黒田官兵衛も天下を狙う「大伴黒主」であった。信義の人「黒田如水」も誰はばかることもなく、本気で天下を狙ったのである。

ただし残念ながら、関ヶ原の天下分け目の大会戦は、東軍方で参戦した官兵衛の嫡男黒田長政の大奮闘などによりあっさり1日でけりがつき、徳川の天下になってしまった。歴史の皮肉は痛烈である。黒田官兵衛孝高は、ぬか喜びしただけになってしまった。

黒田長政は、この功により福岡藩52万石の初代藩主となっている。黒田如水は隠居し、大宰府に一庵を設けてひっそり暮らしていた。
晩年は「如水」の名のごとく、すべてを水に流したように振る舞い、静かな暮らしであった。
1604年4月19日死去。享年満57歳である。
以上











2013年8月28日水曜日

行雲流水

4字熟語の「行雲流水」を新明解国語辞典で引いてみると「一つの事にこだわらず、一切を成り行きに任せる事」と記載されている。私は「雲行」のペンネームでブログ「異論な話」を書き続けているが、「行雲流水」とはおよそかけ離れていて、様々な事柄にこだわり続けた文章を積み重ねている。

「行雲流水」は中国の蘇軾(そしょく)の言である。彼は北宋時代(960年~1127年)の政治家・詩人・書家であった。蘇東坡(そとうば)とも言われていた。日本で言えば平安時代(794年~1185年)にあたる。
蘇軾が書いた「謝民師推官与書:しゃみんしすいかんに与うるの書」に「行雲流水」が出てくる。謝民師は人名で固有名詞であり、推官は当時の官職名の1つである。
現代風の例で示せば、『茂木敏充(もてぎ としみつ)経済産業大臣に贈る書』のようなものと考えられる。

蘇軾が謝民師推官殿に贈った書は「文を創る時の心得」を示したものである。
文を創る時は、初めから決めてかかってはいけない。行雲流水のごとく、自然の成り行きに任せるのである。「行くべきところに流れゆき、止まるところで止まるのである。」と云っている。

日本の戦国時代の武将に黒田官兵衛(孝高:1546年~1604年)がいた。播磨国(兵庫県姫路)に生まれた、智謀の名将である。豊臣秀吉の天下統一に大貢献した1人である。
豊臣秀吉の名参謀「二兵衛」として、竹中半兵衛(1544年~1579年)と共に並び称された人物であった。秀吉から豊前6郡16万石を与えられ、中津(大分県)に城を構えた。秀吉は、官兵衛の智謀の大きさに不気味さを感じていた節があり、官兵衛を重用はしていたが、決して高禄を与えようとはしなかった。
1589年黒田官兵衛は、家督を黒田長政(1568年~1623年)に譲り「如水軒」と号して隠居した、満43歳である。黒田官兵衛は碩学の名将であったから、蘇軾の「行雲流水」に因んで「如水」と号したに違いないと、私は堅く信じている。

黒田如水の子 黒田長政は、関ヶ原の合戦(1600年)において徳川方に属し大きな戦功を挙げて、福岡藩52万石の初代藩主となった。しかしながら黒田如水は、子息の大出世にもかかわらず、喜び半分、不満半分の様であった。天下分け目の戦いが、余りにあっけなく終わってしまったことが、黒田如水には極めて不本意であった様である。

私がペンネーム「雲行」を使い始めたのは、ブログ「異論な話」(2009年10月13日~)を書き始めた時からである。ペンネームの由来は「行雲流水」とは全く無関係である。
私の学生時代のワンダーフォーゲル部の部報のタイトルが「水行末・風来末・雲行末」である。アルトフォーゲル(老鳥)のなれの果てが雲行末であり「雲行」の号が頗る素敵に思えたのである。
ついでながら部報の「水行末・風来末・雲行末」の由来をたどれば、落語の「寿限無寿限無」である。子供の長寿を願って、縁起のいい話を全て名前に取り込み、「寿限無寿限無・・・・水行末・風来末・雲行末・・・・長久命の長助」と名付けた話である。
私は、創部の時から在籍していたワンダーフォーゲル部の古参OBの内の1人です。
私の雲行の号は、まぎれもなく「雲行末」の雲行に由来するものです。

歴史に「もしも」は禁句である。
行動力も智謀も黒田官兵衛の遥か足元にも及ばない私ですが、「もしも」彼の偉大さにあやかって、「行雲流水」に因んだ号を付けるとすれば、「如雲」以外は考え難い。
ところが剣の達人柳生石舟斉(1527年~1606年)の孫に柳生兵庫助(1579年~1650年)がいた。号は「如雲斉」。彼は肥後熊本で加藤清正に仕えていた。この時、故あって古参の将を切り捨てて逐電し、以降は諸国を巡遊していた。

私は「如雲」の号を採らなくて良かったと思っている。

如雲斉 雲行(くもゆき)怪しみ 逐電す

                         雲行
以上


2013年7月14日日曜日

失われた世代

ロストジェネレーション(Lost Generation)を日本語に直すと「失われた世代」である。別称は「失われた10年」である。私はこれを「価値観の転換を求められた世代」と解釈している。日本における最近の「失われた世代」は、1992~2002年の10年間だったと思っている。日本の国内総生産(GDP)が停滞してしまった期間である。
1982年~2009年の日本のGDPを以下に示す。

年   GDP(兆円)
1982  276.2
1992  483.3
2002  489.9
2009  474.0

1982~1992年は、GDPは順調に増大して行った。1993年以降はGDPの伸びは止まり、500兆円/年あたりで停滞してしまった。 
日本国の身の振り方を考えるべき事態に直面したようである。
頼みの綱は、国際収支の経常収支であるが、全く頼りにできない。発電用燃料の輸入増で、貿易収支は2011年以降赤字が続いている。このため経常収支も先細りで、何時赤字になるか心配である。

    移転収支  貿易収支  サービス収支  所得収支  経常収支
2008 -1.35兆円   4.03     -2.14       16.12     16.66
2009 -1.16      4.04     -1.91       12.77     13.74
2010 -1.09      7.98     -1.41       12.41     17.89
2011 -1.11     -1.62      -1.76       14.04       9.55
2012 -1.14     -5.81     -2.49       14.27      4.82
2013 -0.32     -3.20    -0.67        6.46      2.27
(2013年は、年半ばの数値である)

2011年3月11日の東日本大震災により、国内の原子力発電所は実質的に運転停止となり、燃料輸入等が増加し貿易収支が逆転し赤字となった。これに伴い経常収支も悪化し始めた。貿易立国日本の足元が、ふらついてきたようである。日本経済の健康状態も怪しくなってきている。

1993年以降「失われた10年」に入り「価値観の転換」を迫られたが、迫られたまま更に10年を重ね、「失われた20年」となっている。
この20年間、経済学者や法学者は、日本の内需拡大のためにどんな施策を考えてくれたのだろうか。

技術者の手法では、関連する多様な諸条件を漏れなく吟味し、各条件毎に「緻密な実験」又は「数値計算シミュレーション」を行い、この中から最良と思われる方式を選び出して採用する。
経済学者や法学者は、内需拡大の「経済政策シミュレーション」や「法案シミュレーション」を行ったに違いないと思っている。この経済学者・法学者のシミュレーション結果を探しているが、未だ見つからない。私は門外漢だから、探し方を知らないせいだろうと思う。国家機密かも知れない。


少子・高齢化の趨勢の中で、「内需拡大」を画策するには、思い切った価値観の転換が必要である。とにかく「ママパワー」の活用がカギとなると思っている。フィギュアー・スケートの安藤美紀はママパワーの象徴であり、日本の希望の星である。2014年のソチ・オリンピックでの大活躍を切望してやまない。
少子化対策の必須条件は、「子持ち女性の社会進出を全面的に支援する社会機構」を作り上げ、ママパワー全開の日本国にすることである。

少子化の根本原因は、女盛りの20歳台に、女性がほとんど結婚しなくなったからである。昨今の大和撫子は、卵子の老化が心配される30歳台にならないと、結婚を考えてくれないようである。
世界保健機構(WHO)2013年版によれば、日本女性の特殊出生率(女性が一生涯に平均何人の子供を産むか)は1.4である。1.4が長期間続けば、日本民族は滅亡するであろう。
世界各国の中で、1.4の同率の国を探したら結構ある。オーストリア・ドイツ・イタリア・韓国等である。1人っ子政策の中国は1.6で、看板に偽りありだ。

女盛りの20歳代の女性の大部分に結婚していただき、公営の保育園・幼稚園を早急に数多く整備し、ママパワーを全開にしてもらって、「内需拡大」・「労働人口の増大」に繋げることが肝要である。

第2次安倍内閣は、アベノミクスを提唱し、停滞した日本経済の活性化を進めようとしている。どの程度の効果が期待できるのか、私なりに吟味してみた。
アベノミクスの3本の矢は下記である。

  ①紙幣の多量発行
  ②機動的な政府財政支出
  ③民間投資の惹起

2012年12月26日第2次安倍内閣が発足し、2013年3月20日日銀総裁に黒田東彦氏を着任させた。そして市中銀行から日本国債を買い集め、多量の1万円札をばら撒き、①の目標は達成できた。為替は通貨同士の物々交換である。日本通貨がだぶつけば、円安になるのは当然である。2013年7月初旬では、100¥/$ の円安である。だぶついた日本通貨が、現在どうなっているかが肝心な所である。市中に出回って景気回復に役立っていれば万々歳であるが、そうではないらしい。市銀が日銀に設けている当座預金に入れられて、結局だぶついた日本通貨は日銀に戻ってしまった。従て、これ以上の円安の進行は考えがたい。金は金融機関内で動いただけである。

②は、色々な問題を内包しながら、進行中である。パブルの頃の建設業界は巨大な胃袋を持ち、政府の建設投資を悉く呑み込み消化した。
昨今の建設業界は、小柄でスマートになった様である。2011年度の東日本大震災復興予算は、各省庁の合計で15兆円程度あった。実際に年度末までに執行できたのは、9兆円程度で6兆円の食べ残しが発生した。この食べ残しに小雀や嘴太からすが群がった。16基金23事業である。1兆円程度のつまみ食いであったらしい。とっ捕まえて吐き出させても、取り戻せるのは1割の千億円程度の様である。
この様なごたごたした進行状況であるから、「機動的な政府財政支出」とはほど遠いものである。

③は安倍内閣の願望である。安倍首相は具体的手法を持っていない。デフレ脱却には新規需要の掘り起こしが必要であるが、基本的には国民所得が増えない限り、目に見える新規需要は生じ難い。物価上昇目標2%を提唱して、新規需要の掘り起こしを狙うのは、明確な「ばくち」である。この「ばくち」により長期金利の上昇を招くと、国債利払いが恐ろしいほどの巨額になる危険性を孕んでいる。長期金利が3~4%になった場合、国債残高は1000兆円程度だから、30~40兆円/年の金利負担となってしまう。ばくちの副作用である。
ただし、1000兆円の国債の大部分は日銀が保有しているので、巨大な金利負担も結局日銀に収まり、市中には出回らない。帳簿上の話だけで実害は少ないはずである。

アベノミクスの成果は、日銀券の発行だけであったが、円安は 100¥/$ 程度でお終いである。むしろインフレ2%目標のばくちの副作用の方が、遥かに恐ろしいが、これは帳簿上の話である。

折角のアベノミクスではあるが、「GDPの拡大」や「ママパワーの活用」に頭が回っていないのが誠に残念である。日本国政府は、今の所GDPの停滞から脱出する手立てを見付けられないようである。

2013年7月21日は、参議院議員選挙である。皆さん忘れずに選挙に行きましょう。
選挙公報を眺めてみたが、「・・・反対」を叫ぶ政党がやたらと多い。しかし残念ながらGDP拡大策を具体的に提示した政党は、見当たらないようである。私としては止むを得ず、人物本位の無念な投票をすることになる。
以上

2013年7月1日月曜日

台湾の原子力発電

極東の中で最初に原子力発電所を設置したのは、日本である。1957年11月1日、電力会社9社と電源開発(株)の出資により、日本原子力発電(株)が設立された。「原電」又は「日本原電」と略称される。
「原電」により、日本最初の原子力発電所が東海村に建設された。東海原子力発電所1号機である。英国製のコルダーホール型発電炉である。輸入炉ではあるが、耐震性については日本独自の工夫がなされている。中性子減速材は黒鉛であり、燃料は天然ウランを使用する。
1960年1月16日着工、営業運転開始は1966年7月25日である。電気出力は、僅か17万kw程度である。この炉の本来の目的はプルトニウム製造である。燃料再処理は英国が行うことになっていた。運転終了は、1998年3月末日である。以降廃炉作業が行われている。

11年後1971年11月韓国古里原子力発電所着工、12年後1972年6月台湾金山原子力発電所着工の順になっている。韓国に次いで台湾は、極東で3番目の原子力発電所設置地域となった。
第一原子力発電所1号機は、1972年6月2日着工、1978年12月10日営業運転を開始している。出力60万kwの沸騰水型原子炉(BWR)である。福島第一原子力発電所と同型である。
極東で「沸騰水型」と「加圧水型」の両方を設置しているのは、日本と台湾である。韓国と中国は「加圧水型」だけである。

台湾は九州とほぼ同じ位の大きさの島である。世界最大の島はグリーンランド(デンマーク領)である。参考までに本州・北海道・九州・四国と台湾の島面積世界ランキングを示す。

    7位 本州
  21位 北海道
  36位 九州
  38位 台湾
  49位 四国

台湾と九州の対比を行う。参考までに、約倍の面積を持つ韓国も対比に加えた。

         九州            台湾            韓国
①面積    36,749平方km     35,801           100,210
②人口    1,315万人        2,324            5,000
③原発    6基526万kw      6基494万kw        25基2,312万kw
④電力会社 九州電力        台湾電力公司(国営)   韓国電力公社(国)
⑤発送電   独占           独占            分離
 
                                      送電公社株51%国有
                                      多数の発電会社あり

台湾電力の燃料別発電割合は下記である。(2010年統計)

①石炭    49.9%
②天然ガス 24.6%
③原子力  16.9%
④石油    3.8%
⑤水力    2.9%
⑥その他   1.9%

台湾には、ウラン濃縮工場や原子力発電所用の燃料集合体製造工場は全くない。原子力発電所用の燃料集合体は全て、外国に注文して輸入している。
使用済み燃料の再処理も、外国に依存するほかないと推定する。現在のところは、原子力発電所の使用済み核燃料は全て、各原子力発電所毎に各々保管されている。

2011年統計であるが、各発電所の使用済み燃料プールに保管されている使用済み燃料集合体は、合計約15,000体である。各発電所の使用済み燃料プールの保管能力は、合計約20,000体である。
当面問題はないが、早晩「燃料プールの増設」か「使用済み燃料の再処理委託」を行うことになると推測する。

台湾は、火力発電所11か所・水力発電所11か所・原子力発電所3か所がある。目下原子力発電所の4か所目を建設中である。
台北の北方に第一・第二原子力発電所、台湾の南端に第三原子力発電所、台北の東方に第四原子力発電所がある。

各原子炉の一覧表を以下に示す。

場所     号機  万kw   着工    商業稼働   型式
第一      1   60.4   1972/6/2   1978/12/10  沸騰水型(BWR)
(金山)     2   60.4   1973/12/7  1979/7/15   沸騰水型(BWR)
第二      1   94.8   1975/11/19 1981/5/21   沸騰水型(BWR)
(国聖)     2    94.8   1976/3/15  1983/3/16   沸騰水型(BWR)
第三      1   91.9   1978/8/21  1984/5/9    加圧水型(PWR)
(馬鞍山)    2   92.2   1979/2/21  1985/5/18    加圧水型(PWR)
第四      1   130.0   1999/3/31  未定      改良沸騰水型(ABWR)
(竜門)      2   130.0   1999/8/30  未定      改良沸騰水型(ABWR)

改良沸騰水型炉は、日本で改良された沸騰水型の原子炉である。竜門原子力発電所は、米国を経由させる日本からの間接輸入が前提になっている。
住民の反対運動も強く、設置の可否は住民投票(2013年8月の予定)で決める予定である。

福島第一原子力発電所で炉心溶融事故を起こしたMark-I 型のBWRは、安全上の問題点が多い。このため、日本国内では廃炉又は営業運転終了の処置がなされている。
台湾の金山原子力発電所1・2号機は、Mark-I 型の格納容器である。現在も、けなげに頑張って商業運転を続けている。台湾は、日本に負けないほどの巨大地震が起こりうる場所である。ただひたすら無事を祈っている。

台湾の南端から東方80km程の所に蘭嶼という島がある。この島に台湾当局は1980年核廃棄物貯蔵所の建設を開始した。核廃棄物貯蔵は1982年から実施されている。1988年2月、現地のヤミ族の団体が核廃棄物貯蔵所に対する反対運動を始めている。
以上


2013年6月26日水曜日

中国の原子力発電所

1.概要

中国の核施設は、ほとんど中国核工業集団公司とその子会社の所有である。
ウラン濃縮工場は、略中国の中央部である甘粛省蘭州と陜西省漢中の2か所にある。両方合計で1,000トン/年の低濃縮ウランを製造できる。
蘭州には燃料再処理工場も建設中である。

原子力発電所は、海沿いの13か所に設置し稼働中又は建設中である。計画も含めれば、合計47基であり、日本の建設済み54基に比べれば見劣りする。

中国のウラン生産量は、世界第10位で(2008年)770トン/年程度である。現在稼働中の原子炉は、13基程度なので、原子力発電用燃料に限定すれば、産出・濃縮ともに設備余力がある。将来的には、ウランの輸入が必要であろうと思われる。

中国の原子力発電の特徴は、100万kw級の原子力発電所を、設計・建設していることである。さらに、ウラン濃縮から燃料再処理までの一貫設備の準備を進めており、これは日本と同等である。

中国のほとんど全ての原子力発電所は、加圧水型原子炉(PWR)である。日本で炉心溶融事故を起こした、福島第一原子力発電所のような沸騰水型原子炉(BWR)は、1基もない。
ただし韓国と同様、特殊な原子炉を2基だけ設置している。カナダから輸入したCANDU炉で、重水減速の天然ウラン燃料の原子炉である。

下に、原子力発電所の位置を記した中国の地図を示す。


* 印が原子力発電所の位置である。全て海岸部である。
現在の中国の簡略漢字を、日本用漢字に書き換えるのに苦労しました。

2.日本・韓国・中国の比較

          日本            韓国            中国
①人口     1.28億人         0.50億人          13.54億人
②基数     54             32(計画中を含む)    47(計画中を含む)
③基数/人   42.2基/億人       64.0基/億人        3.5基/億人
④原子炉   加圧水型・沸騰水型  加圧水型          加圧水型
⑤所有者   電力9社他        電力公社の子会社    核工業集団公司
                       (水力原子力発電会社)
⑥濃縮工場  1か所           なし             2か所
⑦再処理    1か所           なし             1か所
⑧方向性   廃止を含め検討中   強力推進          強力推進

3.遼寧省の原子力発電所

大連の近くに紅沿河原子力発電所4基を建設中である。2007年から毎年着工し2013年or 2014年運開目標。

4.山東省の原子力発電所

山東半島の青島の近くに海陽原子力発電所3基を建設中である。2009年から毎年着工、2014年から順次運開予定。

5.江蘇省の原子力発電所

田湾原子力発電所2基が稼働中である。運転開始は2006年と2007年である。

6.浙江省の原子力発電所

上海近くの泰山原子力発電所は、1~5号機は稼働中である。2-1,2-2号機はカナダから輸入したCANDU-6である。これも稼働中である。この炉は重水減速の天然ウラン燃料の原子炉である。
三門原子力発電所2基は、2009年着工で2013年10月と2014年6月運開予定。

7.福建省の原子力発電所

北側の福清原子力発電所4基は2008年から毎年着工され、2013年10月から毎年運開予定である。
寧徳原子力発電所4基は2008年と2010年着工し、2014年or 2015年と2016年or 2017年運開予定である。

8.広東省の原子力発電所

大亜湾原子力発電所2基と嶺澳原子力発電所4基は稼働中である。
台山原子力発電所2基は2009年と2010年着工した。フランスの技術を導入した欧州型PWR(加圧水型炉)である。
陽江原子力発電所1~4号機は、2008年から毎年着工された。2013年から毎年運開予定である。5・6号機は計画中である。

9.海南省の原子力発電所

海南島の海南昌江原子力発電所1・2号機は2010年着工で運開は2014年を予定している。3・4号機は計画中である。
以上

2013年6月19日水曜日

見果てぬ夢

先日、昔の職場仲間だった畑中實君が他界した。享年70歳、私より8歳年下である。最後の2年間は、食道がんとの壮絶な苦闘であったと聞く。ただただ涙ながらに、彼のご冥福をお祈りする。
彼は私達と同様の「見果てぬ夢」を追い求めて働き続け生涯を終えた、かけがえのない古くからの仕事仲間であった。

高速増殖炉という、極めて特殊な原子炉がある。「常陽:茨城県」と「もんじゅ:福井県」が、この特殊な原子炉である。
原子炉内にブランケットと云う装置を設けて、天然ウランを置いておくと、原子炉の運転に従って、天然ウランから少しずつプルトニウムが生成されてゆく。
この原子炉の燃料は、プルトニウムを使用する。プルトニウムの核分裂により、原子炉で熱を発生させるが、燃料で消費するプルトニウムよりもブランケットで生成されるプルトニウムの方が多いのである。運転すればするほど燃料が増産されると云う、打ち出の小槌のような「夢の原子炉」である。これは一般の人にとっては「眉唾の話」のように聞こえるかもしれないが、原子力関係者にとっては当然の「常識の話」である。

「夢の原子炉」を「悪夢」と考える人も居るかも知れない。人だけの話ではなく、高速増殖炉を嫌悪する国もある。国連安保理常任理事国(米・英・仏・露・中)等が該当する。これらの国は核兵器を独占しており、常任理事国以外の国が濃縮ウランやプルトニウムを増産する事に対しては、極めて抑圧的に反応する。
常任理事国以外の国で、高速増殖炉を建設しているのは、日本だけである。また世界中で高速増殖炉に興味を持っているのは日本以外ではインドだけであると思う。

高速増殖実験炉「常陽」の設計開始は、1960年頃であった。私も国家プロジェクトの1員として設計・建設に加わった。原子炉容器上部の「回転プラグ」や「原子炉2次冷却系」が、前記畑中(仮名)君を含め我々仕事仲間の担当する部分であった。

高速増殖炉は、原子炉の冷却に液体金属ナトリウムを使用する。金属ナトリウムは常温では固体であり、水とは激しく反応する。水素を発生し苛性ソーダになる。空気中では燃焼し、酸化ナトリウムになる。金属ナトリウムの融点は97.7℃である。
高速増殖炉では、600℃程度の液体ナトリウムを原子炉に循環させて、原子炉から熱を取り出す。原子炉容器や配管は600℃に維持され、真っ赤な灼熱状態であるが、保温材に覆われていて肉眼で見ることはできない。

常陽は、実験炉であるから発電はしない。熱は大気中に捨てているだけである。
2007年燃料交換機構と実験試料計測線の干渉事故があり、現在運転停止中である。この事故でステンレス製のピン数本が原子炉容器内に脱落したようであるが、ピンの回収は困難と思われる。2016年度の運転再開を目指して、復旧作業が行われている。

高速増殖原型炉「もんじゅ」は、1968年頃から国家プロジェクトとして概念設計が開始され、私達もこれに参加した。
1980年安全審査開始・1985年着工・1994年初臨界・1995年発電開始と、プロジェクトは順調に進展していった。しかし同年末に至り、残念ながら1次系ナトリウムの漏洩事故が発生してしまった。温度検出器を装着するウエルの欠損事故である。
右の写真は、自著「原子力発電」から引用した「高速増殖原型炉もんじゅ」の外観写真である。

2010年5月、長期間を要した事故対策も終わり、運転を再開した。しかし「もんじゅ」は、どんな不幸な星の下で生まれたのか、何故かトラブルが多い。同年8月、原子炉容器上部に装着された「燃料の炉内中継装置」が、原子炉容器内に落下し当面吊り上げ回収は困難と判断された。このため、またまた不幸にも長期運転停止となってしまった。

2012年6月14日、原子力規制委員会が「もんじゅ」の初めての立入検査を実施した。機器の点検漏れが1万ヶ所程度あったと公表されている。
現在は誠に残念ではあるが、「もんじゅ」は規制委員会から「無期限の運転停止」を命じられている。


私が液体金属で冷却する原子炉の存在を知ったのは、大学院1回生の時(1958年)である。当時の京大の機械工学科の『蒸気研究室』に、よくもこのような文献があったものである。こんな蒸気機関が地球上に存在するとは、当時の私にとっては晴天の霹靂(ヘキレキ)であった。
それは、米国の原子力潜水艦シーウルフ(USS Seawolf SSN-575)に関する文献だった。

後世の別途の資料から、シーウルフの概要を次に示す。

  1. 起工 1953年9月(ジェネラル・ダイナミックス)
  2. 就役 1957年3月
  3. 除籍 1987年7月
  4. 改装 1958~1960年(液体金属冷却原子炉⇒加圧水型原子炉:PWR)
この青天の霹靂が、私の人生を大きく支配し、人類の未来のエネルギー源・高速増殖炉開発の「見果てぬ夢」を追い続ける仕儀と相成ったのである。
私が三菱原子力に入社後、研究所で「ナトリウム技術開発」の担当を命じられた時(1968年頃)から、私のもっとも幸せな人生が始まったと思う。「見果てぬ夢」が一つ一つ実現してゆく、恐ろしいほどの躍動感が実感できた時代であった。

人生万事「塞翁が馬」である。好事魔多しとも言う。1973年社命で原子力発電所の設計部門に転勤を命じられたのである。加圧水型原子力発電所の設計である。国内の原子力発電所が次々と建設され始めた時代で、会社は人手不足であった。「見果てぬ夢」への未練で、2か月ほどは社命に頑強に抵抗を試みたが、万策尽きて諦める他なかった。
やむを得ない話であると自分自身を納得させ、半ば諦めの心境で転勤した。高速増殖炉は又も「見果てぬ夢」となり、うつつは加圧水型原子力発電所の設計で俸給を戴く生活となってしまった。

定年直前、研究所に戻され副所長を拝命したが、高速増殖炉開発は「見果てぬ夢」で終わってしまった。「見果てぬ夢」は、生易しいものではなかったようである。

高速増殖実験炉常陽は、2016年度の運転再開を目標に復旧作業中。
高速増殖原型炉もんじゅは、無期限の運転停止
我々の時代は終わった。強弩の余勢も終焉を迎えている。

ただひたすらに長嘆息を繰り返すだけである。「見果てぬ夢」は、私の人生だけでは短すぎた。何世代かに渡るバトンリレーが必要だったのである。

張九齢

宿昔青雲の志  蹉跎(サタ)たり白髪の年
誰か知らん明鏡の裏(ウチ) 形影自ら相い憐れむを


人の世に 見果てぬ夢を 残しけり

                   雲行
以上










2013年5月19日日曜日

アベノミクスの冷静な評価

『アベノミクスの真価』で、私は肯定的な期待論を述べていますが、専門家の冷静な見方ではどのように評価されるのか不安であった。
このため旧友に、私のたっての願いとして、『アベノミクスの真価』についてのコメントを求めた。旧友とは誠に有難いものである。直ちに懇切丁寧なコメントを寄せてくれました。
彼の了解を得て、満腔の感謝と共に旧友の論評を出来るだけ正確・忠実に紹介します。以下は旧友の評論を、そのまま記載したものです。(雲行注:は私の注記です。)


金融政策の転換は、以前から一部で主張されてきました。いささか遅まきの転換とゆうべきかもしれませんが、とにかく円安の促進という効果は、かなり実現しつつあります。それが輸出拡大等を通じて、経済拡大とデフレ脱却に一定の効果はもたらすでしょう。
しかし、デフレの克服にまで至るかどうかには、まだまだ疑問が多いです。新型の金融政策は、「人々のインフレ予想に影響を及ぼすことを通じてインフレを実現する」という、新型の今まで試されたことのない政策で、「ばくち」の要素があります。

また、円安は両刃の刃でもあり、行き過ぎると大きなリスクがあります。原発事故でエネルギー輸入依存が大きくなり、電機エレクトロニクス産業などの競争力が基本的に低下している現状では、下手をすると経常収支の長期的激減を通じて、円安に歯止めがかからなくなる危険もあります。ほどほどの円安で止まればよいのですが。(自分の国の通貨の下落を喜んでばかりいて、それによる株高に現をぬかす国が健全でしょうかね。?)

さらに大きな問題は、日本経済の最大の問題であるGDPの2倍以上に達する公債残高(雲行注:本ブログ2012年7月「税金」を参照されたし)をどうするかの明確な政策がないままでの「ばくち的政策」は、多少長期で見ると非常に危険だということです。公債の累積は「少子高齢化の問題」と「経済停滞」によるとみて、前者に対する有効な対策は殆ど無いようですし、アベノミクスの第三の矢もほとんど注目すべきものがなさそうです。
財政出動で景気を支えても、公債累積を加速するだけです。消費税を上げるといっても、それによる増収の多くは使い道が決まっていて、どれだけが財政健全化に回るかさえ分かりません。

日本経済の現状は、本当に危険一歩手前の状態ではないかと思います。アベノミクスの有無にかかわらずそうですが、アベノミクスは一時的には人気を得る代わりに、バブル的なものに終わる公算が高いと私は思います。一層悲惨な結果にならなければ良いがと思っているのは、多分私だけではないでしょう。

一つ大事な点を記し忘れていました。
アベノミクスの一つ、「金融超緩和とインフレターゲット」には一つの矛盾があります。成功してインフレ率が2%になったとすると、常識では長期金利が3~4%にはなるでしょう。日本の公債残高はGDPの200%ある(政府保有分を除いても150%はあると思う)から、発行公債全体の金利の2~3%ポイント上昇による財政の金利負担が、少なくともGDPの2%分は増えるでしょう。公債残高がGDPの1.5倍としても、金利負担の増加はGDPの3%になり、年約15兆円になりますし、公債残高がGDPの2倍とすると、金利負担はGDPの4%も増えます。そうなるとこれだけで「消費税増税5%分」を食ってしまいかねません。
長期金利上昇は、そのほかにも「企業の借入金利の上昇」・「住宅ローン金利の上昇」などを通じて、経済拡大にマイナスに作用します。
もちろん金融超緩和には経済へのプラス効果もあるが、これらはそれをある程度打ち消します。

全体としてどうなるかは、色々な条件によって変わってきますが、公債残高の巨大さの影響や円安の行き過ぎなどが問題になると、マイナス要因が大きくなり、政策自体の変更もあり得ます。超金融緩和が遅すぎたきらいがあるという印象は、公債残高がまだ割合小さい段階でなら有効だったという意味です。
以上は、アベノミクスの大きなリスクの一面です。
以上

2013年5月11日土曜日

アベノミクスの真価

自民党第2次安倍内閣が提唱する「アベノミクス」は、レーガノミクスを真似た命名と思うが、うまい命名である。下記の3つの経済政策が基本となっている。

  1. 紙幣の多量な印刷発行
  2. 機動的な政府財政支出
  3. 民間投資の惹起
これを「3つの矢」と呼称している。

2012年11月16日民主党野田内閣により衆議院が解散され、12月16日第46回衆議院議員選挙が行われた。結果は自民党の大勝となり、12月26日第2次安倍内閣が発足した。
衆議院解散により、自民党政権の可能性も出てきたので、自民党党首安倍晋三提唱のアベノミクスが注目され、衆議院選挙前から思惑買いによる円安・株高の傾向が表れ始めたようである。2013年5月10日現在では、円安・株高はさらに進行し、100¥/$の円安・日経平均株価は14,600円近くに上昇している。

アベノミクスは、名目2%のインフレが謳い文句である。日銀は市中銀行から日本国債を買い集め、1万円札の多量発行を行っている。これが「1の矢」で、既に「射方始め」の号令が掛かっている。
「2の矢」は、政府の災害復興予算等の実施で、昨年度予算は実施された筈であり、本年度も実施されることは間違いない。
「3の矢」が問題である。安倍首相は経済界に③のお願いをしているが、十分な実施が行われるかどうかはわからない。これからの問題である。
3つの矢がそれぞれ有効であったとしても、これだけでは、デフレ脱却にはならない。肝心な話は、労働者の所得が増え、様々な買い替え需要や新規消費が増加し、内需拡大が進行して初めて、貧乏神デフレを退治したことになる。

安倍首相は、毛利の末裔に関係があるのかもしれない。毛利元就の「3つの矢」の話は有名である。アベノミクスは、デフレの泥沼にはまり込んだ轍を動かすために、「3つの矢」を共同して使わなくてはならないと力説しているのである。

私はアベノミクスに大賛成である。維新の会の石原慎太郎衆議院議員もテレビでそのような発言をしていた。私が彼の意見に同感できたのは、この時だけであるかもしれない。
とにかく、アベノミクスで経済の轍が辛うじて動き始めた様に思える。

安倍総理、広島のサンフレッチェ(3-frecce:3本の矢)の話も結構ですが、もっとどでかい「サン・バズーカ」とか「サン・ミサイル」とか近代的な巨大施策の「つるべ撃ち」で、10年来圧迫され続けていたデフレを退散させ、日本経済を立て直し、世界経済に活を入れて戴きたい。

円安で、やっかみ半分の悲鳴を上げているのは、韓国と中国である。韓国は今までの意図的なウォン安政策を棚上げにして、国内的に「円安脅威論」を膨らませるのに躍起になっているようである。中国は「通貨の世界戦争」の危惧を吹聴したいらしい。米国の自動車業界もびくついているに違いない。

アベノミクスの1撃で国際社会は多少揺れ動いたようである。それだけで一応の効果はあったと認めたい。正当な円安で日本経済が立ち直ることは、世界経済にとって極めて大切なことだと私は信じている。完成品の輸出も大切であるが、部品の輸出もそれ以上に大切で、世界経済に大きく貢献する。品質管理の徹底した日本製部品の使用は効率と耐久性が抜群であり、世界中で歓迎されるはずである。

アベノミクスの別の効果も指摘しておきたい。
日銀が市中銀行から徹底的に日本国債を買い上げてしまったことから、日本国債の大部分は日銀の倉庫にしまわれたとみていい。「国債の購入は、通貨の発行額以下に抑える」との日銀内規がある様な話も聞くが、経済的に格別な意味はないらしい。

日本国債の大部分が日銀所有となっていれば、「禿鷹ファンド」等の魑魅魍魎(チミモウリョウ)の暗躍の余地は全くなくなり、日本国債が売り叩かれて暴落する心配は皆無である。また様々な格付け会社が、勝手気ままに日本国債の格付けをしたとしても、気にする必要は全くなくなる。日本国債は安心安全である。

長年にわたる円高で、日本の国際経常収支は2004年の1721億ドルをピークとして減少を続け2012年は590億ドルまで低下してしまった。貿易収支は既に2年連続マイナスである。
これが2013年のアベノミクスにより「正当な円安」に転ずれば、貿易収支はプラスに代わり、経常収支も好転するはずである。これで本来の貿易立国日本に立ち戻れると思う。ただし貿易も大切であるが「国民所得の増加による内需拡大」はそれ以上に肝要であることを忘れてはならない。
以上

2013年3月13日水曜日

Mark-Ⅰ型格納容器

『Mark-I型』は、沸騰水型(BWR)原子力発電所の、格納容器の型式の1つである。「MK-1」と略記される。炉心溶融事故を起こした福島第一原子力発電所は、1~5号機が『Mark-I型』の格納容器である。東日本大震災(2011年3月11日)で炉心溶融事故を起こしたのは、運転中であった1~3号機であった。
4号機の原子炉建屋も水素爆発で大破したが、これは3号機のタービン建屋から水素が回り込んだもので、4号機の炉心溶融事故はなかった。

右図が建設中の『Mark-I型』格納容器である。
フラスコ型の格納容器の下に、ドーナツ型のサプレッション・チェンバー(圧力抑制室)があり、これを蛸足配管で接続した構造である。これ全体が『Mark-I型』格納容器である。
ドーナツ型の「圧力抑制室」の底部には、常時水が貯められている。

「格納容器」の使命は、原子炉の1次冷却水が、万一配管破断事故等で外部に漏水した場合でも、放射能を含む1次系冷却水を「格納容器」内に閉じ込めて、外部の周辺環境に放射性物質を放出しないことである。
1次冷却水は、運転中は高温高圧であり、万一「格納容器」内に漏出した場合は、高温高圧の水蒸気の噴出となる。漏出蒸気は、ドーナツ型の「圧力抑制室」内の水中に噴出して冷却され水となり、格納容器内圧の上昇が抑制される。
中・小規模の『1次冷却水漏出事故』に対しては、極めて有効な合理的構造の格納容器であったと考えられる。

しかしながら『MK-I』の根本的な問題点は、1次冷却系の「大破断等に起因する炉心溶融事故」等の場合の格納容器の機能不全の問題である。
1次冷却水の略全量が「水蒸気」として格納容器内に放出され、更に炉心溶融で燃料被覆管のジルカロイ-水反応による水素発生等で「格納容器」内圧は急上昇し、格納容器内圧は耐圧限度を越えてしまう。この場合当然ながら、格納容器の安全弁は解放され、『放射能を含む1次冷却水の水蒸気や水素』を格納容器外に放出してしまう。
格納容器としての機能が放棄されてしまうのである。

昔の『原子力神話』では、原子炉からの放射性物質の漏出は「3つの金属障壁で守られ絶対に安全である」と言われていた。①ジルカロイの燃料被覆管1次冷却水圧力境界鋼材③格納容器鋼板、がその「3つの金属障壁」である。
2011年3月11日の東日本大震災の地震と津波により、この『原子力神話』は泡沫(うたかた)のごとく崩れ去ってしまった。

炉心溶融により、燃料被覆管は水と反応して大量の水素を発生しながらぼろぼろに破損し、水素は「1次系圧力境界」と「格納容器」を通り抜けて、「原子炉建屋」上部に至り『水素爆発』を起こした。
そして多量の放射能を発電所の周辺環境に放出してしまった。
また、海水中に高レベルの汚染水が流出したことから推定して、格納容器下部での格納容器損傷も当然疑われている。

『MK-I』型格納容器の根本的な問題点を端的に表現すると下記である。

  1. 構造が複雑で、大地震等で損傷を起こす。
  2. 内容積が小さく、1次系破断事故の内圧上昇で簡単に安全弁を開放し環境汚染を招く。
『MK-I』型格納容器を持つ国内の原子力発電所は、下記である。
  1. 福島第一原子力発電所1~5号機(1~4号機:廃炉)
  2. 浜岡原子力発電所1~2号機(2009年1月30日運転終了)
  3. 島根原子力発電所(2010年度以降運転されていない)
『MK-I』型格納容器の原子力発電所は、外国では今も気楽に運転されているようである。
日本は地域独占の大電力会社方式である。米国は日本と異なり、原則的に「発電」・「送配電」が分離されており、小さな発電会社が沢山あり競争している。
米国内の『MK-I』型格納容器の原子力発電所で、今も運転されている原子力発電所は20基をはるかに超えている。これは国情の違いとはいえ、随分と恐ろしい話である。

この輸入炉の設置について、日本国政府は原子力安全委員会に諮問し安全審査を行い、通産省(当時:現在は経済産業省)は安全と認めて設置を認可している。東京電力と共に、日本国政府も福島第一原子力発電所の事故責任の一端は担うべきであろう。
安全審査の委員となった先生方は、『なぜ安全と判断したか』法か基準の見直し・機構や制度上の問題点等について、反省や改善提案が為されるべきであろう。
以上

2013年2月11日月曜日

原子力規制委員会

原子力規制委員会』は、環境省の所管で事務局は「原子力規制庁」におかれている。英訳名はNuclear Regulation Authority(略称「NRA」)である。2012年9月19日発足した。右図は『原子力規制委員会』のロゴである。ホームページは http://www.nsr.go.jp/ である。

委員会は、委員長と委員4名(合計5名)で構成される。委員長と委員は、衆参両議院の同意を得て総理大臣が任命する。任期は5年で、再任も可能である。原子力産業(発電も含む)に関係するものは、委員・委員長にはなれない。

『原子力規制委員会』の任務は、「原子力利用における安全の確保」である。
このため地方機関として「原子力規制事務所」(国内20か所余り)があり、原子力発電所サイトに「原子力保安検査員」(定員152名)と原子力防災専門官(定員30名)が駐在する。
経産省所管であった、「旧・原子力安全保安院」を、『原子力規制委員会』が実行機関として引き継いだものである。人員800名程度、年間予算約376億円(2008年度)であった。

米国にも「原子力規制委員会」がある。Nuclear Regulatory Commission (略称「NRC」)である。任務は、、「原子力利用における安全の確保」と『原子力施設の許認可』である。総人員は約4,000人で非常に多い。年間予算は、2000年度4.7億ドルから2010年度10.7億ドルとほぼ直線的に増大している。「1ドル90円」で換算すると、2010年予算は963億円である。
ただし米国政府の支出は963億円の14%程度135億円で、828億円は「原子力設備設置者」からの『手数料』である。

日本は北海道から九州まで、『9つの巨大な電力会社が地域別に君臨』しており、発電も送電も一手に収めている。
今までは、原子力発電所の許認可権限を、経産省の官僚が握っていた。
以前は電力会社から「原子力発電所の建設許可申請」が出されると、経産省は内閣府の審議会の一つである『原子力安全委員会』に諮問して当該原子力発電所の『安全審査』を実施していた。我が国では、安全委員会は学者先生の名誉職であり、実質的な権限は殆ど無かったようである。日本の『原子力安全委員会』は、米国のNRCのような『実行メンバーを擁する組織体』を持たなかった。

現在は、内閣府の『原子力安全委員会』は存在しない。従って原子力発電所の許認可権限は、実質的に環境省の『原子力規制委員会』が持っていると考えられる。現在の日本の原子力規制委員会』(NRA)は、米国の原子力規制委員会』(NRC)と殆ど同じ権限と機能を持っているようである。

日・米の原子力発電では、国情の相違がきわめて大きい。
日本では前述のように、『9つの巨大な電力会社が地域別に君臨』しており、発電も送電も一手に収めて、競争のない『総原価方式』の独占価格の高い電気料金を享受している。
米国では『発電・送配電分離』が原則であり、『小さな発電会社が沢山あり』、競争の原則が十分に機能している。
このため、発電会社に対する『NRCのきめ細かな監督指導が必須』であり、NRCは多大の要員を抱え、確りした管理機構が必要である。

日本のNRA米国のNRCの対比を行ってみる。

                                         日本のNRA                 米国のNRC
人員            800人(2008年度)              4,000人(2010年度)
予算            380億円                    963億円(11億ドル)
政府支出予算      380億円                    135億円
予算/人員        4,750万円/人                2,410万円/人
     
政府支出予算/人員 4,750万円/人                    388万円/人
管轄下の原子炉    60基程度                    140基程度
摘要            発電炉以外も担当               発電炉以外も担当

①日本の原子炉数は、米国の半分以下。(0.429倍)
②日本の規制要員は、米国の1/5。(日本のNRAは十分機能を果たしているか。)
日本の一人当たり予算は、米国の倍近い。(1.97倍)
④米国では、政府支出節約で、規制相手から手数料を取る仕組みになっている。政府支出は、       NRC予算の14%程度。
⑤このため、米国では『NRCと規制先との癒着』等の疑惑が問題とされているようである。
以上