日本神話では、天上の高天原(たかまがはら)から伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)が、くらげなす漂へるところに、天沼矛(あまのぬぼこ)を入れてかき回し、引き上げて、『豊葦原千五百(とよあしはら・ちいほ)秋の瑞穂の国』即ち日本列島を作られた。
その後、高天原から高千穂の峰を通って瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本国に天下り、統治した。以来『天下り』の伝統は日本の官僚機構に温存され、独立行政法人等への『天下り』が、古式床しく今も行われている。
しかし残念ながら、日本列島の最初の女性が、誰であったのかは定かでない。
ギリシャ神話では、人類最初の女性は「パンドラ」である。神々によって『人類の災い』として地上に送り込まれた様である。このため我々は、『人類の災い』と懇ろ(ねんごろ)に仲睦まじく暮らしてゆく術をしだいに会得してゆき、ついに今日の人類の繁栄を見るに至った。慶賀至極である。
神々は「パンドラ」に箱を与え、「決して開けてはならぬ」と申し渡した。しかし「パンドラ」は、その後に好奇心に駆られて、ついに『パンドラの箱』を開けてしまった。箱からは様々の災難が飛び出してきて、あわてて箱を閉めてしまった。箱の中には『希望』だけが唯一つ取り残されてしまった様である。
「パンドラ」の夫は「エピメテウス」である。「エピメテウス」の兄が、有名な「プロメテウス」である。人類最初の女性「パンドラ」は、「プロメテウス」の義理の妹であった。
「プロメテウス」は人類に火を与えたので、「ゼウス」の怒りに触れ、カウカソスの山頂に生きながら張り付けにされた。私は『パンドラの箱』の中にあった様々の災難の一つが「プロメテウスの火」ではなかったかと思っている。
『プロメテウスの火』という本がある。ノーベル賞受賞者・朝永振一郎博士の著書である。人類が原子力の『パンドラの箱』を開けた事に対する、核物理学者の苦悩が書かれていると聞く。
どなたが原子力を『第二のプロメテウスの火』と呼んだのか、私はよく知らない。『第二のプロメテウスの火』は、広島と長崎で合計約30万人の無辜の市民を虐殺する、凄まじい威力を持っていた。「ゼウス」は何故これを怒らないのだろうか。マッキンリー(北米大陸の最高峰)の山頂に、誰を張り付けにすればいいのだろうか。怒れ「ゼウス」よ。
プロメテウスの火は、人類に文明の灯を燈した。しかし文明の灯はやがて火薬を産み、銃砲弾となって人類を殺戮した。
「イヴ」か「パンドラ」の末裔たちは、血塗られた歴史を繰り返している。初めは、刀剣や槍が武器であったが、吹矢や弓の飛び道具が発明され、火薬が発明されてからは、銃砲が武器の主役になってしまった。
日本人が最初に火薬に遭遇したのは鎌倉時代である。蒙古・高麗(コウライ)連合軍が元寇として、対馬・壱岐・九州に襲来した(文永の役:1274年)。この時蒙古・高麗軍が「てつほう:鉄炮」を使用した。直径20センチ程度の球状の陶器で、内部に鉄片や青銅片を火薬・硫黄と共に詰めたものである。逃げる時に炸裂させたものと推定される。長崎県松浦市鷹島の海底遺跡から、元寇の「てつほう」が引き上げられている。
蒙古・高麗軍4万人は、千艘の船団で対馬・壱岐を席巻した。対馬守護代・宗資国(そうすけくに)は、80余騎で応戦し戦死。壱岐守護代・平景隆は100余騎で応戦、翌日自城にこもって自害。蒙古・高麗軍4万人は、対馬・壱岐を征圧した後、数日を経てから博多湾に上陸した。
日本軍は、総大将少弐景資や大友氏・菊池氏その他の御家人たちが大宰府に結集し、蒙古・高麗軍の撃退を図った。日本軍は頑強に抵抗し善戦したようである。蒙古・高麗軍は敗北し、船団は博多湾から退去した。
火薬の話から筆が走って、文永の役の概説まで書いてしまった。6年後再び元寇があった。弘安の役(1281年)である。この時は暴風雨のため元寇の船団は壊滅的な打撃を受け退去し、弘安の役も日本軍の大勝利に終わった。
日本人が「てつほう」に遭遇してから270年ほど後に、種子島の鉄砲伝来(1543年9月/23日)があった。種子島に漂着した中国船にポルトガル人が乗船しており、鉄砲の試射実演をして見せた。島主・種子島恵時は2挺を購入し国産化の研究を命じた。
国産化技術は、堺の商人と根来の僧により本土に持ち込まれ、大量生産が始まった。
長篠の合戦が行われたのは、鉄砲伝来からわずか30年年余り後である。天正3年(1575年)7月9日織田・徳川連合軍は、愛知県新庄市設楽が原(しだらがはら)の決戦場で、3,000挺の鉄砲で武田勝頼軍を猛射し、大打撃を与えて敗走させた。
『プロメテウスの火』は、日本においても恐ろしい勢いで燃え広がっていったのである。
現代における『プロメテウスの火』は、石油・石炭・天然ガス(LNG)等の燃料に受け継がれ、今日の文明を支える基盤となっている。
その一方で、爆薬ともなっていて、銃砲弾・爆弾・ミサイル等として巨大な量が製造・貯蔵されている。大戦争ともなれば、何百万人もの犠牲者が出るだろう。
20世紀は、将に殺戮の世紀であった。20世紀において、全世界で1億人近くが戦争で死亡している。
『プロメテウスの火』のもっとも平和で華麗な転身は、花火であろう。夏の夜空に、巨大で華麗で彩豊富な花を咲かせて見せてくれる。誠に絢爛豪華で、瞬く間に消えてゆく可憐なプロメテウスの火である。
プロメテウスの火は、人類の豊かで幸福な生活や様々の災難を綯交ぜ(ないまぜ)にした、文明そのものである。災害の被害を減らし生活を豊かにするために、「イヴ」や「パンドラ」や「瓊瓊杵尊」の末裔たちは、知恵を絞り努力を重ねて今日の文明を築き上げてきた。
災害の被害を減らし豊かな暮らしを求めて、人間たちは果てしなく知恵と努力の積み重ねを続けている。これは、エデンの園で「知恵の木」の「禁断の果実」を味わった、人類の原罪である。人間である以上この努力を止めるわけにはいかない。
1867年11月7日、マリア・サロメ・スクロドフスカがポーランドで誕生した。彼女こそが『第2のパンドラの箱』を探し出した女性である。ここではその箱を、『マリアの箱』と呼ぶことにする。その女性は、ノーベル賞を2度受賞した、「マダム・キューリー」その人である。
『マリアの箱』には、様々な災難として放射能や放射性元素が沢山入っていた。「パンドラ」と同じように、「マダム・キューリー」は『マリアの箱』を自分で開けてしまった。彼女は、『放射能・放射性元素の概念』を明確にし、ウラン・トリウム・ラジウム・ポロニウム等が放射性元素であることを発表した。ただしトリウムについては、ドイツの「ゲアハルト・シュミット」が、トリウムの放射線を全く独立に発見し、2か月前に発表していた。
『マリアの箱』には、『第2のプロメテウスの火』が詰められていたのである。「マダム・キューリー」は、『マリアの箱』を開けたまま、1934年に他界した。開けられた時、放射能や放射性元素の様々な災難が飛び出してきたが、未だ箱は閉じられてはいない。したがって、「パンドラの箱」に残ったままであった『希望』も、『マリアの箱』の底の方からこの世に出てきたに違いないと、私は信じている。
これからは、人類の知恵と努力で、『第2のプロメテウスの火』をうまく取り扱える技術や機構を、全世界で作り上げなければならないと思う。ヒステリックに悲鳴を上げるだけでは事は収まらない。人間の原罪と心得て、希望を持って努力を重ねるべきである。
以上
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