2020年8月25日火曜日

継体天皇

 継体天皇は、日本の第26代天皇である。在位は、西暦507 ~ 531年である。

日本書紀では、男大迹王(をほどのおおきみ)、古事記では 袁本杼命(をほどのみこと)と記されている。先代が武烈天皇、次代が安閑天皇である。

継体天皇の誕生は450年頃、崩御は531年である。出生地は、近江の国高嶋郷三尾野(現 滋賀県高島市)である。

『記紀:古事記・日本書紀』では、第15代 応神天皇の5世の子孫と記している。下記の何天皇に該当するのか、私には良く判らない。私は判然としなくても一向に構わないと考えています。「5世の子孫」とは、「ほぼ他人になりかけた」末裔です。「5世の子孫」、にどれ程の信憑性があるのか疑問です。古い話には、「5世の子孫」が良く出てきます。要注意です。

現代で使用される『親等』を基準にすれば、親子関係が 1『親等』です。爺婆と孫は、2『親等』です。兄弟姉妹は、2『親等』。従兄弟姉妹(いとこ)は、3『親等』です。

15代 応神天皇 ― 16代 仁徳天皇 ―  ・ ―17代 履中天皇

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                  ・―18代 反正天皇

                  ・―19代  継体天皇は、日本の第26代天皇である。在位は、西暦507 ~ 531年である。


日本書紀では、男大迹王(をほどのおおきみ)、古事記では 袁本杼命(をほどのみこと)と記されている。先代が武烈天皇、次代が安閑天皇である。


継体天皇の誕生は450年頃、崩御は531年である。出生地は、近江の国高嶋郷三尾野(現 滋賀県高島市)である。

『記紀:古事記・日本書紀』では、第15代 応神天皇の5世の子孫と記している。下記の何天皇に該当するのか、私には良く判らない。私は判然としなくても一向に構わないと考えています。「5世の子孫」とは、「ほぼ他人に、なりかけた」末裔です。「5世の子孫」、にどれ程の信憑性があるのか疑問です。古い話には、「5世の子孫」が良く出てきます。要注意です。

現代で使用される『親等』を基準にすれば、親子関係が 1『親等』です。爺婆と孫は、2『親等』です。兄弟姉妹は、2『親等』。従兄弟姉妹(いとこ)は、3『親等』です。

15代 応神天皇 ― 16代 仁徳天皇 ― ・ ―17代 履中天皇          

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                  ・―18代 反正天皇

                  ・―19代 允恭天皇・―20代 安康天皇

                    (いんぎょう)・―21代 雄略天皇

20代 安康天皇は、『殺害されたと明確に記された最初の天皇である。』

25代 武烈天皇は、「日本書紀」には「悪逆非道」ぶりを、細かく列記しているが、「古事記」にはいっさい記載がない。武烈天皇は後継がなく崩御された。西暦506年である。

有力豪族たちが協議し、507年 第26代 継体天皇の即位となった。「旧唐書(くとうじょ)は、945年に完成している。この中に、「倭国伝」と「日本国伝」が併記されている。「旧唐書」は、倭国が国号を「日本」に改めたか、小国であった日本が「倭国」を併合したか、何れかだろうと推察している。

                                    以上



                   

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