- 逸脱
- 異常事象
- 重大な異常事象
- 事業所外への大きなリスクを伴わない事故
- 事業所外へリスクを伴う事故
- 大事故
- 深刻な事故
『 レベル7 』の筆頭として「チェルノブイリ原発事故」を挙げることができ、次に「福島第一原発事故」を挙げなければならない。
原発事故としてその次に大きいのが、『 レベル5 』の「スリーマイル島原発事故」である。
チェルノブイリ原発4号機は、黒鉛減速・圧力管型原子炉であり、福島第一原発1・2・3号機は沸騰水型軽水炉(BWR)であった。スリーマイル島原発2号機は加圧水型軽水炉(PWR)である。
それぞれ原子炉の型式は異なっているが、これらの事故と被害の概要を取り纏めた。
米国型の原発は格納容器を持ち、原子炉本体や主要部分は格納容器内に収納しており、万一の事故が発生しても放射性物質を環境に放出しない設計思想となっている。
ソ連の原子炉は格納容器がないので、事故の際の放射性物質の環境放出は深刻な事態となってしまった。
1.チェルノブイリ原発事故
炉形式は、ソ連独自の黒鉛中性子減速・圧力管型軽水炉である。
ウクライナの首都キエフの北北西 ベラルーシの国境近くにチェルノブイリ原発があり、停止中の4号機が運転員の誤操作により暴走した。1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)事故が発生した。
翌27日スウェーデン・フォルスマルク原発の環境線量モニターが、特定核種の高線量の放射性物質を検出した。東風に乗って、チェルノブイリから運ばれたものである。ソ連政府は国内外において事故を極秘にしていたが、スウェーデン政府当局の調査や近隣諸国の同様の報告もあり、4月28日チェルノブイリ原発事故の事実を認めた。
29日にはアメリカが、軍事偵察衛星の写真を公表した。チェルノブイリ原発4号機の原子炉建屋の屋根が吹き飛ばされ開口している写真である。
炉心溶融事故(メルトダウン)であり、水蒸気爆発と水素爆発(ジルカロイ・水反応による水素発生)
の2つの爆発も起こっている。更に中性子減速材の黒鉛も火災を起こしていた。史上最悪の原発事故である。
チェルノブイリ原発のごく近くに、人口5万人程のプリピャチ市が造られていた。チェルノブイリ原発の従業員居住地とし、建設当時は機密都市として地図上には記載されなかった。ソ連政府は、事故の翌日から10km圏内の近隣住民の避難を開始し、5月2日には30km圏内の住民の避難を決定している。
ウクライナ中から1200台ほどのバスが集められ、プリピャチ市民は居住地から撤退していった。現在は無人のゴーストタウンとなっているようである。
事故後多雨であったドイツでは、ビニールハウス栽培の野菜の汚染が起こった。潅水に雨水を使用したためである。牧草地も汚染され、牛の放牧も問題となったようである。
フランスにも汚染は及んだと推定されるが、国内に多数の原発を保有するフランスは、チェルノブイリ原発事故の汚染の影響を黙殺してしまった。
原発事故での直接の死者は、ソ連当局の発表では原発運転員・消防士合わせて33名である。実際には、この他にも事故処理に動員された予備兵・軍人・労働者にも多数の死者が確認されているようであるが、詳細不明である。
長期的な放射線障害の推定は百家争鳴の状態で、取り纏め記載は極めて困難で不可能に近くここでは省略する。
2.福島第一原発事故
福島第一原子力発電所の所在地は、福島県双葉郡大熊町・双葉町である。東京電力(株)所有の発電所である。
原子炉の形式は、沸騰水型軽水炉(BWR)で、1号機電気出力46万kw、2 ~4 号機76.4万kwであった。メーカーは、1号機米国GE社、2号機GE・東芝、3号機東芝、4号機日立である。
東日本大震災が、2011年3月11日14時46分過ぎに発生した。原発所在地の大熊町で、震度6 強・最大地震加速度550ガルであった。
運転中の福島第一原子力発電所1・2・3 号機は、地震動を検知し自動的に緊急停止を行った。しかし地震動と津波により、全交流電源を喪失し『原子炉余熱』の冷却が不可能となり、炉心溶融事故となってしまった。
付近には福島第二原子力発電所(東電)や女川原子力発電所(東北電)があった。
いずれも運転中であったが、緊急停止し深刻な事態には至っていない。
国内で作成された事故調査報告書は沢山あるが、主要なものを以下に列記する。
- 政府事故調
閣議決定により調査委員会が設置され、東大名誉教授(機械工学)畑村洋太郎氏を委員長として活動した。
- 国会事故調
2012年7月5日事故調査報告書が提出されている。
- 東電事故調電
2012年6月20日付で公表している。
委員長は山崎雅男氏である。
- その他事故調
事故の経過概要を以下に記述する。
東日本大震災発生時の、各発電所の状況。
- 1・2・3 号機は運転中。電気出力46万kw、78.4万kw、78.4万kw。
- 4号機は、分解点検中。
- 5・6号機は定期検査中。
高電圧送電線の鉄塔1基が倒壊したため、外部からの供給電源を失った。又発電所への送電線は、地震動でショート・断線し、変電所や遮断機等の諸設備の故障が起こっていた。
唯一つの頼みは「非常用ディーゼル発電機」であったが、地震後の津波により水没した。
全交流電源喪失状態に陥り、原子炉余熱の冷却手段を失って、1・2・3 号機は炉心溶融事故にまで至ってしまった。
炉心溶融により、燃料棒被覆管の「ジルカロイ」合金と水との反応で水素が多量に発生し、水素ガス爆発により 1・3 号機の原子炉建屋・タービン建屋と周辺設備を大破した。
2号機はブロウアウトパネルが解放され、水素ガス爆発は起こっていない。分解点検中の4号機は、3号機を経由して水素ガスが供給されガス爆発を起こしている。
弊著「原子力発電」から引用。事故以前の福島第一原子力発電所(東京電力提供)。
手前から4・3・2・1 号機。
若干離れて5・6 号機。
震災の翌日(3月12日)1号機の格納容器内圧の上昇で設計圧力を超える恐れが生じ、格納容器のベント弁を開き多量の放射性物質を周辺環境に放出せざるを得なかった。
Mark-I 型格納容器は、構造が複雑で内容積が小さかった。
左図は『Mark-I 型格納容器』である。
最下部が、ドーナツ形の「サプレッション・チェンバー」で、上部がフラスコ形の本体である。
この2つが、たこ足配管で接続されていて、全体として格納容器を構成している。
地震動によるものか炉心溶融の結果によるものか定かではないが、事故後格納容器は破損しており、高濃度の汚染水が海水中に放出されていた。
地震・津波による原子力発電所内の死者は、4名であるが、発電所事故に基づく直接の死者はいない。
政府の住民に対する避難指示は、日数の経過に伴って次々と拡大していった。
- 3月11日(事故当日):半径3km圏内は避難・10km圏内は屋内退避。
- 10km圏内避難(当日)
- 20km圏内避難(翌日)
- 20~30km圏内屋内退避。(3月15日)
3.スリーマイル島原発事故(USA東北部:ペンシルベニア州)
州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ川の中州・スリーマイル島に2つの原子力発電所があった。いずれも加圧水型軽水炉(PWR)である。
現在の所有者は、エクセロン社で、1号機電気出力83.7万kw・2号機95.9万kwであった。事故を起こしたのは、「バブコック&ウイルコック社」設計の2号機で、定格出力の97%で営業運転中であった。TMI事故と呼ばれている。事故を起こした2号機は現在廃炉となっている。
国際原子力事象評価尺度(INES)では、レベル5「事業所外へリスクを伴う事故」に相当する『原子炉冷却材喪失事故』であった。
事故は、1979年3月28日4時37分(東部標準時)から始まった。
2次系脱塩塔イオン交換樹脂の移送作業がうまくゆかず、樹脂移送用水が計装用空気系に混入したことが始まりである。
最終的には2次給水ポンプが停止し、蒸気発生器が機能を失った。従って原子炉1次系の圧力が上昇し、加圧器の安全弁が開いた。
所が『安全弁は開いたまま固着』してしまい、原子炉冷却水は水蒸気として失われていった。原子炉は自動的に緊急停止し、非常用炉心冷却装置が作動したが、1次系の圧力が下がり過ぎており、減圧沸騰による気泡で加圧器の水位計が正常に作動しなかった。
2号機の原子炉運転制御室は、『パニック状態』に陥った。100個以上の赤色警告灯が点滅し、警報音は断続しながら果てしなく鳴り響いていた。
まさに『クリスマス・ツリー』の状態になっており、この状態が運転員の正常な思考や判断の大きな妨げとなってしまった。
最終的には、部分的な炉心溶融事故となっている。
事故による、直接の死傷者は0人である。
米国原子力学会は、「発電所から10マイル(16.1km)以内に住む住民の平均被曝量は8ミリレム(胸部X線検査相当)であり、個人単位でも100ミリレムを超えるものはいない」としている。
以上
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