2018年2月3日土曜日

第76話 原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟

小泉純一郎元首相や細川護熙元首相が顧問を務める、頭記の団体がある。
この団体の主張を、要約すれば下記となる。

①原発の即時停止
②核燃料サイクル事業からの撤退
③原発輸出停止
④自然エネルギー電力比率を、2030年までに50%以上

政治家は細かい議論に拘泥せず、極めて端的な表現で話したがるものである。
ひと先ずは、①~④までについて 私なりの順当な吟味を行ってみる事にした。

1.原発の即時停止(私は反対

現在運用中の原子力発電所は、40基(約4千万kw)である。
沸騰水型が22基、加圧水型が18基である。

この中で、2018年2月現在で 稼働中の原子力発電所は、下記である。
何れも、『加圧水型原子力発電所:PWR』である。

(1)川内1・2号基(加圧水型:PWR)九州電力 各89万kw
(2)伊方3号基(加圧水型:PWR)四国電力89万kw
(3)高浜3・4号基(加圧水型:PWR)関西電力各87万kw

但し、伊方3号基については、住民らの「運転差止」仮処分申し立てについて松山地裁は、2017年7月21日却下した。
しかし「広島高裁」は、12月13日『運転差止』を決定した。差し止め期限は、2018年9月末である。

「運転差止」の根拠は、『過去最大の、阿蘇山噴火の火砕流が、伊方原発に到達する可能性が十分小さいとは評価できない。』とのことである。
過去最大の噴火とは、約9万年前の噴火である。阿蘇山~伊方原発は、約130km程度。
9万年前の噴火』は、過去最大級の噴火で ウルトラプルーニー式噴火(破局噴火)であったと言われている。『火砕流は九州中央部を覆い尽し』て、一部は山口県秋吉台に達したと予想されている。
勿論それ以前の噴火も沢山ある。26.6万年前・14.1万年前・13万年前。
これらの噴火による火砕流の噴出量は、9万年前の噴火による噴出量に比べて桁違いに小さい。

『9万年前の噴火』が、再度起こる可能性の有無は 現在の技術ではよくわからない。
万一起こった場合を想定すると、暗澹たる惨状を想定する事態となる。
火砕流は九州中央部を覆い尽し、被害は山口県にも及ぶ。
「伊方原発運転差止」の議論など とは 「およそ桁違いのレベル」の、巨大な問題提起である。
広島高裁の伊方原発運転差止理由として挙げられた、『9万年前の阿蘇山噴火と同程度の火砕流』を想定すると、現状では『九州中央部が火砕流で壊滅し、1千万人程度の人口喪失が行われる』事の想定となる。

広島高裁の伊方原発運転差止の根拠は、『9万年前の阿蘇山の噴火と同程度の火砕流が、伊方原発に到達する可能性が十分小さいとは評価できないと言うことである。

「火砕流の到達の可能性が十分小さいこと」は、今後四国電力(株)が説明することになると思うが、その想定する火砕流は伊方原発到達前に「九州中央部を覆い尽し、被害は山口県にも及ぶ。」のである。
広島高裁の判決は、『九州中央部が火砕流に飲み込まれて壊滅し、1千万人程度の人口喪失が起こる』事を想定せよと言う、べらぼうな話なのである。
起るかどうかは判らないけれど、殆どナンセンスに近い想定問答の議論である。

広島高裁の伊方原発運転差止理由は、全く現状にそぐわない無茶苦茶な想定を強要するものとなっている。
火砕流が伊方原発に到達する以前に、九州中央部を壊滅させてしまうのである。
ナンセンスな想定を強要する裁判が、正当な裁判として受け入れられる筈がない。

原発運転の効用は、『国家リスクの低減』に大きな貢献が見込めることである
原発が一度運転を開始すると、1年以上燃料供給なしに運転可能である。
しかし火力発電は、常に燃料供給が必要である。

慎重に様々な「国家リスク」を考えてみると、当然ながら火力発電では『少なくとも各発電所の半年分程度の、燃料備蓄を考慮すべきであろう。』とおもわれる。
原発の場合には、1基の原発が稼働すると その原発はそのままで、1年以上燃料供給なしで運転可能である。1年分以上の燃料が、既にその原発に装荷されているのである。

以上により原発の即時停止には「国家リスク」対応の観点から、「全く賛成できない」のである。

2.核燃料サイクル事業からの撤退(私は大賛成)

核燃料サイクル事業は、日本原燃(株)(JNFL)が実施している事業である。
日本原燃は、国策会社で 本社所在地は 青森県上北郡六ヶ所村である。
事業内容は、「ウラン濃縮」・「使用済み核燃料再処理」・「核廃棄物管理」などである。
主要株主は、9電力会社と日本原子力発電(株)である。

青森県上北郡六ヶ所村に、『核燃料再処理工場』の建設を始めたのが1993年である。
フランス『Areva NP』の技術を導入した。
当初の完成予定は、2009年2月であった。
以降完成予定の変更を23回も繰り返し、現在の目標『2018年度上期』の予定も覚束ない模様である。
当初の建設予算は8千億円程度であったが、2017年で既に3兆円程度に膨れ上がっている。
日本原燃の費用は、我々が電力会社に支払っている『高額の電力料金』の一部として賄われている。
現在においては、核燃料再処理は全く無意味な行為となっている。諸外国から『核兵器製造』の疑惑を持たれるだけなのである。
原子力発電所用核燃料の低濃縮ウランは、高性能遠心分離機で十分安価に簡単に製造できる。

上記により、「核燃料サイクル事業からの撤退」に『私は大賛成』である。

3.原発輸出停止(どうでもいい話)

沸騰水型(BWR)は、福福島第一原発の炉心溶融事故で、イメージが悪すぎる。
加圧水型(PWR)は、輸出を考えることもできるが、今のところ日本の原発輸出の実績はない。

韓国の原発は、全て加圧水型で稼働率が極めてよい。
韓国が開発した「標準型APR-1400(140万kw電気出力)の輸出を、今まで韓国政府は計画中であった。
しかし文在寅(ムン)・ジェイン)・大統領(2017/05/10 ―)となって、政府の方針を 脱原発に大きく舵を切ったようである。

4.自然エネルギー電力比率を、2030年までに50%以上(技術的に問題が多い)

現在2018年であるから、「今年を含めて後14年間」である。
自然エネルギー電力とは、下記があげられる。

①水力発電
②太陽光発電
③風力発電
④海流・潮流発電

「水力発電」を除いて、何れも「小規模分散型の発電設備」である。
「小規模分散型の発電設備」」は、そのままでは使用できず 別途巨大な集送電設備が必要で、このために『巨額の資本投下』がなされることが前提条件となる。
しかも「太陽光発電」・「風力発電」・「海流・潮流発電」は『脈動的・間欠的』発電である。
電力系統全体の『安定性・信頼性』 を保持するためには、『脈動的・間欠的』発電を主要電源とすることは  全く不可能である。また蓄電池による大電力の蓄電は、現在の技術の延長線では全く経済性がなく 成立し得ない

従って別途安定な「巨大な発電設備」が存在し、この主電源の出力調整により『脈動的・間欠的』発電の変動分を吸収させる以外に 方法がない。
私は、『自然エネルギー電力比率を、50%以上』と言う『目標自体が、技術的には相当以上に無茶苦茶な主張であると 思えるのである。
以上


2017年12月18日月曜日

第75話 国歌の話

国家(state)は国歌(national anthem)と国旗(national flag)を持っている。
日本では、「君が代」が国歌であり、「日の丸」が国旗である。
一般原則では、各国は独自の国歌・国旗を持って居るが、必ずしもそうではない国も存在する。

1.国歌を歌えない国

世界は広いもので、国歌を歌えない国が幾つか存在する。

①スペイン
②アラブ首長国連邦
③カタール

これらの国は、曲はあるが 歌詞が作られていないので、歌えない。

2.メロディーを共用する国

また、歌詞は違うが メロディーだけを共用している国もある。

①イギリス・リヒテンシュタイン
②フィンランド・エストニア

3.国歌を共用する国

国歌(歌詞・曲)を共用する国

①ギリシャ・キプロス
②トルコ・(北キプロス・トルコ共和国)

4.世界最古の国歌

オランダ国歌「ウイルヘルム」が、最古の国歌で1568~1572年に作られた。

スペイン国歌「Marcha Real :国王行進曲」も古く、最初の記録は1761年である。
1770年に、国王が公式行事の際常に演奏するように命じ、国王行進曲と呼ばれ国歌となった。

5.君が代

「君が代」の歌詞が、歴史上最初に登場したのは、古今和歌集(西暦912年)である。
世界最古の「国歌の歌詞」』である。

賀歌 題しらず、詠人しらず

我が君は 千代にませませ さざれ石の
      いわおとなりて こけむすまでに

私にとっては、日本国歌の歌詞が『詠人しらず』というのが、涙が出るほど嬉しいのである。

鎌倉時代以降(1200年頃)では、和漢朗詠集の写本等で、現在の「君が代」となっている。

  君が代は 千代に八千代に さざれ石の
        いわおとなりて 苔のむすまで

鎌倉幕府から江戸幕府まで、征夷大将軍の治世下の時代では、、「君が代」は一般的な
長寿を願いことほぐ賀歌」とされていた。
そのため 鎌倉・室町時代では、宴会等の際に『最後のお開きの時に謳う和歌』の定番になっていた。

しかし時代が下がるにつれ、「君が代」の解釈を「天皇の治世」と解釈する傾向が強くなっていった。

しかし幕藩体制の江戸時代の前期(17世紀中頃)に、「君が代は天皇の治世の意である」と解釈する国学者が出てきたのである。
明治以降は、何はばかる事もなく「天皇の治世」と決めてしまった

音曲の方は、林廣守(1831―1896年)が作曲し、ドイツ人エッケルトが和声を付けた。
これを明治26年(1893年)8月12日「祝日大祭日歌詞並楽譜」を官報に告示した。
これ以降「君が代」は、事実上国歌となった。
さらに平成11年(1999年)8月13日公布・施行された「国旗及び国に関する法律」により、日の丸を国旗とし 君が代を国歌とする事を法律で定めた。

日本で最初の吹奏楽団が結成されたのは、1869年である。薩摩藩が藩士数十名を選抜し、薩摩バンドを結成した。指揮者は、イギリス人 ジョン・ウイリアム・フェントン である。
薩摩バンドの合宿所を,妙香寺(横浜市中区妙香寺台8)に定めた。最初は楽器もないので、調練・譜面の読み方・等の訓練をしていた様である。
注文していた輸入の楽器類が、明治3年(1870年)7月に妙香寺に届き、本格的な吹奏楽の練習が出来るようになった
フェントンも「君が代」の作曲を試みたが、不評で不採用となった。

妙香寺に、「国歌 君ヶ代 発祥之地」の石碑がある。これを正確に説明すると、不採用となった「フェントン」の「君ヶ代 発祥之地」」である。

ここで、妙香の名誉のために申し添えておきたい。
日本最初の吹奏楽団薩摩バンド」がここで結成され、その合宿所がここだったのは 紛れの無い事実である。
以上

2017年11月23日木曜日

異論な話 第74話 女性の時代(極東編) 続編





1.蔡英文(1976/8―41歳/2017:ツァイ・インウェン)
中華民国総統(台湾)

右図は、台湾の略図である。* は原子力発電所の所在地である。蔡英文は、2025年までに原発全廃を目指すと表明している。

台湾の人口は、2,355万人/2017年である。(東京都人口:1374万人/2017年)
(韓国人口:5,125万人/2016年)

右図は、中華民国国旗(青天白日旗)である。

2016年5月20日から第14代総統となった、台湾初の女性総統である。
米コーネル大学にも留学しているが、英 ロンドン・スクールオブ・エコノミックス で法学博士(1984年:28歳)を取得。

フィリピン のロドリゴ・ドゥテルテ大統領が提起した国際裁判南シナ海判決:2016/7/12  フィリピン vs 中国 の仲裁裁判)では、「中華人民共和国」が「南シナ海」において主張していた『歴史的権益』について『国際法上の法的根拠がなく、国際法に違反する』というものであった。
処が中華民国総統・蔡英文は、この判決結果の一部に強く反発した。
①判決文中の「中国の台湾当局」という表現が、極めて不見識不当である。
②中華民国が実効支配している「太平島」を、島ではなく岩だとして排他的経済水域を認めないのは全く不当である。

台湾の中華民国は、『国際連盟』には加盟していない(出来ない)。日本は加盟しているが『敵国条項』該当国とされている。

蔡英文は、中華民国として『4つの原則』を公開提示している。
①国際法に基づいた平和的解決。
②多国・地域間協議に台湾を加える事。
③南シナ海における航行と飛行の自由を守る義務のある事。
④中華民国は争議の棚上げと資源の共同開発による紛争の解決を主張する事。

温厚・知的で、過激な言動はなく 清廉潔白な人柄である。
数度訪日しており、親日的で日本にとっては特別に大切にすべき総統である。

米国トランプ大統領との会見を希望したが、トランプが習近平(中華人民共和国・国家主席)との関係を重視し会見に応じてくれないので、2017年1月米国経由で中央アメリカ4か国(ホンジュラス・ニカラグア・グアテマラ・エルサルバドル)を歴訪し友好関係を築く努力を行った。

「中華民国」は中国大陸の極近くに、金門馬祖の諸島群を実効支配しているが 中華人民共和国との間の領土紛争はない。
金門島には空港が有り、台湾の主要都市に定期便が運航されている。

台湾の全輸出(約30兆円)の4割が中華人民共和国向けである。
また大陸に住む台湾人は100万人程度と見込まれている。

台湾は国連非加盟であるが、「国連安保理決議」に協力し、北朝鮮との貿易を全面禁止する『経済制裁』を行っている。

2.朴槿恵(1952/2―65歳/2017:パク・クネ)大韓民国第18代大統領


第5~9代大統領朴正煕の長女である。
西江(ソガン)大学校電子工学科を卒業後、仏グルノーブルに留学中、1974年8月母親が暗殺されたため急遽帰国した。以後父親の「ファースト・レディー」役を務めた。

1979年10月、父朴正煕が暗殺された。朴槿恵27歳で、父を失い両親ともに暗殺されたことになった。
1998年の国会議員補欠選挙に当選し(46歳)政界入りした。
2013年2月61歳で大統領に就任した。韓国初の女性大統領である。この時の国民の支持率63%であり極めて高い。
経済復興・国民幸福・文化隆盛を唱え、希望の時代を切り開くと宣言している。
更に「北朝鮮が核放棄し平和と共同発展の道に進むことを願い韓民族が豊かに・自由に・自分の夢を成し遂げられる幸福な統一の基盤を作りたい。」と語った。
素直に自分の気持ちを述べたものと思う。彼女の温かい素朴な人柄が感じ取れる言葉である。

これが各国の賛同を得て、国連安保理の北朝鮮制裁決議(2094号)に繋がっている。
これは、朴槿恵の外交上の大功績であると認めてよい。
朴槿恵は、アジア第4位の資本と技術力が、北朝鮮の人的資源・天然資源と結合すれば飛躍・活力の源泉になると南北統一に強い意欲を示していた。
しかしこれは、政策化されず願望のままで残された。

朴槿恵は、対中国政策に熱心で相互に留学生を6万人程度送り込んでいる。
中国は、韓国国債の最大保有国であり、また韓国の最大貿易相手国でもある。
韓~中 間には、毎週800便程度の航空便が運航されている。

2016年10月、友人崔順実(チェ・スンシル)の国政介入問題で弾劾訴追され12月国会で訴追案が可決された。このため彼女の、大統領職務が停止された。

現在(2017/11月)は、収賄罪で逮捕されている。但し本人は18件起訴内容全てを否認している。

韓国大統領の末路は、悲惨な人が多い。自殺者の例もある。

3.小池百合子(1952/7―65歳/2017)東京都知事


衆議院議員であったが、2016年の都知事選で、『東京都の改革のため、崖から飛び降りる覚悟で臨みます。』と宣言して当選した。

彼女は、カイロ大学文学部社会学科(エジプト)卒業である。
帰国後テレビ番組のキャスターをしており、1990年度「日本女性放送者懇談会賞」を受賞している。

小池百合子は、目端の利く人である。
第16回参議院通常選挙(1992/7/26)で、日本新党比例区で細川護熙・小池百合子40)他2名 合計4名が当選した。

第40回衆議院総選挙(1993/7/18)で小池百合子は、小選挙区兵庫2区日本新党で当選した。この時自民党は過半数に至らず、細川連立内閣が誕生した。
小池百合子(41歳)は、内閣総務次官を拝命している。

2003年「第1次小泉2次改造内閣」で初入閣(51歳)し、「環境大臣」になった。
「第2次小泉内閣」では「沖縄&北方対策特命担当大臣兼務した。

第1次安倍内閣(2006/9/26―2007/9/26)では、初代防衛大臣久間章生(キュウマ・フミオ)が不適切発言で辞任し、小池百合子(54歳)が防衛大臣を拝命した。

国会議員として実績を重ねた小池百合子であるが、彼女独特の『極めて鋭敏に研ぎ澄まされた目端を利かし』、都知事選に立候補し、初の女性都知事」の誕生となった(64歳)。まさに華麗な転身である。
処が「持って生まれた性格」は如何ともしがたく、『色んな処に目端を利かし』やたら首を突っ込んでくる。どう考えてみても、一途な健闘を期待する方が無理だった。

都知事でありながら、2017/9/25「希望の党」を結成し、小池百合子が代表となった。
第48回衆議院総選挙で民進党との合流を意図したが、彼女が「候補者選別」の意向を表明したので、一般の強い反感を買った。
民進党党首・前原誠司は、「希望の党」を前提に、『民進党から衆議院立候補者を出さない』と勝手に決めた。彼は「話の詰め」が甘く、民進党内に多様な流れを生じさせた。

無所属立候補・希望の党立候補・立憲民主党(党首:枝野幸男)結成などである。
選挙結果は、自民党の大勝であった。但し野党第1党は立憲民主党55名、希望の党50名、公明党29名…であった。この結果は、順風満帆に人生を切り開いてきた小池百合子の生涯で、恐らく初めての強烈な逆風であった。
東京夏季五輪は、残り3年を切ってしまった。『東京五輪』・『東京都の改革』は待ったなしである。今後都知事として、全力で取り組んでくれるものと期待している。

豊洲の安全性の問題は、未だ何の方向性も見出していない。豊洲は、東京ガスの「石炭乾留工場」の跡地で、ベンゼンヒ素シアン・・・等が検出されても、何の不思議もない。

小池百合子の今後に残された最大の責務は、都知事の仕事に専念することである。
彼女の「都知事としての」即断即決・快刀乱麻、三面六臂の大活躍を期待している。
以上





2017年7月23日日曜日

第73話 中国の呼び名

中国には、古代より中華思想があり、自国を中国と考えその他の国を野蛮国と見下していた節がある。
自国が真ん中で『中国』であり、東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)に囲まれているとした。
BC(紀元前)千年ごろに作られた、「詩経」には、「恵此中国 以綏四方」とある。「この中国に恵み有れ 四方は安らかに」である。
3千年前に、自ら『中国』と呼んでいたのは確かである。
「宋史」は、元の時代に編纂された正史である。編纂は1345年である。
宋史における日本国の記述は、歴代天皇の系譜を述べた後、更に続けて「其國多有中國典籍」と述べている。
14世紀頃(鎌倉時代末期)には、「中国」は「中国」と言う『地域名』を使用しており、「中国」の地域で作成された『典籍』を日本国が『多数所有していた』事を、中国人が知っていたのは、驚嘆すべき事実であろう。

英語名で「China」・仏語名「Chine」の語源は「秦:シン」であるらしい。
これがインド経由でヨーロッパに伝わった。

中国大陸の王朝は、『周から始まる』(BC1046-BC256年)と考えるのがすっきりする。
次が『』王朝(BC221-BC206年)である。
その後が『』である。前漢(BC206-AC8年)・後漢(25-205年)に分かれる。約4百年余り続いた安定した王朝であった。

次が(曹操)・(孫権)・(劉備)の三国時代となる。
広義では、、184-280年の三国鼎立時代を言う。
揚子江以北をが領有し、以南をが領有した。中国大陸奥地、「成都の辺り」がである。

中国の四大奇書は、「三国志演技」・「水滸伝」・「西遊記」・「金瓶梅」である。私見を申し述べれば、これに次ぐものとして「聊斎志異:りょうさいしい」も挙げておきたい。

三国志演技」では、「蜀の劉備」・「呉の孫権」を善玉にして書いており、魏の曹操を悪玉に仕立てているが、読む度に曹操の武人としての苛烈・果敢な行動力がむしろ立派に見えてくる。蜀の劉備玄徳は、、事が起こると驚き慌てて軍師 諸葛亮(孔明)に相談することになっている。

265-316年 魏の領内に「西晋」が興り、「呉」を滅亡させ中国全土を統一した。
但し西晋の滅亡も速かった。西晋の最後の皇帝は奴僕にされ、屈辱を嘗め尽くした後、処刑された。

439-589年は、中国では南北朝時代と呼ばれる。中国北部は、北魏が領有した。。後に東魏・西魏に分裂(534年)。
南部は、「宋」・「斉:セイ」・「梁:リョウ」・「陳:チン」と王朝が変った。

隋が興り(581-818年)、南北朝の混乱を鎮め中国を再統一した。
しかし僅か2代にして、唐にとって代わられた。

中国大陸における王朝名は、原則『一字名』であった。隋以降を列記する。
隋(581-618年)
唐(610-907年)
5代10国(907-960年)乱立時代
宋(960-1279)
元(1271-1368年)中国・モンゴル高原。正式名(大元)
明(1368-1644年)
清(1644-1912年)(正式名 大清帝国):北東部はアムール川流域沿海州に至る。

清朝末期、イギリスとの間で『アヘン戦争:1840/6/28-1842/8/29』が勃発した。
イギリスは、紅茶・陶磁器・絹を清国から多量に輸入していた。
銀での支払いに苦慮して、インドの植民地で栽培した『麻薬アヘン阿片』を清国に密輸出することで帳尻を合わせようとした。
清 国民を麻薬に溺れさせるイギリスの姦計に、清国は強硬に反発し戦争になった。
イギリスは軍艦16隻の他多数の輸送船を擁する東洋艦隊を編成し、中国大陸北部沿岸を次々に陥落させて首都北京に迫り、天津沖に至った。
アヘン戦争に勝ったイギリスは、『香港の割譲』と多額の賠償金を獲得した。

朝鮮半島(李氏朝鮮)の権益をめぐって、清国と大日本帝国の利害が衝突し、日清戦争(1894年7月-1895年3月)となった。
日本の思惑は、『清国の属国であった「李氏朝鮮を独立させ、「李氏朝鮮」に日本が影響力を保持すること。』である。
戦場は、朝鮮半島に止まらず大陸の遼東半島や山東半島にも及んだ。
この時、明治天皇と大本営は広島に移動した。

既に近代化を行っていた日本軍は、常に戦局を優位に進めていった。
7月23日 日本陸軍は、李氏朝鮮の王宮(漢城:現ソウル特別市:京城)を占拠し国王「高宗」を確保した。9月15日日本陸軍は平壌攻略戦を開始し、午後5時前には平壌城に白旗が掲げられた。

清国の北洋艦隊主力艦 「定遠」・「鎮遠」排水量7,400トン 305mm連装砲2基4門は、当時の戦艦としては巨艦であった。
当時の日本帝国海軍連合艦隊旗艦「松島」は、巡洋艦レベルであった。排水量4,217トン 320mm砲1門・120mm速射砲12門とうであり、かなり見劣りする。

清国海軍と日本海軍の最初の交戦は、豊島(ほうとう:現 韓国京畿道安山市)沖海戦である(1894年7月25日)。日本艦隊は吉野(旗艦)・秋津洲(あきつしま)・浪速(なにわ)の巡洋艦3隻である。
清国側は、巡洋艦2隻・砲艦1隻・商船(高陞号:コウショウゴウ)1隻であった。

午前8時前、清国巡洋艦が発砲し海戦が始まった。
敵巡洋艦1隻を擱座させ、残るもう1隻の巡洋艦は北西方向に懸命に遁走を図った。これを「吉野」・「浪速」が猛追撃した。この時有名な『高陞号事件』が起こった。

高陞号は、船籍:イギリスの商船で、清国軍の雇船(英国旗掲揚)となっていた。
この時高陞号は、朝鮮の仁川(現韓国ソウル広域市)に清兵1,100名と大砲14門の他各種武器・弾薬を輸送中だった。
遭遇した「浪速」は、停船を命じ臨検を行った。臨検時に英国人船長に、「浪速」に随行することを承諾させていた。

「浪速」船長東郷平八郎は、「錨を揚げよ。猶予は認めない。」と信号旗で連絡した。高陞号船長からは、「重要事項あり、再度端艇送れ」との信号旗が揚がった。止む無く人見大尉を再度送った。
人見大尉は、「清国士官は船長を脅迫し、命令に服従できなくしている。船内不穏の様がある。」と復命した。
東郷は、高陞号英国船員に対し「艦を見捨てよ」の信号旗を掲げた。高陞号からは「端艇送れ」の信号旗が揚がる。
この様な押し問答が2 時間余りも繰り返された後、東郷は「撃沈する」との信号旗を掲げた。
水雷発射と砲撃が開始され、13時45分「高陞号」は沈没した。
東郷は、「浪速」から急ぎ端艇を下ろし、「浪速」に向かって泳いで来る「高陞号」の船員・士官の全員を救助した。

清国北洋艦隊と帝国海軍連合艦隊との決戦は、朝鮮半島西側の黄海で行われた。
北洋艦隊は、黄海で訓練中。連合艦隊は索敵中であった。当時の索敵は、マストに登った水兵が水平線の彼方に軍艦の煙突から排出する黒煙を発見することである。当時の軍艦は石炭焚きの蒸気機関で動いていた。

黄海海戦(1894年9月17日)は、10時過ぎから開始された。
北洋艦隊は横一列で待ちかまえ、連合艦隊は縦一列で突進した。
北洋艦隊は、体当たりも辞さない接近戦を試みたが、巡洋艦の軽快なフットワークで巧妙にかわされ、、逆に猛烈な十字砲火を浴びる羽目に追い込まれた。
北洋艦隊は四分五裂に切り裂かれ、旅順に向けて「統率の無い」遁走を始めた。旅順港に逃げ帰った北洋艦隊も、陸からの攻囲戦を嫌い山東半島の「威海衛」に退避した。
しかし、威海衛でも陸上攻撃と水雷艇による海上攻撃を受け、北洋艦隊は全面降伏した。

日清戦争における日本国の狙いは『朝鮮独立』、である。清の属国を止めさせる事である。
1894年8月26日『大日本・大朝鮮 両国同盟』を締結した。
朝鮮国は日本国を支援し、自らも出兵した。

平壌陥落後の日本陸軍の次の目標は、遼東半島(中国大陸)の旅順であった。1894年9月22日旅順要塞を陥落した。
続く目標は山東半島の「威海衛」である。1895年2月17日「威海衛」要塞は解放された。

日清講和条約(下関条約:1895年4月17日)により日清戦争は終了した。
  1. 朝鮮国の独立
  2. 遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲。
  3. 賠償金を日本に支払う。(銀7,460トン)
  4. 清国は日本に、最恵国待遇を与える。
虎視眈々(こしたんたん)と極東進出を狙うロシアドイツフランス が結託して、ゴリ押しの『遼東半島』返還の勧告(三国干渉)を突き付けてきた。
日本は臥薪嘗胆(がしんしょうたん:辛い思いを金輪際忘れない固い決意)の思いで、返還を承諾せざるを得なかった。

この結果、直ちにロシアは『遼東半島の旅順・大連』を租借地とした。
ドイツは、山東半島青島(チンタオ)付近の膠州湾(こうしゅうわん)を占領。
翌年此処を租借地とした。
フランスは、1899年広州湾一帯(香港の近く)を租借地とした。

1900年清の西太后は列強に宣戦布告し、八か国連合軍(オーストリア&ハンガリー帝国・仏・独・伊・日・露・英・米)に北京を占領された。
西太后は北京を脱出し、西安に落ち延びた。
その後、『外国軍北京駐留』と『賠償金支払』を条件に、西太后の北京帰還が認められた。

南京中華民国(1912年1月1日)が設立された。孫文(1866-1925年)が臨時大統領であった。
清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)宣統帝・溥儀(ふぎ)は、2月12日に退位し清朝は消失した。
以上