ペルシャ湾は、ホルムズ海峡により インド洋に連なっている。
ペルシャ湾岸は、イラン・イラク・クウェート・サウジアラビヤ・アラブ首長国連邦の国々があり、そのほとんどが豊富な石油産出国である。
「ホルムズ海峡」は、イランとオマーンに挟まれた 幅30km の海峡でであり、湾岸諸国から石油を運ぶ輸送船団の首根っこを抑える形になっている。
「ペルシャ』の名前は、紀元前550年頃に イラン に在った『ペルシャ帝国』に由来している。
『ペルシャ帝国』の「末裔」イランの歴史は,2600年程と推定される。
米国の『実に執拗な脅し』にも全く「へこたれず」『敢えて「NO」と言い続ける』頑固なイランに、私は強い感銘を受けると共に ずっと以前から何となく爽やかな連帯感を持つ様になっている。
今朝の新聞報道(2019/05/09)でも、「親イスラエル政策」の米国トランプ大統領にとって、イランの行動は 相当以上に目障りだったようです。
米国とイランの『確執の図式』が始まるのは、「1979年の イラン の イスラム革命」以降からである。ホメイニ師によるイスラム革命で、イスラム共和国が誕生し、米国・英国は国外に叩き出され、「アングロ・イラニアン石油会社」の権益は 木端微塵に吹っ飛んでしまった。
米国は、イランの隣国イラクに『強力な武器援助』を行った。
1980年9月イラクの サダム・フセイン大統領は「イラン ― イラク 戦争」を勃発させた。
米国や サダム・フセイン の思惑に反し、イランは想像以上に頑強に抵抗した。
世界中を敵に回して戦い続け、しかも相当以上に強かった。
この頃のイランは『国際的には完全に孤立無援』だった。米国・欧州 のイラク支持は当然であるが、イスラム諸国も 自国への『イスラム革命』の波及を恐れ、イラクを支持した。
ソ連は、領土拡大の好機とみて 『アフガニスタンに侵攻』した。
『アフガニスタン紛争:1979 ― 1989年』は、10年間に及び ソ連軍の戦死者は1万4千人以上であった。「アフガニスタン」側の戦死者は、ソ連軍の数倍以上だったと推察される。
孤立無援のイランだったが、戦死者の山を築きながらもイラクの侵略に耐えに耐えた。
1982年には国境線付近まで前線を押し戻し膠着状態に持ち込んでいったのには、驚嘆します。
1980年9月の イラクの『イラン侵略』に対し『国連は何もしません』でした。
国連が実際に動いたのは、7年後の1987年7月です。安保理で「即時停戦」の勧告を決議しました。両国が受諾し、停戦が実現したのは 1988年8月です。
「イラン ― イラク 戦争」で汚名を被った サダム・フセイン は血迷って1990年 「クウェート」に侵攻した。
これが『米国の逆鱗(げきりん)に触れ、湾岸戦争の勃発となった。
この時の国連の対応は『目覚ましく素早かった』。
平和憲法の日本国も、『自衛隊をイラクに派兵』させられた。
「イラン ― イラク 戦争」で、平和を勝ち取った イラン は 、『敢て「NO」と言う』反米路線を堅持して、富国強兵と核技術の向上に邁進していった。
核問題の議論では、『核拡散防止条約:略称 NPT 』と 『国際原子力機関:略称 IAEA 』を知っておく必要があります。
NPT は、国連安保理常任理事国(米国・ロシア・英国・フランス・中国)を『核兵器国』とし、それ以外を『非核兵器国』としている。
『核兵器国』には、『核軍縮交渉お行う義務』がありますが、有名無実化しています。『非核兵器国』には、核兵器 の 製造・取得 を禁止し IAEA の監査を義務付けている。
NPTは、1970年に発効し 2017年4月での締結国は、191ヶ国です。
既に核兵器を保有していた、インドとパキスタンは未加盟です。
保有を推定されている、イスラエルも未加盟です。
北朝鮮は、1993年 NPT の脱退を宣言している。
日本国は、IAEA 創設当初から指定理事国(13ヶ国)の1つである。
IAEAの事務局長は天野之弥氏(3選目:任期4年)である。
イランは、NPT 発足以来 NPT に加盟している。
1980年頃から、イランはウラン濃縮実験を開始した。
2006年4月 イランのアフマディ・ネジャード大統領は、「核燃料サイクルに適合するウランの精製に 成功した」と発表した。
これに対し国連安保理は『異常な過剰反応』を起こした。
2006年7月『イランの核開発中止を求める決議案』を採択した。
イランは 馬耳東風 で、イラン大統領は 2006年11月『イランは完全な核燃料サイクル技術を獲得した。』と発表した。
2008年9月、イランは「遠心分離機3800基を設置し、低濃縮還元ウラン 480kg を製造済み。」と IAEA は報告している。
2009年9月イランは、「新たに2か所のウラン濃縮施設を建設中である」とAERA に連絡。
これに対し、米国オバマ大統領は 「あらゆる選択肢を排除しない」と脅しを懸けてきた。
イランの馬耳東風はさらに続き、2009年11月 イランは10ヵ所の『ウラン濃縮施設の新設』を発表した。
米国に対し、『敢えて「NO」と言う』イランの面目躍如たるものがある。
2018年5月、米国トランプ大統領の『イラン核合意』からの離脱声明により、米国によるイランへの経済制裁が再開された。
2019年5月9日、イランが『核合意の一部履行停止』を表明したのを受け、ロシアと中国は 「昨年5月に、合意から離脱した 米国がイランを追い込んだ。」と非難した。
当事者の イランのロウハニ大統領は、今後も核合意に留まる意思を表明している。
しかし『核合意』が有名無実化し、今後 崩壊の恐れすらあり得ると、憂慮もしている。
以上