女性の首相としては、まず第1に「鉄の女:Iron Lady」として世界中に偉名を轟かせた、イギリス第71代首相(1979-1990)マーガレット・ヒルダ・サッチャー(Margaret Hilda Thatcher:1925-2013)を挙げなければならない。
サッチャーは、オックスフォード大学で化学を学んだ『理系女』で、英国で初代の女性首相である。
1982年南大西洋でフォークランド紛争が勃発した(4/2~6/20)。フォークランド諸島は、南米のアルゼンチンに近い群島で、1860年頃から英国人が多数定住し、英国が実効支配を行っていた。
アルゼンチンは、以前からフォークランド諸島の領有権を主張しており、1982年4月2日武力制圧を試みた。アルゼンチン陸軍4,000名程が出動し、殆ど無傷でフォークランド諸島を制圧した。
サッチャー英首相は、4月3日機動艦隊の編成と発進を命じた。空母2隻を中軸とする49隻から成る英艦隊の派遣である。
イギリスの反撃は、4月25日サウス・ジョージア島奪回から開始され、以降順次フォークランド諸島の奪回作戦が追行された。6月20日に英国が一方的に停戦宣言を出し、フォークランド紛争はイギリス艦隊により鎮圧された。鉄の女の面目躍如である。
1990年2月5日アルゼンチンと英国は、外交関係を正式に回復した。
現在もアルゼンチン側は、フォークランド諸島の領有権を主張しているが、英国側は実効支配の現状で満足しており、この問題に深入りせず、意に介さないように見受けられる。
2 メイ イギリス首相
2016年6月23日に実施された『英国のEU離脱』国民投票は、51.89%で「EU離脱」を決めた。
第76代英首相 テリーザ・メアリー・メイ(Therese Mary May:1956- 61歳 )は、「EU離脱」後に最初に選ばれた首相であり、女性英国首相としてはサッチャーに続く2代目である。オックスフォード大学で地理学を専攻している。
英国は国民投票で「EU離脱」を決めたが、現在まで離脱手続きはEUに対し全く進めていない。
貿易関係の影響は最小限にとどめ、難民受け入れは拒否したい。このためには離脱手続きを曖昧にしておくのが最良の策と思われる。テリーザ英首相は、なかなかの智恵者である。
3 クレッソン フランス首相
フランス第5共和政 第12代首相(1991/5~1992/4)エディット・クレッソン(Edith Cresson:1934-82歳)は、フランス史上初めての女性首相である。人口学博士。
1975年社会党に入党。ミッテラン内閣で1981年農相、1983年通商観光相、1988年欧州問題相を歴任した。
首相在任期間は1年ほどで極めて短い。外交センスはゼロに近く、外国に対する『ヘイト・スピーチ』を乱発していた。バブル期の好景気に沸く日本に嫉妬してか、日本バッシングは特に激しかった。アングロサクソンへの嫌悪感も相当のもので、「ほとんどのイギリス男は、ホモだ。」と言ってのけた。
4 メルケル ドイツ首相
第8代ドイツ連邦共和国首相(2005-現職)アンゲラ・ドロテア・メルケル(Angela Dorothea Merkel:
1954年-62歳)は東ドイツ出身で、理論物理学で博士号を取得した才媛である。
サッカー好きで、「ドイツ代表の12番目の選手」を自任している由。
米タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(2015年度)に選ばれている。
1989年1月「ベルリンの壁」が壊された。この時35歳の物理学者メルケルは、『政治家としてドイツ統一を果たし、市場経済を導入する。』と固く決意した。
理論物理学者を捨てて、政治家への大変身であった。
1990年10月3日、西ドイツが東ドイツを編入する形で、ドイツ再統一が行われた。「事態の進行」は、メルケルの予想以上に早く進展していった。
一方メルケルは、CDU党(ドイツキリスト教民主同盟)に入党し、1990年12月連邦議会議員に初当選した。初当選ながら、第4次コール内閣の「女性・青少年問題担当相」に抜擢され1991年1月就任した。
第5次コール内閣では、「環境・自然保護・原発保安担当相」に就任(1994年11月)。
2005年9月の総選挙で、CDU・CSU(キリスト教社会同盟)が僅差で比較第1党となった。安定した政権運営のため、対抗馬のSPD(ドイツ社会民主党)も加えた3党連立内閣を作った。連立内閣の首相は、メルケルであった。
51歳での首相就任は、歴代最年少である。
2006年末 任期後半の目標として、連邦制改革・官僚主義の打破・科学技術振興・エネルギー政策・財政再建・少子化対策・労働対策・健康保険制度改革を挙げている。最後の「健康保険制度改革」を最重要課題とした。
メルケルは、2007年前半の「EU議長国」と6月の第33回主要国首脳会議(独・仏・伊・英・EU委員長・ロシア・米・カナダ・日本)議長を無難に務め上げた。
2009年9月の総選挙で、CDU・CSUが勝利し、SPDとの連立を解消し、FDP(自由民主党)との連立とした。第2次メルケル内閣である。
2011年3月11日の東日本大震災で、福島第一原発で炉心溶融の大事故が起こった。
これが主因となって、独首相メルケルは同年5月30日ドイツのエネルギー政策の大転換を行った。『2022年までに、国内すべての原発17基を閉鎖する。』と決定した。
ドイツのエネルギー消費は、1990年以降殆ど一定である。褐炭を豊富に産出し、電力供給は石炭火力発電が主体である。1998年以降、電力の全面自由化が行われている。
2000年から固定価格買取り制度が持ち込まれ、風力・太陽光発電等の再生可能エネルギー発電の電力は、割高の一定の高価格で買い取る制度となった。このため「ドイツの電力料金は、EU内では極めて高い国の1つ」となっている。
「固定価格買い取り制度」は、第5次コール内閣で策定されたもので、当時「環境・自然保護・原発保安担当相」であったメルケルの関与が強く推測される。
しかし反面、再生可能エネルギーの問題点もクローズアップされる。
太陽光・風力発電などの再生可能発電量が増えるにつれ、電力系統の不安定化・供給信頼度の維持困難が顕在化し始めた。恐らく今後電力の安定化のために、「石炭火力の増設」かフランスからの「電力輸入」を考慮せざるを得ないであろう。
メルケルは、国内に根強い抗議運動が在るにも関わらず、2015年難民100万人のドイツ移入を
許可している。
他方イギリスでは、国民投票(2016年)で『EU離脱』の選択を行った。「難民受け入れ拒否」がその主因の1つであったと推定されている。
メルケルは「首相は、3期で終える。」と明言している。任期は2017年9月末(63歳)。
誠に巨大な、偉人女性政治家である。
5 ブルントラント ノルウェー首相
ノルウェー王国の初めての女性首相がグロ・ハーレム・ブルントラント(Gro Harlem Brundtland:1939/4/20 -77歳)である。
1963年オスロ大学卒。1964年米国ハーバード大学に留学。小児科医師。
1974年環境相に就任。
1977年総選挙に立候補、初当選。
1981年2月ノルウェー首相に就任。同年10月総選挙に敗れて退任。
1984 ~ 1987年 国連の「環境と開発に関する世界委員会」の議長を務めた。
ブルントラント委員会と呼ばれている。報告書には『持続可能な開発』の概念が貫かれている。
1985年再度首相に就任。1989年総選挙に敗れて退任。
1990年10月第3次ブルントラント内閣の首相となる。1992年1月ノルウェー首相として、日本を公式訪問している。
1996年10月首相辞任。
1998年4月、世界保健機構(WHO)の事務局長に就任した。持論の喫煙批判を基に、「たばこの規制に関する世界保健機構枠組条約」の作成・締結を主導した。
2003年WHO事務局長を退任。
6 ソルベルグ ノルウェー首相
ノルウェーの2代目女性首相は、エルナ・ソルベルグ(Erna Solberg:1961/02 - 55歳)である。
1986年ベルゲン大学で社会学・政治学・統計学・経済学 修士号を取得。
1979 ~ 1983年と1987 ~ 1989年ベルゲン市会議員。
1989年国会議員に初当選。以来5回再選されている。
2001~2005年、ボンデヴィーク内閣の「地方行政・地域開発」相として入閣。亡命希望者に対する強硬姿勢や自説の主張の固持などで、メディアからは「鉄のエルナ」と呼ばれていた。
2004年から保守党の「副代表」から「代表」に昇格している。
2013年9月の総選挙で保守党が勝利し、ソルベルグは10月16日ノルウェー首相に就任した。
7 ヨハンナ・シグルザルドッテル アイスランド首相
アイスランド共和国は、北海道と四国を合わせた程度の面積(韓国と同程度)の国である。北端は北極圏に接している。
ヨハンナは首都レイキャビクで生まれ、(1942年10月 - 73歳)、大学卒業後旅客機の客室乗務員(スチュワーデス)をしていた。
労働組合で認められ、政治家を目指し、1978年に国会議員に当選する。
2007年「社会問題担当相」として入閣した。
2009年1月首相が健康上の問題で辞任し、ヨハンナの「社会民主同盟」と「緑の党」で連立内閣を作り、2月1日ヨハンナがアイスランド首相に就任した。
同年4月の総選挙で勝利し首相を継続した。
2013年4月の総選挙で敗北し政界を引退した。
アイスランドでは、同性結婚が法的に認められており、2010年6月ヨニナ・レオスドッテルとの同性結婚を届け出た。同性結婚した初の首相である。
ヨハンナには過去に男性との結婚歴があり、2人の子供がある。
8 ティモセンコ ウクライナ首相
ユーリア・ティモセンコ(1960年- 55歳)は、ウクライナ共和国第10代(2005/1/24-2005/9/8)・第13代(2007/12/18-2010/3/3)首相であった。
ウクライナは、1991年ソ連から独立した。首都はキエフである。
ウクライナは、南は黒海・アゾフ海に接し、北はベラルーシに接する。東はロシアで、西はポーランドである。
ロシアのカスピ海で産出する石油・天然ガスの欧米向け輸出港が、黒海に突き出たウクライナのクリミヤ半島周辺の港となっている。ウクライナは、国内でのエネルギー資源の産出はなく、殆どすべてロシアに依存している。
ユーリヤの父は、ユーリヤが3歳の時家庭を捨てた。母はロシア人である。母の手元に残されたこの小さな女の子が、やがて国内屈指の資産家となり、国家首相となったのである。
ユーリヤは、1979年(19歳)、ソ連の官僚であったウクライナ人のティモセンコと結婚した。1984年国立大学を卒業し、その後経済学博士号を取得している。
1984~1988年 機械製造工場勤務。1989年ビデオの「レンタルチェーン店」を設立し大成功した。
ソ連崩壊(1991年)後1995年まで、石油製品販売会社の重役を務めた。その後1995~1997年「ウクライナ統一エネルギーシステム」社長を務め、ウクライナ1の資産家となった。
但し国内的には脱税容疑を持たれ、ロシアからはガス不正取引で指名手配されていたようで、疑惑の多い女性でもあった。
1996年政治家に転身、補欠選挙で国会議員に選出された。1998年再選・2002年3選。
1999~2001年副首相(燃料エネルギー部門担当)に就任した。電力市場の近代化で、国庫収入を増やした功績は有る。
2001年に社長時代の「文書偽造」「天然ガス密輸入」容疑で逮捕された。数週間後嫌疑不十分で釈放されている。
釈放後与党を脱し、『ユーリヤ・ティモセンコ・ブロック』を結成し、代表となる。
2004年の大統領選は、「親ロシア派のヤヌコーヴィチ」と「親ヨーロッパ派のユシチェンコ」の一騎打ちであった。ティモセンコはユシチェンコを応援し、ユシチェンコが大統領に当選した。従ってティモセンコは、2005年2月4日ウクライナ首相に就任した。
しかし2010年大統領選でヤヌコーヴィチが当選し、ティモセンコは失脚した。
9 その他のヨーロッパ女性首相
①デンマーク 41代首相2011~2014:ヘレ・トーニング-シュミット(1966-49歳)
②ポーランド 第三共和政5代首相1992~1993:ハンナ・スホツカ(1946-70歳)
③ポーランド 第三共和政15代首相2014~2015:エヴァ・コパチ(1956-59歳)
④ポーランド 第三共和政16代首相2015~現職:ベアタ・シドゥウォ(1963-53歳)
⑤ポルトガル 革命以降7代首相1979~1980:マリア・デ・ルルデスピンタシルゴ(1930-2004)
⑥リトアニア 共和国初代首相1990~1991:カジミラ・プルンスキエネ(不詳)
⑦クロアチア 1967~1969:サヴカ・ダブチェヴィチ・クチャル(不詳)
⑧クロアチア 共和国9代首相2009~2011:ヤドランカ・コソル(1953-63歳)
⑨フィンランド 41代首相2010~2011:マリ・キビニエミ(1968-49歳)
⑩スロバキア 6代首相2010~2012:イヴェタ・ラジチョヴァー(1956-59歳)
⑪スロベニア 9代首相2013~2014:アレンカ・ブラトゥシェク(1970-46歳)
⑫ラトビア 13代首相2014~2016/2:ライムドータ・ストラウユマ(1951-65歳)
以上
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