2012年2月6日月曜日

平壌宣言

2011/12/17北朝鮮の金正日が他界し、三男の金正恩が後継者となった。
北朝鮮の正式名称は、「朝鮮民主主義人民共和国」である。英文表記では、「Democratic People's Republic of Korea」である。
総人口2300万人程度。首都は平壌(ピョンヤン)である。

北朝鮮の国情は、どう考えても、額面通りには受け取れないと思う人が殆どであろう。
金王朝だと見る向きもある。金日成(キムイルソン1912/4/15~1994/7/8)・金正日(キムジョンイル1941/2/16~2011/12/17)・金正恩(キムジョンウン1983/1/8~)と確かに金王朝は3代続いている。但しこれは表看板だけの話である。実態は紛うことなく『軍事政権国家』である。自ら先軍政治を呼称している。『軍人のための、軍人による、軍人の国家』である。軍人国家とはいうものの、戦闘機や戦車は、旧式の上に燃料不足で、満足な運用は出来そうにもないと推測される。まともに使えるのは核兵器とミサイルだけである。

国連加盟は韓国と同時期で、1991年で非常に遅い。国連に加盟していながら、国連軍と対峙中(休戦中)である。

北朝鮮の核開発は、「核拡散防止条約:NPT」に加盟する条件で、1960年代から始まった。核の軍事利用目的の疑惑が持たれ始め、IAEAの監視が厳しくなると、1993/3/12「核拡散防止条約」から脱退した。

2006/10/9と2009/5/25に地下核実験を行っており、現在プルトニウム原爆を数発保有していると思われる。ミサイルは、スカッドミサイルとノドンを保有しており、射程6000km以上の中距離弾道ミサイルのテポドン(大浦洞)も開発している。
スカッドは射程700km以下。ノドンの射程は1000~1300kmで、日本の略全域がノドンの射程内にある。「慣性誘導方式」の照準であるから、命中精度は左程でもない。いずれも液体燃料(ヒドラジン系)ではあるが、常温貯蔵のため燃料注入には手間取らない。スカッド・ノドン共に中東等に輸出している。2006/7/5北朝鮮は、スカッド・ノドン・テポドン2号の弾道ミサイル計7発を日本海北部に向け試験発射している。

テポドン2号は、本格的な大陸間弾道弾(ICBM)である。2009/4/5テポドン2号が発射され、1段目は日本海に落下、2段目以降は日本の東北地方の上空(大気圏外)を通過し、太平洋に落下した。北朝鮮は、『人工衛星「光明星2号」の打ち上げに成功した』と発表したが、アメリカ・ロシア共に周回軌道上に「光明星2号」は存在しない事を確認している。日本も観測データから、衛星軌道速度に達していないと推定していた。


さて本論の「平壌宣言」の話である。
小泉純一郎元首相は、極め付きの個性的・独断的性格ではあったが、機を看るに敏で、実行力の旺盛な総理であった。彼の最大の功績は「郵便公社民営化」と「平壌宣言」であったと思う。逆に最悪で滅茶苦茶な横車を押し通したのは、自衛隊の『イラク派兵』であった。

平壌宣言は2002/9/17日本国総理大臣小泉純一郎と朝鮮民主主義人民共和国国防委員長金正日が平壌で会談し宣言したものである。
過去を清算し、懸案事項の解決を図り、政治・経済・文化的関係を樹立する事が、相互の利益になり、地域の平和と安定に寄与すると確認した。

要点だけを箇条書きする。

  1. 2002年10月中に国交正常化交渉を再開する。諸問題に誠意を持って当たる。
  2. 日本国は植民地支配の歴史事実を認め、反省と陳謝を表明した。
    1945/8/15(大日本帝国の敗戦日)以前の財産と請求権を相互に放棄した。
  3. 国際法を守り、安全を脅かす行為をしない事を確認。
    『拉致問題』は、不正常関係の時生じた遺憾な問題。再発しない事を確認。
  4. 北東アジアの関係国間で、協力関係の枠組み整備が重要であると相互に認識した。
    核・ミサイル等の問題は、関係国間の対話で解決を図る。
    朝鮮民主主義人民共和国は、ミサイル発射モラトリアムを2003年以降も継続する。
平壌宣言で、金正日に『拉致問題』を認めさせたのは、小泉外交の大成果であった。北朝鮮の核疑惑の進展状況から見ても、絶妙なタイミングの首脳会談であった。
問題はこの後の外交処理であった。2005年頃から潮目が変わり、北朝鮮との外交関係が急激に悪化していったのは誠に残念至極であった。過半の責任は日本側に有ったと、私は思っている。

2002/10/5地村夫妻・蓮池夫妻・曽我さんの5名が、日本に「一時帰国」し家族と再会した。同年10/24日本国政府は「一時帰国」を「永住」とし、帰国者の家族の『安全確保と帰国日程の確定』を一方的に要求した。
2004/5/22第2回日朝首脳会議が行われ、地村・蓮池両家の家族5名が帰国。曽我家家族3名の帰国は、7/18となった。

その後2004年には、「日朝実務者協議」が数度行われ、その他の拉致被害者の消息調査と関連する議論が行われた。
実務者協議では真剣な議論が戦わされたが、2005/1/26北朝鮮側が「備忘録」を発表し、同年2/10、日本側が「備忘録に対する反論」を発表した。

これはもう、国同士の殴り合いの喧嘩沙汰である。横田めぐみさんの遺骨とされる骨片を廻る論争である。日本のDNA鑑定技術の高さは、北朝鮮側に相当以上のボディーブローとなった様である。
日本側の実務者に『時の氏神』という言葉を知る人はいなかったのだろうか。誠に残念なことである。要するに、『叩きのめして、追い返せば済む話』であったのかと言いたいのである。
実務者は双方とも忠実・真面目で議論がエスカレートすれば、事実上の喧嘩沙汰位は起こるであろう。北朝鮮側の言い分の大筋は、私には良く理解できる。平壌宣言に従って、生存拉致被害者は全員帰国させた。『これ以上無い袖は振れぬ。国交正常化の話はどうなっているのだ。』と言っているのである。

平壌宣言の最大の目的は、国交正常化である。『誠意を持って当たる』と誓っていながら、実務者協議で喧嘩沙汰である。ここはもう政治・外交の出番であった。返す返すも残念であった。
2005年頃から、北朝鮮は日本側の誠意に疑問を感じ始めたに違いない。潮目が変わったのである。

北朝鮮の万景峰(バンギョンボン)号という船が有る。江原道元山(ウオンサン)と新潟の間に就航していた船である。2006/7/5のミサイル試射により、日本政府は万景峰号の半年間入港禁止を行った。更に2006/10/9の北朝鮮の地下核実験により、2006/10/14日本政府は北朝鮮の全船舶の入港禁止を行った。これらの処置は、日本~北朝鮮間の一切の交易を禁止する『経済制裁』の発動である。
太平洋戦争は、米国の対日経済制裁が直接の起因である。『経済制裁』は『対象国との戦争のリスク』を伴う、極めて危険な政治判断である。私は日本国がどんな経済制裁に加わることにも大反対である。

イランに対するアメリカの『金融制裁』により、ホルムス海峡で風雲急となった。アメリカ軍原子力空母エイブラハム・リンカーンとイラン軍の睨みあいである。

北朝鮮に対する日本の経済制裁は、今も続いている。日本国は北朝鮮の敵性国家と看做され、ノドンミサイルの標的とされているのである。誠に残念である。
以上

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