2009年12月4日金曜日

事業仕分

 鳩山内閣の来期予算の事業仕分が公開で行われ、拍手喝采を送りたい。枝野衆議院議員・蓮舫参議院議員の取り纏めも快刀乱麻で、適役だった。但し仕分けられたのは一般会計約90兆円の内の極々一部でしかないのは残念であった。約200兆円規模と予想される特別会計は未だ殆ど手付かずのままである。
 野党自民党は事業仕分について、「こんな短期間に決めてしまうのは如何なものか」と言っている。もっともな御意見と承って、なるべく早い機会に大規模継続的事業仕分機構を創設し、一般会計・特別会計の事業仕分を国民に公開するのが望ましい。今回初めての事業仕分を、ガス抜き程度の話に終わらせず、継続的に実施する機構を作ってこそ、政権交代の真骨頂が発揮された事になる。

 科学技術関係ではスーパーコンピュータ開発予算7千億円余りが業務仕分で「要検討」となった。後でマスコミを通じて、ノーベル賞受賞者野依先生がその必要性を主張された。これは役人の常套手段に乗せられた全く奇妙な構図であり、野依先生には甚だ気の毒な事情と相成ってしまった。
 当然の事ながら、予算の申請を行い、予算の配分・実施権限を持つ当事者担当の役人である。従って配分・実施権限を持つ担当役人が、職を賭して予算の必要性を説明すべきである。ところが担当役人は業務放棄・戦線離脱し、その代役として著名人修羅場に放り出されるのである。今回は野依先生が修羅場に立たされる構図になってしまった。

 野依先生は、「科学技術向上の為の先行投資は、日本国の存亡に係る不可欠のもの。」との趣旨の説明をされた。これに異を唱える人は誰一人いないと思う。但し残念なことながら、仕分作業は一般論を対象にはしていない。科学技術向上の先行投資項目は掃いて捨てるほど沢山ある。これを掃き捨てるもの残すものに仕分けるのが事業仕分である。従って、どうゆう手法・基準で仕分けてゆくかが議論の対象なのである。

 仕分担当者や我等国民が、修羅場に立たされた野依先生に大いに期待するものは、先生が選択された(優秀でノーベル賞受賞にまで至った高効率の先行投資)と(いつまでも成果の出ない非効率の先行投資)を見分ける上手い方法があればご教授願いたいと云うことである。別の言い方をすれば、先行投資の優劣を見分ける機構をどのように作ればよいかである。勿論この機構を役人の天下り先にしてはいけない。

 スポーツ関連予算については、業務放棄担当役人代役としてフェンシングや洋弓のメダリストが修羅場に立たされていた。担当役人は予算申請当事者の代役をJOCに振向け、JOCは当然ながら著名人としてメダリストを選んだ。2004年アテネ大会の洋弓銀メダリスト山本博氏と2008年北京大会のフェンシング・フルーレ銀メダリスト太田雄貴氏である。両氏はマスコミを通じ、スポーツ界の野依先生を演じ、JOCへの国庫補助の必要性を説明していた。

 スポーツ関連の補助金は、独立行政法人日本スポーツ振興協会を通じてばら撒かれる。この協会には政府が2千億円余り出資しており、中央省庁からの天下り先になっている。公営賭博totoはこの協会が運営しており、賭博のかすりで資金は潤沢である。

 税収不足で過去最高の国債発行も予想される不景気の最中である。来年度デフレスパイラルを脱せられるかどうかの瀬戸際である。スポーツ界も無駄を排し経費節減に努力してほしいと、事業仕分が行われた訳である。
 2010年バンクーバー冬季五輪や2012年ロンドン夏季五輪で、たとえ獲得メダル数が若干少なくなったとしても、現在の経済事情からすれば、これは止むを得ない仕儀ではないかと思う。オリンピックは参加することに意義があると言うではないか。但し、この際は無意味に多数の役員や選手を派遣するのもご勘弁願いたい。

2009年11月21日土曜日

天下り

 天下りの開祖は瓊々杵命(ににぎのみこと)である。高天原から高千穂の峰を経由して、豊葦原千五百秋の瑞穂の国(とよあしはらちいほあきのみずほのくに)に天下り給ひ、我等が日本国が造られてきた。神話時代の話はこれでお終いにする。

 現在の独立行政法人への役人の天下りシステムの基礎を作ったのは、橋本龍太郎内閣である。「現業・サービス」業務を省庁から切り離す目的で独立行政法人を造ったが、その数は百を遥かに超え今や天下り役人の楽園と化してしまった。
 「独立行政法人通則法」の目的を要約すれば下記となる。

  1.公共上不可欠な事務・事業
  2.国が直接実施する必要のないもの
  1.と2.の両方を同時に満たす「事務・事業」を「効率的かつ効果的」に行わせる目的で、各独立行政法人を設立する。

 全くややこしい言回しをするものである。「公共上不可欠な事務・業務」の一部を独立行政法人にやらせる、と言えば済む話である。 「効率的かつ効果的」と謳ているが、税金の使用効率の点で再吟味が必要だろう。

 民主党はマニフェストで天下りの根絶を掲げているが、容易に達成できる話ではない。普通の天下り先のポストの大部分は、幹事・監事・理事・役員会役員等である。但し、嘱託等の隠れ蓑で、職員名簿に記載されない天下りも活用されているので、職員名簿だけでは全容把握は出来ない。
 嘱託の天下り等を禁止すれば、彼等は「委託・御託」等々適当に名前を変えて同じような事をやるだけである。

 根本的には、独立行政法人の大幅な整理統合を行い、独立行政法人の数を徹底的に減らすことである。更に特別会計を公開し、特別会計の徹底的な見直しにより、糧道を断つことである。
 役人は定年まで役所に残って、「公共上不可欠な事務・業務」を行えば良いのである。税金の使用効率が悪いので、業務を独立行政法人に任せる必要など全くない。省庁の事務・業務として省庁が直接行えば良いのである。

 一方、特別会計の透明化についてはやるべき事が山ほどある。役人は全員定年まで(定年延長してもよい)役所に残って、特別会計の透明化の実現に努力してほしい。
 特別会計透明化の要点は下記である。

 1.特別会計間の金の出入りを禁止する。金の出入りは「特別会計~一般会計」間に限定する。
 2.特別会計の連結決算報告書を公開する。
 3.報告書には責任者の官職・氏名を明記する。
 4.会計年度終了後、6か月以内に報告書を公開する。

 こんなことはどの会社でもやっている事である。今まで国がやっていなかったのが全くおかしいのである。システム構築に全力を挙げて取り組み、早急に実現させてほしい。
 

2009年11月17日火曜日

無言館


10/20朝上山田温泉を出発。上田市で上田城址を見学後、上田電鉄「別所線」に乗り塩田町下車。バスで「無言館入口」に行く。
 無言館は戦没画学生達の遺作を展示している展示館である。太平洋の島々で戦没して逝った、あまたの有為の若き画学生達の遺作を観てゆくと胸の締め付けられる思いがするのである。
 外に出て胸一杯に空気を吸い込んで秋の信濃の空を見上げた時、もっともっと大きな感傷が込上げて来た。太平洋戦争末期昭和18年に大規模な「学徒出陣」が行われた。無言館に遺作を残した多くの画学生も、この学徒出陣で太平洋の島々に送られたに違いない。しかし「学徒出陣」は画学生達だけではない。恐らくは10万人を超える文系の学生たちが招集を受け、出征して行ったに違いない。そして又その出征学徒の大部分は、勉学半ばの20年余の短い人生を、戦争により終えさせられてしまったのであろう。この10万の学徒達が何を残して散って行ったのだろうか。「きけわだつみの声」である。
 秋の信濃は素晴らしい。
 国破れて山河あり。錦秋の中の無言館。

2009年10月13日火曜日

日本国の最高裁判所は「憲法を守る意思」がない。

 日本国憲法の基本理念は、下記の4項目である。
  1. 主権在民
  2. 人権平等
  3. 三権分立
  4. 戦争放棄

 司法における「主権在民」の根本は最高裁判事の国民投票であり、また「人権平等」の根本は1票の格差を2.0以下にすることである。ところが極めて劣悪な制度設計のため、国民投票の「主権在民」の基本理念が完全に圧殺されてしまっている。そしてまた一票の格差が2.0以上の場合でも、最高裁判所は必ずしも違憲とは認めてはいない。

 今回は論点を絞って、国民投票の問題点を明かにする。

 2009/8/30 第21回目の国民投票が行われた。ところが結果的には『統計大実験』を行ったに過ぎないものになってしまった。6,700万人が投票し、× 印の総数が約4,000万個有った。即ち1票当たりの× 印数は「0.6個/票」である。単純に言えば『過半数の人が、一般的な統計現象に従って× 印を付けてみた。』と言うことである。ここでいう「一般的な統計現象」とは、「なんらの予見もなく、任意気儘に× を付けると、番号の若いほど×が多い」という現象である。 

 投票結果によれば、最も損をしたのは、①番の桜井龍子氏(罷免要求率6.96%)であり、最も得をしたのは⑨番の宮川光治氏(罷免要求率6.00%)である。大雑把な傾向では、番号が進む毎に0.11%づつ罷免要求率が低下して行く。

 ところが、この傾向に頑強に逆らって、特異な罷免要求率を見せたのが③番涌井紀夫氏(7.73%)⑥番那須弘平氏(7.45%)である。この原因は、大略70万人程度が両氏に意図的に×印を付けたからである。これには相応の理由がある。

 一票の格差をなくす運動の「一人一票実現国民会議」http://www.ippyo.org/ があり、ここが投票日前に新聞各紙に「両裁判官に×印を」と新聞1頁の「意見広告」を出していたのである。要するに両裁判官は一票の格差が大きくても「違憲」とは認めなかった裁判官なのである。「彼らに×をつける事が、憲法で謳う主権在民が司法の場で実現される」との主張である。これに賛同し堅固な意思を持って実行した人たちが70万人程度いたのである。

 議員選挙は信任者を選ぶ方式である。候補者名簿から「信任者」を選び、信任者名を用紙に記載させる。『無記載票は、「無効」(棄権)票』としている。ところがもう一方の国民審査では、「不信任者」を選び出して用紙に記載させることはせず、全く不可解千万な処置であるが、、『無記載の裁判官は信任された』と勝手読みさせている空恐ろしい劣悪な制度である。

 このままでは無意味な統計大実験を繰り返すだけで、司法の「主権在民」は金輪際できない。今回の「統計大実験」で、我が日本国の最高裁判事9名が信任されたことになった。

 憲法で謳う「主権在民」・「人権平等」を実現するためには、下記のような投票形式が必要である。

  1. 議員選挙に準じ、信任投票の形式にする。
  2. 信任者には「○」印・不信任者には「×」印を付す。
  3. 無印の人は、投票者が判断放棄(棄権)したものとみなす。
  4. 「×」の方が多かったものは、選挙の結果『不信任』されたものとする。
  5. 選挙公報には、一人A4 1枚程度で、主権在民・人権平等・三権分立・戦争放棄についての考え方と、今までにどんな判断を示してきたかを各自に書かせる。 

  この様な投票形式に改正するのは、法律または告示の改訂で済む話であり、大きな問題はない。本当は毎回、最高裁判事の全員を選挙対象にするのが本筋と思うが、そのためには憲法改訂となるので、不本意ながら選挙対象者については当面の問題には成り難い。

 「訴えのないところに、判断なし」が裁判所の定石の様であるが、憲法の番人を自任する最高裁の意見を伺ってみたいものである。