2019年4月5日金曜日

第 83 話 元号の話

世界で最初に元号を使用したのは、中国である。
紀元前 140年(西暦)、前漢の武帝が「建元」の元号を用いたのが嚆矢(こうし)である。
武帝は紀元前 87年までの間に、各2文字の11ヶの元号を使用した。
2~6年の短期間に 改元を繰り返しているが、理由は良く判らない。

魏・蜀・呉 の三国時代(220~280年:西暦)に入っても、元号の使用は それぞれの各国で継承されている。

朝鮮半島での元号使用は、半島が中国の「冊封体制」に入っていた期間が多く,独自の元号使用は多くはないが、程々に元号使用はなされていた様である。
高句麗では、「永楽:391―412年(西暦)・延寿:451年(西暦)」が使用された。
新羅では、「建元:536―551年(西暦)・開国551―568年(西暦)」がある。

日本では、第35代皇極天皇(女帝)が、645年(西暦)『大化:たいか』の元号を用いられたのが初めてである。
皇極天皇は、第37代斉明天皇を重祚されている。

奈良時代には、「天平感宝・天平宝字」などの4文字元号も存在したが、それ以外は2文字が原則となっている。
初期の頃は、32年間『元号なし』・15年間『元号なし』も存在していた。
日本には「南北朝時代」56年間があり、その分だけ「元号の数」が多くなっていると推定される。
平成までの元号の総数』は 247 である。

平成 31年4月1日(西暦2019年)、菅 官房長官が 新元号『令和:れいわ』を発表したので、本年5月1日から 日本国の「元号総数」は 248 となる。
新元号の出典は、万葉集 との由で、全く嬉しい限りである。

新元号は、「有識者」により検討されたとのことである。
この文明国の我が日本に、未だに『無識者』が多数存在しているとは全く考えられない。
怒り心頭に発するが、全ての『激情』をひとまず呑み込んで、先ずは「有識者」を『著名人』と読み替えて置くことにする。

この様な険悪な議論を巻き起こした根本原因は、『有無』の問題を取り扱ったからである。
有識者」ではなく、『識者』・『賢者』の話にして置けば良かったのかも知れない。
話はし方で、どの様にでも変化する。

本論に戻り、以下に日本国の元号 248 を列挙する。(中間部 省略)

元号名
期 間(西暦)
年数
天皇
摘要
漢字
読み
開始
終了



大化
たいか
645/07/11
650/03/22
6
孝徳

白雉
はくち
650/03/22
654/11/24
5
孝徳
白雉 献上

654/11/24
686/08/14
32
天皇崩御
朱鳥
しゅちょう
686/08/14
686/10/01
1
天武


686/10/01
701/05/03
15
天皇崩御
大宝
たいほう
701/05/03
704/06/16
4
文武
対馬から金
慶雲
けいうん
704/06/16
708/02/07
5
文武
元明天皇
和銅
わどう
708/02/07
715/10/03
8
元明
武蔵国
霊亀
れいき
715/10/03
717/12/24
3
元正

養老
ようろう
717/12/24
724/03/03
8
元正

神亀
じんき
724/03/03
729/09/02
6
聖武

天平
てんぴょう
729/09/02
749/08/19
21
聖武

天平
感宝
てんぴょう
かんぽう
749/05/04
749/08/19
1
聖武

天平
勝宝
てんぴょう
しょうほう
749/08/19
757/09/06
9
孝謙

天平
宝字
てんぴょう
ほうじ
757/09/06
765/02/01
9
淳仁

天平
神護
てんぴょう
じんご
765/02/01
767/09/13
3
称徳

神護
景雲
じんご
けいうん
767/09/13
770/10/23
4
称徳

宝亀
ほうき
770/10/23
781/01/30
12
光仁

天応
てんおう
781/01/30
782/09/30
2
光仁
桓武天皇
延暦
えんりゃく
782/09/30
806/06/08
25
桓武

大同
だいどう
806/06/08
810/10/20
5
平城

弘仁
こうにん
810/10/20
824/02/08
15
嵯峨

天長
てんちょう
824/02/08
834/02/14
11
淳和

承和
じょうわ
834/02/14
848/07/16
15
仁明

嘉祥
かしょう
848/07/16
851/06/01
4
仁明
文徳天皇
仁寿
にんじゅ
851/06/01
854/12/23
4
文徳










省 略











明治
めいじ
1868/01/25
1912/07/29
45
明治

大正
たいしょう
1912/07/29
1926/12/24
15
大正

昭和
しょうわ
1926/12/25
1989/01/07
64
昭和

平成
へいせい
1989/01/08
2019/04/30
31
今上
予定
令和
れいわ
2019/05/01



推定















以上

2019年1月10日木曜日

第82話 ダイナマイトと核兵器


2018年ノーベル賞受賞の本庶佑(ほんじょ たすく)京都大学名誉教授の羽織袴の和服姿は、びっしり決まり 実に素晴らしかった。日本人の誇りを実感した。
『ノーベル生理学・医学賞』の受賞である。

ノーベル(18331896年)は、スウェーデン人で ダイナマイトの発明開発で 巨万の富を得た。
ダイナマイトは、ニトログリセリンを主剤とする爆薬(火薬)であり、当時は ニトログリセリンを安全に取り扱う技術が未開発であった。

ノーベルは、1866年に ニトログリセリンを珪藻土に沁み込ませて安全化し、雷管を発明して、起爆を制御する方法を開発した。
1875年には珪藻土に替えて、低硝化綿を使用し爆発力を高めたダイナマイトを開発している。

ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者 アルフレッド・ベルンハルド・ノーベルの遺言により始まった。
スウェーデン国王(兼ノールウェー国王)オスカル2世が、1900年『ノーベル財団設立法令』を公布し、ノーベルの遺言が実行された。

ノーベル賞の受賞は、1901年から開始されている。
最初の受賞分野は『物理学、化学、生理学・医学、文学、平和』の5分野であった。
平和賞のみが、団体での受賞が認められている。

「経済学賞」は、「スウェーデン国立銀行」の設立300周年祝賀の一環として設立されたもので、ノーベル財団では、『ノーベル賞ではない』としている。
従って、単に「経済学賞」という言い方が一般的である。

ノーベル賞の「パロディー」版に『イグノーベル賞』と言うのがある。
1991年に、ユーモア系科学雑誌の編集長マーク・エイブラハムズが創設した賞である。
日本は『イグノーベル賞』受賞の常連国であり、イギリスも日本に次いで受賞の多い国である。
9月か10月に『イグノーベル賞』受賞者が決定され、本人に通知されるが 受賞しても 賞金はゼロである。

選考はハーバード大学やマサチューセッツ工科大学の教授らによる選考委員会の審査を経て行われる。
受賞式は、米国のハーバード大学(マサチューセッツ州)で実施される。
受賞者の旅費・滞在費などすべて全額 自己負担で、なおかつ 授賞式に参加している聴衆たちから『笑い』を獲得するのが必須条件となっている。
授与式に欠席する受賞者も、少なくない様である。

1995年フランス共和国第22代大統領 ジャック・ルネ・シラク 氏は、南太平洋ムルロア環礁 で数度にわたる『水爆の核実験』を強行し、国際的な非難を浴びた。
これに「悲憤慷慨」し 強烈な皮肉を込めて、フランスのシラク大統領への『イグノーベル平和賞』の受賞が決定された。

私は、シラク大統領は 授賞式を欠席したと確信している。
必須条件の「参加している聴衆たちから『笑い』を獲得する」事が全く絶望的だからです。
笑い』ではなく『嘲笑(ちょうしょう)』の嵐に見舞われるのが必定と推察できます。

米国はもっと早く 1954年に太平洋上の『ビキニ環礁:現在のマーシャル共和国』で水爆実験を行っている。
『イグノーベル賞』の発足は1991年であるから、其れよりも40年も前の話である。

『ビキニ水着』は素晴らしいが、米国の「ビキニ環礁 水爆実験」との関係について、 私の個人的な研究は 残念ながら未着手のまま放置している。

それよりも 米国の水爆実験で、「犠牲者」が出たことの方が 遥かに重大な問題である。
日本の漁船「第5福竜丸」が、米国のビキニ環礁での水爆実験に巻き込まれ、死の灰を浴(あ)びて 被爆し その半年後に無線通信士の久保山愛吉さんが死亡した。

ロシア生まれのオランダ人 アンドレ・コンスタンチノビッチ・ガイム1958年―60歳:2019年現在」は、物理学者である。現在は「ラドバウロ大学:オランダのキリスト教大学」の教授である。

2000年、英国プリストル大学 マイケル・ビクター・ベリー との共同研究で 蛙の磁気浮上の「デモンストレーション実験」が大変 大衆受けして、『イグノーベル物理学賞』を受賞した。

所が アンドレ・ガイム は、2010 ロシア人 コンスタンチン・セルゲーエヴィチ・ノボセロフと共同で、『ノーベル物理学賞』を受賞した。
初の両賞受賞である

オランダ人 アンドレ・コンスタンチノビッチ・ガイム は、『イグノーベル物理学賞』と『ノーベル物理学賞』の双方を受賞した最初の人である。

以上

2018年12月6日木曜日

第81話 苦闘を続ける英首相に世界中の声援を

第76代テリーザ・メアリー・メイ(Theresa Mary May)英国首相は、1956年10月1日生まれの62歳(2018年現在)である。
女性首相としては、鉄の女Iron Lady』として有名を轟かせた『第71代マーガレット・サッチャー英国首相』に続く 2番目の首相である。

「鉄の女」程 有名ではないが、メイ首相は「氷の女王(The Ice Queen)と呼ばれることがある。自分の意見を強く出さず、政治家同士の馴れ合いを嫌うためらしい。

オックスフォード大学で、地理学を学んでいる。
2010年、内務大臣に就任。
2016年6月23日の『EU離脱国民投票』では、メイはEU残留を表明していた。

国民投票の結果は、下記である。


  • 離脱支持 51.89%
  • 残留支持 48.11%

わずか、3.78%の僅差であった。

「離脱支持」の勝因は、『EU内における、移民に対する門戸解放』への抵抗だったと、私は推察している。
2016年の EUから英国への移民は、18万人を超える程の人数であった。

英国には、『日本国憲法』の様な 成文化された憲法は存在しない。慣習法的な「憲法らしきもの」が有るだけで在り、柔軟な対応が可能である。
日本で『国民投票』が行われるのは、『憲法改正』の時だけである。
英国での国民投票』は、下院の過半数の賛成で 何時でも実施できる。

2016年7月13日 エリザベス2世大英帝国女王陛下から首相就任の承認を受け、メイは第76代英国首相に就任した。
6月の国民投票において、4%弱の僅差ながら『EU離脱』の国民投票結果が 既に示されており、メイ首相には「大仕事」が待ち構えていた。
メイ内閣の発足にあたり、メイ首相は『EU離脱大臣』を新設した。

メイ首相は、「EU離脱」に際し強固な体制作りが必要であるとして、下院の早期解散を行い 2017年6月8日下院の総選挙を実施した。
しかしながらこの思惑に反し、選挙結果は 議席数を13減らした。
第1党の地位だけは、辛うじて保持できる有様だった。
第2次メイ内閣の発足である。

2017年8月30~9月1日メイ首相は来日し安倍首相と首脳会談を行った。
この時 皇居に参内し、今上陛下へ謁見も行っている。

EU離脱の「国民投票結果」を受け、メイ英国首相は EUに対し 2017年3月29日『EU離脱通告』を行った。
離脱交渉の進め方は、2段階のアプローチで合意された。
第1段階は、下記である。
  • EU市民・英国市民 の権利保護
  • 未払い分担金等の清算
  • 「英国の北アイルランド」と」「アイルランド共和国」の国境問題の話し合い。
第1段階については、先送りされた部分もあるが 2017年12月には「話し合いは進展した」との合意に達し、2018年には交渉は 第2段階に入った。
EU委員会の2018年の発表によれば、「EU市民・英国市民 の権利保護」は 交渉官レベルで合意済みである。
「未払い分担金の清算」は、金額は未定ながら 2020年までのEU予算分担分について合意している。

「北アイルランド国境問題」については、人の移動の自由は合意されているが、離脱後の「激変緩和策」としての「移行期間」について、2020年末までと合意された。

2018年3月のEU首脳会議では、2019年3月29日の『EU離脱日』を前提に、「北アイルランド国境管理問題」・「通商などの将来の枠組み交渉」などの対英交渉項目が山積している。

メイ英国首相は、真面目に丹念に 問題解決を進めてきているが、「いつまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」の感はぬぐえないものと 私は推察している。
特に「北アイルランド国境管理問題」ついては、現実的に大きな課題が残っている。
約1万5千人が、「北アイルランド(英国領)―アイルランド共和国」の国境線を通過して通勤・通学を行っている。

2018年11月14日、メイ首相は臨時閣議で 『離脱協定の草案』を承認し、英国の最善の利益になるとコメントした。
しかし残念にも、翌15日4名の閣僚が辞任してしまった。
しかも4名の中の1名が、『EU離脱担当大臣』であった。

辛抱強く、粘り強い』のは、誇り高き大英帝国の伝統である。
ユニオンジャック』を「背負って立てる」英傑を見出すのに、さほどの時間は 不要であろうと期待しています。

メイ首相の粘り強い努力と今後の大活躍を、私は 強く期待し続けております。
以上

2018年11月3日土曜日

第80話 英国のEU離脱国民投票

EU欧州連合)は「マーストリヒト条約:欧州連合条約」の発効により、1993年11月1日発足した。
原加盟国は、ベルギー・独(当時西ドイツ)・仏・伊・ルクセンブルグ・オランダの 6 ヶ国であった。
第6次拡大(2013年)まで拡大を続け、現在は下記の 28 ヶ 国約5億人)となっている。

加盟国

ベルギー・ブルガリア・チェコ・デンマーク・独・エストニア・アイルランド・ギリシャ・スペイン・仏・クロアチア・伊・キプロス・ラトビア・リトアニア・ルクセンブルグ・ハンガリー・マルタ・オランダ・オーストリア・ポーランド・ポルトガル・ルーマニア・スロベニア・スロバキア・フィンランド・スウェーデン・英 である。

非加盟国

スイス(永世中立)・ノールウェー・アイスランド・トルコ(地域的立場が微妙)・ウクライナ・ジョージア・ボスニア ヘルチェゴビナ・コソボ・セルビア・アルバニア・マケドニア・他6国(小国)

1957年に、EEC(欧州経済共同体)が結成された。
加盟国は、ベルギー・仏・独・伊・ルクセンブルグ・オランダ である。
1960年 頃、 EEC に対抗し、英国が主体となってEFTA(欧州自由貿易連合)を結成した。
しかしながら 英国は、「エドワード・ヒース」政権下で、1973年 EEC に加盟した。
1975年英国は、EEC加盟の是非について 国民投票を実施している。
結果は、「加盟を続ける」であった。投票率 64.5%。
賛成  17,378,581 票 67.2%
反対    8.470,037 票 32.8%

1990年 マーガレット・サッチャー(鉄の女)政権下でERM(欧州為替相場メカニズム)に加入した。
1992年 ERM 離脱、結果的に EU共通通貨 ユーロ を拒否した。

英国第75代 デーヴィッド・キャメロン 首相は、2012年 世論で騒然としていた『EU離脱問題』を無視したが、将来の国民投票の可能性は示唆していた。
キャメロンは、2015年の総選挙でも勝利した。
彼自身は EU残留 を支持していたが、与党議員や閣僚は各自の選択に任せると宣言した。更に彼らが公然と、「EU離脱」運動を行っても支障ないとした。

英国の EU離脱 の国民投票は、2016年6月23日に実施された。
有権者総数   46,501,241
投票総数    33,578,016  投票率 72.2 %
離脱      17,410,742  51.89
残留      16,141,241  41.11 %
有効票     33,551,983  99.92 %

この結果に基づき、第76代 テリーザ・メアリー・メイ首相(女性)は EU と離脱交渉を行うこととなった。
2017年3月29日、英国はEUに対し『EU離脱』交渉を開始した。
英国は、EU加盟のアイルランドと「英領北アイルランドとの間に 国境問題を抱えており、交渉難航も予想される。

2017年6月8日の英国の総選挙で、与党の単独過半数とはならなかったが、第2次メイ内閣が発足した。

第1回『離脱交渉』は、EU バルニエ主席交渉官   vs  英国 デービス「EU離脱担当大臣」との間で、6月19日 ブリュッセル で行われた。
①離脱交渉は2段階に分けて行う。
②第1段階は、10月の「EU首脳会議」までに完了させる。
  • EU市民権の保全
  • 離脱清算金の処理
  • 北アイルランド国境問題
を優先して協議する。

6月29日、EUが方針説明書を公開。
7月13日、英国が「EU離脱法案」を議会に提出。
12月8日、英国メイ首相と EUユンケル委員長が会談し 第1段階は合意に達したと共同文書を発表。

2018年3月19日、英国とEUは 環境の激変を避けるため 「移行期間」を設けることに合意した。
移行期間は、2020年末までの1年9ヶ月である。

従って2020年末までは、英国の北アイルランドとアイルランドは 実際上ボーダーレス(無国境)である。
しかし英国が EU から完全に離脱する2021年からは、明確な国境線が引かれることとなる。
「移行期間」での上手い運用の智恵で、国境線は「ハードな国境線」とはならないのではないかと、私は希望的な観測をしている。

以上