2019年10月10日木曜日

第90話 日本国憲法の矛盾

現行の『日本国憲法』は、1946年11月3日公布され、1947年5月3日に施行された。
法令番号は、無い。
私は『日本国憲法』に、大きな矛盾が 存在していると確信している。
前文の『主権在民』の主張に異論はないが、前文後半はひたすら『哀愁に満ちた平和願望』を『クドクド』述べているだけに過ぎず、「たわ言」である。全く同感できない。
世界各国は、『自国・自国民の存亡』を懸けて、『自国第1主義』を貫き通しているのである。我が日本国も、当然ながら 世界各国の例外ではないと、私は固く信じ込んでいる。
矛盾 1

1.天皇の地位

憲法第1条が、天皇の地位の規定である。
「『日本国の象徴』・『日本国民統合の象徴』である。」と規定している。
即ち、『象徴』の地位を明確に与えている。

天皇陛下は、「『象徴』の地位について 日頃から熟慮され、どんな行動や仕事を果たすべきか」をご考慮賜っていたように、御見受けしていました。
  • 天皇賜杯の下賜
    団体名         下賜     授与の対象
公益財団法人日本相撲協会    1926  大相撲本場所 最高優勝力士
公益財団法人日本サッカー協会  1948  天皇杯全日本サッカー優勝チーム
公益財団法人日本スポーツ協会  1948  国体総合成績第1位の都道府県
公益財団法人バレーボール協会  1950  全日本バレーボール選手権男子優勝チーム
公益財団法人全日本柔道連盟   1950  全日本柔道選手権大会優勝者
一般財団法人全日本剣道連盟   1958  全日本剣道選手権大会優勝者
公益財団法人全日本弓道連盟   1960  全日本弓道選手権大会優勝者男子優勝者
その他 省略

2.戦争放棄

憲法第9条が『戦争放棄』である。
  •  ・・・国権の発動たる戦争と『武力の行使』は、・・・永久にこれを放棄する。
  •  ・・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
自衛隊法は、1954年6月9日 法律第165号として実施されている。
日本国の自衛隊法第 87 条では、『武器の保有』を認めている。多分「戦力」にならない程度の「武器」なのであろう。
例えそれが米国から現に 輸入し 今後も増強予定の、最新鋭のステルス戦闘機『F35A or F35B』などであったとしても、憲法で言う『戦力には該当しない武器』になる筈である、と私は納得している。

今や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の時代であるから、ICBMを保持しない限り 戦力とは言えないだろうと、私は思う事にした。
日本の自衛隊は、『核兵器』や『ICBM』は未だ保有していない。
将来も持たないだろうと、私は信じている。

自衛隊法第 88 条では、「戦力」ではなく「武力」の行使を認めている。
・・・出動を命じられた自衛隊は、我が国を防衛するため、『必要な武力を行使』することが出来る。出動命令は、総理大臣が命令する筈である。
矛盾 2

3.基本的人権

憲法第11条  第14条 で、『基本的人権の平等』を規定している。
皇室典範(1947年)5月3日施行された法律第3号では、「皇位継承資格は、『皇統に属する男系男子のみ』としている。

日本の歴史では 第33代 推古天皇(在位 592 ― 628 年)を最初として、8人10代の女性天皇がおられた。
ところが明治維新以降、突如として「女性天皇」を拒否たのである。
最新の室典範(1947年:法律3号)においても、「女性天皇」を拒否しており、誰が『如何なる根拠で決定』したのか、私は詳細不明で 全く不可解な思いである。
私にとっては、輝かしい『日本の歴史を踏み倒された思い』がして、怒りすら覚える。
矛盾 3
素晴らしい『日本国の歴史』を、絶対に忘却する訳にいかない。
第33代 推古天皇 が遣隋使に持たせた、隋の『煬帝』宛ての国書が小気味良い。
『日出處天子致書日没處天子無恙云云』。
これを見た「煬帝」は、当然立腹した。倭王が「天子」を名乗ったからである。
今にして思えば、『その倭王』が まさか『日本で初めての女帝』であると知っていたならば、「煬帝」が幾層倍 「オッタマゲタ」か 想像してみると、楽しいものである。

皇室典範では、『何故女性天皇を拒否』するのか私には全く納得できない話である。
皇室典範は、『基本的人権の平等と全く矛盾していると、私には考えられます。
矛盾 4
この点では、イギリス王室が羨ましい。
ウインザー朝 第4代エリザベス女王陛下(93歳)が君主である。
チャールズ皇太子(71歳)が、プリンス オブ ウエールズ である。

北欧の マルグレーテ1世 も記憶にとどめおきたい女傑である。
マルグレーテ1世は、1353 年 デンマーク国王のヴァルデマー4世の次女として生まれた。10歳の時、ノールウェー国王 ホーコン6世に嫁した。
ノールウェー国王ヴァルデマー4世が急逝たが、後継ぎがなく マルグレーテ1世は、北欧連合王国の、実質的支配者となった。

女王にはならなかったが、デンマーク摂政(1387―1412年)・ノールウェー摂政(1380―1412年)と「デンマーク・ノールウェ―・スウェーデン」の 3国同盟を支配した女傑である。
以上










2019年9月26日木曜日

第89話 国旗国歌法

『国旗国歌法』は、1999年8月13日に公布、即日施行された。

  • 第1条 国旗は、日章旗とする。
  • 第2条 国歌は、君が代とする。
  • 附則 施行期日の指定、操船規則の廃止、・・・
  • 別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。
衆議院本会議では、投票総数489票。賛成403、反対86 で可決。
参議院本会議では、投票総数237票。賛成166、反対71 で可決。

1.日章旗

いわゆる、『日の丸』である。日本国は、これほど単純明確で美しく、素晴らしい国旗を持って居る。その国の国民の一人として、私は『大きな矜持』を持って居る。

諸外国で、明らかな『丸形国旗』を持つ国は、「バングラデシュ」と「パラオ」である。

若干複雑なのが、韓国である。



「バングラデシュ国旗」の画像検索結果




バングラデシュ国旗








パラオの旗

パラオ国旗











韓国国旗









2.君が代

国歌『君が代』の歌詞は、『世界最古』の国歌の歌詞である。源泉の歌詞は、『古今和歌集』に記載されている。「古今集」と略称される。
905年 勅命(醍醐天皇:だいご)により、紀友則・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが編纂し、天皇に献上した。日本の歴史では、平安時代である。

『君が代』は、世界最短の『国歌』でもある。

「古今集」巻第七 賀歌 に記された「君が代」の歌詞は、下記である。

  吾が君は 千代にませませ さざれ石の 巌となりて 苔むすまでに

読み人 知らず (素晴らしい!!:感謝感激 ただ 涙)

1893年 現在の『君が代』が、国歌として制定された。
また同時に、「年の初め」・「紀元節」・「天長節」などの8曲の歌詞と楽譜を、『官報に告示』している。
『君が代』は、歌詞は 古歌とされ、作曲者は林廣守 編曲エッケルト。

フランツ・エッケルト(1852―1916年)は、プロイセン王国(ドイツ)の軍楽家。
日本や朝鮮半島で活躍した。
『君が代』に和声を付けたことで、日本では著名である。
韓国では「大韓帝国愛国歌」を作曲している。

『1903年に、ドイツで行われた「世界国家コンクール」で、「君が代」は一等を受賞した。』という『風説』が、かつて国内で流布していた様である。

  • ドイツ国内での、場所を特定できる資料を探したが、見当たらない。
  • コンクールの、月日を特定できる資料を探したが、見当たらない。
  • 世界国家コンクール」の主催者が不明である。
以上より世界国家コンクール」は、『風説』であったことは 明白である。

現在の世界情勢では、世界国家コンクール」は、荒唐無稽の企画である。
荒唐無稽の企画を、敢て仮想するならば 『君が代』は秀逸な国歌だと絶対に認められると、私は確信している。
何しろ歌詞は、千年も昔に存在していたのである。
曲は西洋音楽であるが、雅楽の雰囲気漂わすもので、間違いなく秀逸と認められると、私は確信しております。

以上




























2019年7月13日土曜日

第88話 米国 第7艦隊


米国第7艦隊は、東京湾の入り口 横須賀港を母港とする『世界最強の艦隊』である。
右図が第7艦隊のシンボルマークである。
旗艦は、揚陸指揮艦「ブルーリッジ」である。
担当海域は、国際日付変更あたりからほぼ太平洋全域とインド洋までの、極めて広い海域である。
下図の『7F』が、「担当海域」である。






















第7艦隊の主力艦は、空母『ドナルド・レーガン』である。
加圧水型原子炉(PWR)2基が推進機関である。排水量約10万トン。
第7艦隊の現在位置(2019年6月27日)は、ホルムズ海峡近く(外洋出口)のオマーン湾である。上図の『5F』の近傍である。

6月20日早朝、イランは米軍の「無人偵察機」をオマーン湾上空でミサイル攻撃で撃墜した。
イランは、「米機が領空侵犯」したと主張し、米国は「公海上」だったと主張している。
「際どい処だった」と了解する以外、解釈のしようがない。

私が不可解に思うのは、「第7艦隊」が上図『5F』のオマーン湾付近に停留を続けている事由である。
一応『イランに対する米国のプレッシャー』と考えてみることにする。
私のブログ『異論な話』第87話『イランと米国の確執』は、2019年5月20日付で公開済みである。
イランは米国の如何なる脅しについても、頑固に『NO』と言い張る国である。
米国トランプ大統領による「対イラン経済制裁」は2018年5月から行われている。

5F』は第5艦隊の担当海域である。
財政赤字に苦しむ米国にとって、第5艦隊の維持強化は出来ない話である。
当面実質的に第7艦隊の担当海域に加えて置けば簡単に解決される。
ここに至って、『第7艦隊』が5F』のオマーン湾に停留を続ける事由が『スッキリ』と私の腑に落ちる話となってきた。
要するに米国は、5F』の存在を曖昧模糊にしてしまう、魂胆らしい。
今後この地域で、「深刻な事態」が起こらない限り、「第5艦隊」の増強は有り得ないと決めたらしい。
「無人偵察機」の撃墜などは、「深刻な事態」ではなかった。

将来的には、5F』を『第7艦隊』の担当海域に含めれば簡単に解決されることになる。
と言う事で、『第7艦隊』は5Fに停留を続けます。


『第7艦隊』が5F停留して居れば、ホルムズ海峡経由の原油輸送路の安全は完璧に保証され、日本と諸外国の原油供給の不安は一掃される。

左図は、ホルムズ海峡の衛星写真である。
北側(上)が「イラン」であり、半島の突端が「オマーン」である。
半島の付け根は、「アラブ首長国連邦:UAE」である。
UAEは、東はオマーン湾に接し、西はペルシャ湾である。

ホルムズ海峡は、ペルシャ湾岸諸国で産出する石油の搬出の出口である。
海峡の最狭部の幅は、約33km。
水深は、75 ~ 100m。


タンカーが運ぶ石油の量は「1700万バレル/日」程度で、日本に来るタンカーの約8割がホルムズ海峡を通過している。

今後とも『米国 第7艦隊』が、石油輸送の大動脈 5F』に停留し続けて、大動脈の安全に睨みを効かせて貰うことに、日本国民の一人として、私は大いに感謝している。

以上














2019年5月20日月曜日

第87話 イランと米国の確執

ペルシャ湾は、ホルムズ海峡により インド洋に連なっている。
ペルシャ湾岸は、イラン・イラク・クウェート・サウジアラビヤ・アラブ首長国連邦の国々があり、そのほとんどが豊富な石油産出国である。
「ホルムズ海峡」は、イランとオマーンに挟まれた 幅30km の海峡でであり、湾岸諸国から石油を運ぶ輸送船団の首根っこを抑える形になっている。
「ペルシャ』の名前は、紀元前550年頃に イラン に在った『ペルシャ帝国』に由来している。
『ペルシャ帝国』の「末裔」イランの歴史は,2600年程と推定される。
米国の『実に執拗な脅し』にも全く「へこたれず」『敢えて「NO」と言い続ける』頑固なイランに、私は強い感銘を受けると共に ずっと以前から何となく爽やかな連帯感を持つ様になっている。

今朝の新聞報道(2019/05/09)でも、「親イスラエル政策」の米国トランプ大統領にとって、イランの行動は 相当以上に目障りだったようです。

米国とイランの『確執の図式』が始まるのは、「1979年の イラン の イスラム革命」以降からである。ホメイニ師によるイスラム革命で、イスラム共和国が誕生し、米国・英国は国外に叩き出され、「アングロ・イラニアン石油会社」の権益は 木端微塵に吹っ飛んでしまった。

米国は、イランの隣国イラクに『強力な武器援助』を行った。
1980年9月イラクの サダム・フセイン大統領は「イラン ― イラク 戦争」を勃発させた。
米国や サダム・フセイン の思惑に反し、イランは想像以上に頑強に抵抗した。
世界中を敵に回して戦い続け、しかも相当以上に強かった。
この頃のイランは『国際的には完全に孤立無援』だった。米国・欧州 のイラク支持は当然であるが、イスラム諸国も 自国への『イスラム革命』の波及を恐れ、イラクを支持した。
ソ連は、領土拡大の好機とみて 『アフガニスタンに侵攻』した。
『アフガニスタン紛争:1979 ― 1989年』は、10年間に及び ソ連軍の戦死者は1万4千人以上であった。「アフガニスタン」側の戦死者は、ソ連軍の数倍以上だったと推察される。

孤立無援のイランだったが、戦死者の山を築きながらもイラクの侵略に耐えに耐えた。
1982年には国境線付近まで前線を押し戻し膠着状態に持ち込んでいったのには、驚嘆します。
1980年9月の イラクの『イラン侵略』に対し『国連は何もしません』でした。
国連が実際に動いたのは、7年後の1987年7月です。安保理で「即時停戦」の勧告を決議しました。両国が受諾し、停戦が実現したのは 1988年8月です。

「イラン ― イラク 戦争」で汚名を被った サダム・フセイン は血迷って1990年 「クウェート」に侵攻した。
これが『米国の逆鱗(げきりん)に触れ、湾岸戦争の勃発となった。
この時の国連の対応は『目覚ましく素早かった』。
平和憲法の日本国も、『自衛隊をイラクに派兵』させられた。
「イラン ― イラク 戦争」で、平和を勝ち取った イラン は 、『敢て「NO」と言う』反米路線を堅持して、富国強兵と核技術の向上に邁進していった

核問題の議論では、『核拡散防止条約:略称 NPT 』と 『国際原子力機関:略称 IAEA 』を知っておく必要があります。

NPT は、国連安保理常任理事国(米国・ロシア・英国・フランス・中国)を『核兵器国』とし、それ以外を『非核兵器国』としている。
『核兵器国』には、『核軍縮交渉お行う義務』がありますが、有名無実化しています。『非核兵器国』には、核兵器 の 製造・取得 を禁止し IAEA の監査を義務付けている。

NPTは、1970年に発効し 2017年4月での締結国は、191ヶ国です。
既に核兵器を保有していた、インドとパキスタンは未加盟です。
保有を推定されている、イスラエルも未加盟です。
北朝鮮は、1993年 NPT の脱退を宣言している。

日本国は、IAEA 創設当初から指定理事国(13ヶ国)の1つである。
IAEAの事務局長は天野之弥氏(3選目:任期4年)である。

イランは、NPT 発足以来 NPT に加盟している。
1980年頃から、イランはウラン濃縮実験を開始した。
2006年4月 イランのアフマディ・ネジャード大統領は、「核燃料サイクルに適合するウランの精製に 成功した」と発表した。
これに対し国連安保理は『異常な過剰反応』を起こした。
2006年7月『イランの核開発中止を求める決議案』を採択した。
イランは 馬耳東風 で、イラン大統領は 2006年11月『イランは完全な核燃料サイクル技術を獲得した。』と発表した。

2008年9月、イランは「遠心分離機3800基を設置し、低濃縮還元ウラン 480kg を製造済み。」と IAEA は報告している。
2009年9月イランは、「新たに2か所のウラン濃縮施設を建設中である」とAERA に連絡。
これに対し、米国オバマ大統領は 「あらゆる選択肢を排除しない」と脅しを懸けてきた。
イランの馬耳東風はさらに続き、2009年11月 イランは10ヵ所の『ウラン濃縮施設の新設』を発表した。
米国に対し、『敢えて「NO」と言う』イランの面目躍如たるものがある。

2018年5月、米国トランプ大統領の『イラン核合意』からの離脱声明により、米国によるイランへの経済制裁が再開された。
2019年5月9日、イランが『核合意の一部履行停止』を表明したのを受け、ロシアと中国は 「昨年5月に、合意から離脱した 米国がイランを追い込んだ。」と非難した。
当事者の イランのロウハニ大統領は、今後も核合意に留まる意思を表明している。
しかし『核合意』が有名無実化し、今後 崩壊の恐れすらあり得ると、憂慮もしている。

以上