楚人に盾と矛とを鬻(ひさ)ぐ者あり。これを誉めて曰(いわ)く、「吾が盾の堅きこと、能(よ)く陥(とほ)すものなきなり。」と。またその矛を誉めて曰く、「吾が矛の利(と)きこと、物において陥(とほ)さざるものなきなり。」と。
ある人曰く、「子の矛を以って、子の盾を陥(とほ)さば如何」と。
当然ながら、答えられない話になってしまう。
『矛盾な話』は、全面的に不合理な話であり、「問題点のある話」のレベルを遥かに超えた『非合理的な話』なのである。
中国共産党の基礎を作った、毛沢東の「矛盾論」は有名である。
日本国においては、「国家の矛盾」という本が出版されている。自民党衆議院議員高村正彦・国際政治学者三浦瑠璃の対談を纏めたものである。
「安保の矛盾」・「外交の矛盾」・「政治の矛盾」の三章にわたる対談である。矛盾対策についての様々な情勢分析や智恵・配慮などが語られた苦労話である。
苦労の功績は多大であって、大した矛盾は存在しなくなっている。
日本国の最大の矛盾は日本国憲法にある。
日本国憲法は もちろん日本語で書いてあるが、憲法では「日本語を公用語とする。」とは規定していない。
裁判所法第74条で、『裁判所では、日本語を用いる。』と規定している。
日本国憲法(1946年11月3日制定)の最大の特徴は、憲法前文と第9条であると私は確信している。
前文の矛盾
・・・・ いづれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である・・・・
と いつまでも信じ込む訳にはいかない。現今の国際情勢が決してこれを許さないのである。
日本国憲法は、敗戦直後の年に作られたものであり、敗戦国の悲哀と強い平和願望に基づき憲法前文が作られている。
しかし国際政治の現実は、そんな生易しいものではない。
自由主義国家の雄である米国トランプ大統領は、『アメリカ グレイト・アメリカ ファースト』を連呼し続けている。
独裁主義国家の雄である北朝鮮金正恩(キム・ジョンウン)大統領は、自国のことのみに専念して、他国と対等関係に立とうなどとは全く考えてもいない。
憲法第九条の矛盾
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
自衛隊法87条
自衛隊は、その任務に必要な武器を保有することが出来る。
自衛隊法88条
・・・・・・わが国を防衛するため、必要な武力を行使することが出来る。
ここでは、完璧な言葉遊びが行われている。
国権の発動たる戦争を『有事』と呼称し、日本国軍を『自衛隊』と言う。
従って『有事』の際は、『自衛隊』が出動し、戦力にはならない『戦車』・『自衛艦』・『戦闘機』による『武力行使』を行うのである。
憲法九条と自衛隊法は全く矛盾するので、言葉のすり替えが行われている。これしか方法がないのである。
日本国憲法は極めて変更し難い仕組みになっている。敗戦直後に作られた日本国憲法は、現在に至るまで70年以上改定されていない。「現存する改定されていない憲法」としては、日本国憲法が最古参ではないかと、私は推定している。
「憲法第96条:この憲法の改正は、各議院の総議員数の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し・・・・」とあり、「憲法改正の発議」は決して容易な業ではない。
多数決の矛盾
文明国では、立法・行政・司法の三権分立が一般的である。
三権内でも殆どの重要事項は、間違いなく『多数決』で決定している。
日本国憲法においても第56条2で、『両院の議事は、この憲法に特別な定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し』と規定している。
問題は「多数決」の正当性の根拠である。文明国の大多数が「多数決」を是認し採用しているのは何故かという疑問である。
其れしか方法が無いのか、そう決めるまでに人類はどれ程の検討を重ねてきたのか、ぜひとも知りたいと思う。
首長・議員の選挙でも各会議の議案でも、各投票者の賛否については、グレードがある筈である。0~100%の間で各投票者の意見は散らばっている。白と黒ではなく、各人各様のグレイ(灰色)さで分布している。白さ50%以上を数えて、決定するのが『多数決』方式である。
多数決が多用されている根拠について、以下の様な思考実験を試みてみた。
少数の人間を、短期間騙すのは極めて容易なことである。巷に横行する「オレオレ詐欺」の例を看れば簡単に理解できる。NHKも「私は騙されない」と詐欺防止に多大の努力を払ってくれている。
多数の人間を、短期間騙すのもさほど困難ではなさそうだ。新聞・雑誌等に怪しげな宣伝広告などを掲載すれば不可能ではない。
しかし多数の人間を、長期間にわたり騙し続ける事は、至難の業となる。
第2次世界大戦に突っ走しって行った過去の「大日本帝国」のように、国家権力により国民を騙し続ける以外には、方法がない。
要するに多数決の正当性は、『多数の人間を長期間にわたり騙し続ける事は、至難の業』という、否定的な根拠に拠るしか方法がない様なのである。
世界中の文明国の大部分が、『騙しの困難さ』を根拠にして「多数決」を採用していると推定されるのである。
もしかして人類の矛盾の一つかもしれない。
以上