今年の干支は「乙・未」(きのと・ひつじ)である。
「えと」と言えば、通常は十二支の事を言う。十二支を下記に示す。
また十干(じっかん)も下記に示す。
60年周期の干支表を下記に示す。
今から数えて29年後、2044年は「甲・子」(きのえ・ね)となる。
甲子園球場は、大正13年(1924年)3月11日起工式が行われた。もちろん甲子(きのえ・ね)の年である。
最初の名前は「阪神電車甲子園大運動場」である。
大リーグのホームラン王ベーブルース(1895~1948年:George Herman Ruth, Jr)が来日した時、「too large」と驚嘆させた「大運動場」であった。
1924年8月「全国中等学校優勝野球大会」が開催されている。これが現在の高校野球大会につながっている。当時の中等学校は5年制であった。
高等学校は大学予科相当であり、ナンバー・スクール(1高~6高)に入学できれば、どこかの帝国大学に間違いなく入学できた。
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毎年十二支と十干を1つずつ進めるので、次の年2045年は「乙・丑」(きのと・うし)となる。60年目は「癸・亥」(みずのと・い)となる。61年目は再び「甲・子」となり還暦である。
「十二支」と「十干」を毎年ひとつずつ進めると、12と10の最小公倍数60が周期となって、繰り返されることになる。
紀元前17世紀頃、中国山東省(現在の安陽市付近)に殷いん(紀元前17世紀~紀元前1046年)の首都が有った。殷は「商・商殷」とも言われている。紀元前11世紀に「周」に滅ぼされた。
殷の時代には、すでに、日付、番号、数字等を表すのに干支が使われていたようである。
十二支に動物を割り当てたのは中国であるが、なぜこのような順番に動物を割振ったのか良く分からない。
中国では、最後が豚である。台湾は日本と同じように最後は猪である。ベトナムでは、水牛(牛)と猫(兎)がいる。
干支は年を表すだけでなく、昔は時刻や方位を表すことにも使われていた。
方位を表す場合は、子が真北であり午が真南である。真東が卯で、真西が酉である。
北東は「丑・寅」の境目で、艮(うしとら)の字を当てた。南東を巽(たつみ)、南西を坤(ひつじさる)、北西を乾(いぬい)としていた。
時刻は、太陽の南中が正午であり、正午の前が午前、後が午後である。
昔は鐘を突いて時を知らせていた。
鐘を突く回数が少ないと、鐘の音に気付かぬ恐れがあるので、鐘は「四つ~九つ」突く仕組みになっていた。
- 子の刻;0時頃 夜 九つ
- 丑の刻:2時頃 夜 八つ
- 寅の刻:4時頃 暁(あかつき) 七つ
- 卯の刻:6時頃 明 六つ
- 辰の刻:8時頃 朝 五つ
- 巳の刻:10時頃 朝 四つ
- 午の刻:12時頃 昼 九つ
- 未の刻:14時頃 昼 八つ
- 申の刻:16時頃 夕 七つ
- 酉の刻:18時頃 暮 六つ
- 戌の刻:20時頃 宵 五つ
- 亥の刻:22時頃 夜 四つ
暁七つだから、寅の刻(午前4時頃)の心中であった。
以上