2014年5月6日火曜日

見果てた夢の話

私は、今年傘寿を迎えた。傘寿とは「数え年」80歳の事である。数え年とは、昔の年齢の数え方である。赤ちゃんが、オギャアと生まれた瞬間に1歳となる。その子が最初の正月を迎えると2歳になる。師走(12月)に生まれた赤ちゃんは、わずかひと月たたぬ間に2歳の子供になるのである。
正月元旦に、昔は日本人全体が一歳年嵩になったのである。昔の元旦の厳粛さ・御めでたさは格別の意味があり、現在の元旦のような生半可なものではなかった。
満年齢と「数え年」との関係は、今年既に誕生日を迎えた人は「満年齢+1=数え年」である。今年未だ誕生日を迎えていない人は、「満年齢+2=数え年」である。

稀代の英雄豊臣秀吉(1537~1598年)は、61歳で伏見城にて他界した。彼は下層民の子として生れ落ち、針売りを手始めに艱難辛苦(かんなんしんく)を重ねながら戦国の世を生きぬき・勝ち抜いて、日本国の天下を平定したのである。身分は庶民から、関白・太政大臣にまで登りつめた英傑であった。彼の辞世の歌を下に示す。

  露と落ち露と消えにし我が身かな
           浪速のことは夢のまた夢

辞世の歌とは、そんなものかと単純に見てはいけない。辞世の歌の最後の所の『夢のまた夢』には、極めて深遠な思いが込められている事に、気付いて欲しい。
浪速の栄耀栄華は、「遠い昔の見果てた夢」だったと言っているのである。即ち『見果てぬ夢』は未だ残したまま、この世を去って行く我が身の上に、万感の思いを込めた痛切な本懐を吐露したものである。英傑は最後まで英傑であった。

日本国を平定した後の彼の本当の「見果てぬ夢」は、近隣諸国「朝鮮・(高砂:台湾)・明(みん:中国)・呂宋(るそん:フィリピン)」から日本国に朝貢させることであった。
彼は真面目に近隣諸国に使者を派遣していたが、明・朝鮮とは話がこじれて戦争となってしまった。また台湾・フィリピンには、朝貢できる様な統一の国家機構は存在しないとの使者の報告を受けていた。

明・朝鮮の連合軍約25万人に対し、日本軍約16万人は圧倒的に強かった。日本軍は組織的な鉄砲隊を持ち、鉄砲の威力は凄まじかった。文禄の役は1592年4月13日釜山攻撃開始、5月3日首都漢城(現在のソウル)陥落。7月16日平壌(ピョンヤン)近郊で明・朝鮮軍を撃破、7月24日平壌陥落。1593年4月明・朝鮮との当面の講和が成立した。
その後、明の使者が来朝したが講和条件の話がこじれて、慶長の役(1597・1598年)が始ってしまった。
「近隣諸国からの朝貢」こそ、豊臣秀吉の『見果てぬ夢』だったのである。彼は見果てぬ夢を残したまま、1598年9月18日三途の川を渡ってしまった。

札幌農学校(現北海道大学)のウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)は「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」と教えたと聞いている。若者は大志を抱き「見果てぬ夢」を追い求めるものである。
星霜移り人は去り、私も齢(よわい)傘寿ともなれば『見果てぬ夢』は「夢のまた夢=見果てた夢」の話として決着をつける事と致したい。

私が途方もない大志を抱くきっかけとなったのは、大学院1回生(1958年)の時である。指導教官からこれを読めと渡された文献が、米国の原子力潜水艦シーウルフ(SSN-575)に関連する「液体金属ナトリウム」関係の文献であった。「液体金属ナトリウム」で冷却される原子炉が、この世界に存在していたことが私にとっては全くの青天の霹靂(へきれき)であった。

三菱原子力工業に入社し、国家プロジェクトの高速増殖実験炉「常陽」の三菱受託部分の設計業務を担当することになって、本当に途方もない大志を抱くようになってしまった。1960年代の後半である。私は高速増殖炉一筋で良いのだと、自分自身で納得していた。
それから引き続き高速増殖原型炉「もんじゅ」の設計である。1968年後半から予備設計が開始され、三菱担当部分の「炉心上部の回転プラグ」と「2次ナトリウム冷却系」の設計を担当した。夢の実現に夢中になった。私の人生の最も輝いていた時代であったかもしれない。勿論私独りだけで出来るはずはなく、大勢の仲間たちと共に頑張っていた。

「人生は、あざなえる縄の如し」である。私の人生は二転三転する。社命で転勤を命じられ、加圧水型原子力発電所の「配置設計」を担当することになってしまった。これ以降は、見果てぬ夢は本当に「見果てぬ」ことになってしまった。
今や私は、高速増殖炉の熱烈なサポーターの一人である。
ここで心残りな見果てた夢の中身を、簡単に説明しておきます。

高速増殖原型炉「もんじゅ」は、夢の原子炉であるはずだった。燃料はプルトニウムであるが、運転すればするほど原子炉内のブランケット部分で、天然ウランからプルトニウムが生産されるのである。有難いことに、燃料で消費するプルトニウムよりブランケット部分で生産されるプルトニウムの方が多いのであるから、まさに夢の原子炉である。

「常陽」や「もんじゅ」は、日本の技術力を総動員して造り上げたものですが、何故だかトラブルが非常に多い。「常陽」・「もんじゅ」ともに、多発したトラブルにより現在長期運転停止中である。
日本の技術力がこんな様で良いはずがない。サポーターとしては、歯ぎしりする思いである。しかし日本の技術力は現在そんな程度でしかないのであろう。

下に高速増殖原型炉の各国比較表を示す。原子炉冷却材は、いづれも「液体金属ナトリウム」を使用している。

施設名               国      電気出力   型式    炉心燃料        運転開始  現状
                      万kw
Phenix            フランス     25      タンク    Pu・U二酸化物  1974年  運転中
SNR-300          ドイツ         32.7    ループ   Pu・U二酸化物              計画中止
PFBR              インド          50      タンク    Pu・U二酸化物              建設中
もんじゅ          日本         28      ループ   Pu・U二酸化物              長期運転停止中
PFR                イギリス       25      タンク    Pu・U二酸化物  1976年  閉鎖
CRBR              アメリカ       35      ループ   Pu・U二酸化物              計画中止
PRSM              アメリカ       31      タンク    U・Pu・Zr合金                計画中止
BN-350            カザフスタン 15      ループ   Pu・U二酸化物  1973年  閉鎖
BN-600         ロシア       60      タンク    Pu・U二酸化物  1980年  運転中
KARLIMER-600 韓国           60      ループ   U・TRU・Zr合金              計画中

注記:TRU(trans uranic elements)とは、プルトニウム等の超ウラン元素の事である。下記にTRUの一部を列記する。

原子番号  元素記号  元素名
 93             Np         ネプツニウム
 94             Pu         プルトニウム
 95             Am        アメリシウム
 ・               ・
 ・               ・
109            Mt          マイトネリウム

アメリカ・イギリスは核物質の拡散を懸念して、高速増殖炉開発には抑圧的な行動を取っている。イギリスはPFRを閉鎖し、アメリカは自国の全ての計画を中止した。他国の高速増殖炉計画に対しても決して快くは思っていないと思う。

フランスは、高速増殖炉に熱心であり、技術力も高い。現在フェニックスを運転中であるが、電気出力120万kwのスーパーフェニックスを建設・運転した実績を持つ。
スーパーフェニックスは、1986年本格稼働を開始したがトラブルが続出し、1990年一旦運転を休止した。その後紆余曲折を経て1998年閉鎖となった。
現在フランスで進行中の計画は、電気出力50~60万kwのASTRIDという新型プロトタイプの高速増殖炉の建設である。

ロシアも、高速増殖炉には意欲的に取り組んでいる。エカテリンブルグの近くにベロヤロスク原子力発電所があり、そこの黒鉛減速の原子炉は閉鎖されているが、BN-600の高速増殖炉だけが運転中である。同所に更にBN-800、BN-1200を建設中である。
ロシアの原子炉は、恐ろしいことに伝統的に原子炉格納容器を持っていない。事故で放射性物質が漏洩すると、直ちに周囲の環境が放射性物質で汚染されてしまう事になるが、一向に気にしないようである。

国連安保理常任理事国は、米・英・仏・露・中であり、アメリカ・イギリスは高速増殖炉抑制派である。フランス・ロシアは積極的な推進派である。中国は推進派であるが、かなり遅れを取っている。
中国は、1990年頃から高速増殖実験炉の概念設計を開始した。電気出力60万kwの高速増殖原型炉CPFRの運転開始予定は2020年頃を目指している。

インドは、1985年から電気出力1万kw余りの高速増殖実験炉を既に運転している。
電気出力50万kwの高速増殖原型炉PFBRは、2003年頃から計画が開始され、2023年までに運転開始を目指している。

高速増殖実用炉が開発されれば、人類のエネルギー源は長期にわたり保障される。このために私は頑張り続けたかった。これが私の「見果てた夢」の中身です。
今の私の見果てぬ夢は、「もんじゅ」再開の朗報を聞く事なのでしょう。
以上